作者としての「正義」と「核」を意識する
読者ウケする作品を書く、ということに徹することができる作者というのは、かなり稀だと思います。
何人かそれをやっているっぽい書籍化作家さんに心当たりはありますが、少なくとも、僕にはいまのところ無理です。
でも僕は元々、今回書籍化する『RPGっぽい異世界でだらだら冒険者生活する』のような異世界チートハーレムな作風を好むタイプの作者ではないです。
もっと地味で素朴で地に足のついた小さな物語のほうが好きだったりします。
ただ、じゃあ自分で好きでもない、面白いとも思わないものを書いているのかというと、これは違います。
ちゃんと自分の中の「正義」、つまり「面白い」があって、これを書いています。
この作品を書き始めたのは、アニメの『この素晴らしい世界に祝福を!』を見て、それに感動して、リスペクトしたからです。
ただリスペクトしたと言っても、作風をコピーしたわけではないです。
リスペクトしたのは、その理念──「毎回視聴者を楽しい気分にさせてくれる」という点です。
(いや何かで作者がそういう理念を語っていたというわけではなく、僕がこの作品に勝手に見出した理念ですが)
「とにかく毎話、読者が少しでも楽しい気分になれる、気分が上がるような話を作ろう」
これが本作Web版を書いているときのコンセプトでありスタンスであり、僕の中にある「正義」です。
書籍版はこれに加え、「一冊の本として」も面白くなるように、話を再構築しました。
これも僕の中にある、書籍作品のあるべき「正義」です。
でもこの際も、Web版の理念や方向性は変えないように、多くの読者さんに支持してもらったものを蔑ろにしないように意識しながら作りました。
先にも言った通り、僕は元々チートでハーレムで主人公最強な作風を好むほうではないです。
(いやハーレムは怪しいですが……まあ、なろう的な濃度の濃い作品にありがちな、記号的あるいはトロフィー的ヒロイン構造が好きでないのは間違いないです)
僕が「『このすば』のアニメ超面白い!」と活動報告で語ったときに言われたのが、「いかぽんさんは『グリムガル』のほうを推すかと思ってました」です。
そして言われて思ったのが「確かに僕は『グリムガル』のほうを推しそうだ」でした。
元々はそういう作者です。
でも色々考えてきて思ったのが、「その辺って僕の『核』ではないよな」ということでした。
ツイッター上で(細部の文言はよく覚えていないのですが)「#創作でこれを封じられたら死ぬ」みたいなタグが回ってきたことがありました。
まあほとんどの人は創作テクニックの話をしていたのですが、僕はこれで考えてしまいました。
「自分にとって、これを封じられたら作者やってる意味がないって思うようなものって何だ?」
これを突き詰めて考えたら、僕の中では「ヒロイン」というところに行きつきました。
「僕にとって魅力的なヒロインを描く」ということを封じられたら、もう作品を書く意味が自分の中でないよなって、少しも楽しくないよなって、そう思ったのです。
自分にとって魅力的と思う二次元ヒロインを描いて、創作世界に息づかせること。
それこそが、僕が創作をしている理由の「核」でした。
そして逆に言うと、そこ以外は比較的どうでもいい──つまり「変えられる」部分だと思いました。
そうやって、自分がいままで知らなかった新しい「魅力」を模索していく地盤が整えば、あとは実行あるのみです。
「正義」と「核」を携えて、未知の密林を分け入っていけば、新しい何かがきっと見えてくるはずです──なんて、ちょっとばかり詩的な表現をしてみたりなんかして。てへぺろ。