書籍に求められるオリジナリティ
「書籍の世界で通用する」かどうかという視点で見たときに、作品に必要なオリジナリティとは何なのか。
これはパッケージングに関する話になると思う。
ある編集さんがツイッターで、「企画はパッケージが浮かぶかどうかでジャッジしてる」というような話をしていた。
僕はこれを、ただ単に「パッケージが思い浮かぶかどうか」ではなく、「(書店の棚に並べたときに読者が手に取りたくなるような、程よいインパクトのある売れる)パッケージが思い浮かぶかどうか」という意味と受け取った。
パッケージというのはすなわち、その本の表紙絵であり、タイトルであり、帯の文句であり、それら全部を総合したデザインということになる。
手堅いライトノベルに求められるオリジナリティというのは、こういうものを指すのだろうと思う。
小説の中身にオリジナリティを出すのは、大外ししかねない危険要素となる。
大外しするというのは、作品を買ってくれた読者の多くに「何これクッソつまんねぇ。金払って損した」と思わせてしまう危険性が大きいということだ。
なので、ここのジャッジは、「そのオリジナリティが一般受けするかどうか(多くの読者が面白いと思えるか)」という視点で為されるのではないかと思う。
飲食店で例えるなら、お金を払って本を買ってくれた読者に、奇抜な珍味を出すか、無難な定食屋の料理を出すか。
珍味を出すなら、それがちゃんとおいしいか、そしてその味が日本人の舌に合うか。
前回に述べた例で言うと、スカトロを極めたようなオリジナリティというのは、一般受けは厳しいだろう。
脚フェチや鎖骨フェチぐらいだったら、案外通るかもしれない。
ただ一番無難なのは、内容に関してはおっぱいに寄せるということだ。
あとはもうジャッジの問題だ。
無難な線で攻めるか、敢えてちょっと冒険するか、編集さんの判断に寄るところになると思う。
でも多分、スカトロ級の超マイノリティレベルのオリジナリティにオーケーを出す編集さんは、ほぼほぼいないんじゃないかと思う。
ただ、敢えて内容にオリジナリティを出そうとしなくても、パッケージに引っ張られて必然的に発生する作品内容オリジナリティというものが存在する。
一般に、プロのライトノベル作家が書いた「無難な」ラノベは、1巻の売上に対して、2巻の売上は、だいたい7割~9割程度になるらしい。
これは、その作品(1巻)を買って読んだ人の7割~9割が、次の巻を買って読もうと思えるぐらいには満足しているということだと解釈できると思う。
なお一般に、適度なオリジナリティの度合いは、既知:未知=2:1と言われる。
「未知」がオリジナリティ、「既知」が読者が普段触れている馴染みのあるもの。
まあこれは3:1と言われたり、7:3と言われたりすることもあるのだけど、大差はない。
いずれにせよ、大部分を既知で固めて、その中に適度に未知を混ぜるイメージ。
作品=パッケージに求められるオリジナリティは、このぐらいが望ましいということだと思う。




