なろうテンプレを書こうとするな
続きまして、今日のお前が言うな案件の表題になります。
もしくは、どの口でそんなことを言うのか案件になります。
えっとですね、「なろうウケ」を狙って書くのは、良いと思うんです。
でも、「なろうテンプレを書こう」と思って書くのは、良くないと思うのです。
何でかって言うと、後者のスタンスの場合、それで失敗した時に「ほらダメだったじゃん」となってしまうからなのです。
僕の場合、過去の自作で「なろうウケを狙って成功した」と考えているのは、書籍化が決まった作品のほか『レベル上げ厨が無双に挑むようです』『異世界の冒険者会社で美少女冒険者たちを雇っています』の二作を加えた、計三作になります。
逆に、「なろうウケを狙ったけど失敗した」作品もいくつかあって、その筆頭が『無双の少年はハーレムパーティを熱望する』というやつで、自分的には好きな作品であり、自作キャラの中で一番好きなキャラがいる作品であり、これが事実上エタっていて、ごめんなさい人間のクズです死にますってなるんですが、まあさておき。
長編だけど短編集みたいなもんだから、まあいいかなーって。
で、僕はこの『無双少年』で、「ああハーレムモノって三人称でやったらダメじゃん」っていうことを学んだわけですが、最近の視野だと「ハーレムという要素自体がなろう四天王最弱。四天王になれたのが不思議なぐらい」なんて思っていて、まあ何か作品をやるたびに次々と認識を修正していくわけですね。
で、僕は「なろうウケを狙う」っていうのは、一度は成功するまでやってみるべきだと思っているんですよ。
重要なポイントは、「一度は」「成功するまで」というところですが。
一度成功するまでやってみて、「やっぱりこの方向性だと自分が納得できる作品にならないな」と思ったら、また元のところに戻ってくればいい。
でもその過程でやったこと、学んだことって、無駄にならないというか、ものすごく大きな糧になると思うんです。
一度それをやって、戻ってきたときって、作者として大きく「進化」していると思うのです。
自分が書きたいものを書く、自分が面白いと思うものを書くっていうのは、清濁でいうところの『清』のイメージ。
(「自分が書きたいものを書く」と「自分が面白いと思うものを書く」との間にも大きな隔たりがありますが、いずれにせよ『清』のイメージです)
逆に、読者ウケすることを狙って書くというのは、『濁』に該当するイメージです。
「濁ってるんかーい!」と突っ込まれそうですが、まあ僕の中の漠然としたイメージです。
「大人って汚い」って笑って言うのと同じぐらいの意味です。
で、「清濁併せもつ」という言葉があります。
どうにも『清』だけで戦おうとしている人というのは、作者として深みが足りない気がしてしまうのが、いまの僕の視野です。
「型破り」と「型無し」の関係に近いです。
「読者ウケするもの」がどういうものかを正しく把握・認識し実用レベルで使いこなせるようになったうえで敢えてそれを避けるのと、そもそもそれを学ぼうともせずにやらないのとでは、できあがるものに雲泥の差が出てくると思うわけです。
つまり、作者としての実力を上げるためのトレーニングの一環として、「読者ウケ」を追求するというスタンスは、一度はやっておくべきだと思うのです。
「成功するまでやる」のは、そこまでやらないと身にならないからです。
何をもって「成功」とみなすかは、日間ランキングを駆け上がって一桁順位まで行けばOKだと思います。
そこから上は、そのタイミングで上がってきている対抗馬がどれだけ強いかっていう、言わば「運」に大きく左右される部分になるので、日間一桁を目標で良いかと思います。
また、日間上位に載ると、予想もしていなかったような感想がポンポン飛んできます。
「えっ、気になったのそこ?」って思うような意外なのがバンバン飛んできたり、「このキャラムカツク。早く殺して」とか、本当予想もしていないのが飛んできます。
罵詈雑言も多くなってガラスメンタルで耐えるのは大変ですが、視野は確実に広がりますので、どんな厳しい目に遭ってでも自身の実力を上げたいという方には、とてもお勧めのコースです。
ただ、じゃあ自分がまったく面白いと思わないような作品を書くべきなのか、というと、さすがにこれは、初心者コースとしてはちょっと厳しいんじゃないかと思います。
上位作品を研究して、自分の作風に少しずつ混ぜていって試してみる、というような手法を取るか、あるいは「リスペクトできる上位作品」を見つけてそのフォロワーになるか、あたりが順当なんじゃないかと思います。