面白い作品を書くということ
面白い作品を書けば評価される、されなければならない、と思っている作者がたくさんいる。
こういう作者には、たいてい、それが誰にとって面白い作品なのかという視野が抜けている。
というか、『面白い作品』は、『誰にとっても面白い作品』だと思い込んでいる。
いや、まあ、そういう作品もないではない。
比較的、誰が見ても面白いと感じるような作品というのはあって、例えばアニメ映画で言えば、宮崎駿監督作品やディズニーアニメなんかがその類だ。
でも、じゃあ富野由悠季監督の『機動戦士ガンダム』が、宮崎駿監督作品やディズニーアニメなどよりも作品として劣っているかというと、そういう話でもない。
ある視聴者にとっては、それは『天空の城ラピュタ』よりも面白い作品であろう。
それでもまだ、富野監督ぐらいに売れていれば十分だが、世の中にはもっとコアな、ある視聴者にとっては『すごく面白い』けど、世には評価されていないような作品・作者というのがゴロゴロしている。
一般に、小説作品の評価は、『それを面白いと感じる読者の数』×『その読者にとっての面白さの深度』で測られると考えられる。
『面白い小説を書けば評価される』と考えている人の多くは、『面白さの深度』にこだわる一方で、『それを面白いと感じる読者の数』を軽視する傾向にあると思う。
つまり、世の中の圧倒的多数を占める『大衆』、彼らが何を面白いと感じるかについて、実に無関心なのだ。
そして、自分の作品が鳴かず飛ばずな現実に対して、「読者に見る目がない」と嘆くのである。
もちろんこれはマイノリティを対象とした小説を書くのが、悪いという意味では、まったくない。
というか僕自身、そういう作品を書く方が好きだし、そんなの否定してなるものか。
ただそれは、世に評価されないのは、必然だと思っておくべきだと思う。
マジョリティを無視して自分の書きたい作品ばかりを書いておいて、それが評価されないことを世の中のせいにするとか、甚だ愚かしいと思う。
で、プロの小説家になるつもりなら、『大衆』の嗜好というのは、絶対に意識しないとダメだと思う。
もっと厳密に言うなら、『その作品がターゲットとしているメインの読者層の嗜好』だ。
そして、このメインターゲットが日本中で千人(全人口の0.001%)ぐらいしかいないのなら、はっきり言ってどうやっても商売にならないので、趣味でやるしかないと思う。
逆に、このターゲットが日本全体で1000万人ぐらい(全人口の10%近く)いて、その嗜好をしっかり捉えた上で彼らに評価される『面白い作品』を書ければ、ソードアートオンライン級のヒットも夢ではない、かもしれない。
作品が世に評価されるということは、そういうことであって、逆に言えば、そういうことでしかないと思っている。




