新しいファンタジー
『今回の星球大賞を見て思った事』(遠山 登/アメアン さん)
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これなー……。
まず新紀元社さんは、中世ヨーロッパ関係の創作資料的な書籍の第一人者的な出版社なので、勤めている人たちも、まずそういうガチの中世ヨーロッパ的な知識を前提として持っている。
そしてロードス島戦記なんて新参だと言わんばかりの古典ファンタジー作品知識を持っている。
その上で、今のなろうファンタジーを見つめている。
そういう人たちにとっての「今自分たちが提示すべきファンタジー小説とは」なんて、難しい課題すぎるに決まっている。
なんかどうにも、「ファンタジー」と「斬新さ、次の時代を切り拓くような新しい面白さ」って、すごくマッチしないような気がしている。
おそらく「まったく新しい」ファンタジー世界を書いても、読者がついてこない。
ドラゴンとか、ゴブリンとか、魔法使いとか、エルフとか、そういうトールキンから始まった一連の「中世ヨーロッパ風ファンタジー」が持つ共通言語・共通認識を活かした二次創作的な魅力が、剣と魔法のファンタジー作品の魅力の根幹にあると思う。
元来二次創作的な魅力だから、まったく新しいものとは相容れない──と言ってしまうと、ちょっと短絡的すぎるかもしれない。
でもやっぱり、そういう二次創作的な魅力を捨ててまったく新しいファンタジーを作っても、少なくとも僕は、そういうものをわざわざ読みたいとは思わない。
まあこれは、僕が根本的にイノベーターやアーリーアダプターに分類されるタイプの人間ではないからかもしれないけど。
注目株は、小説ではないけれど、『女神転生』シリーズのアトラスが立ち上げたスタジオ・ゼロが作るというファンタジーRPG。
ただ、これが単なる懐古的なものに終わらないかどうか、というと甚だ怪しいとは見ている。
でも楽しみではある。どういうものが出来上がってくるか。
これはとびうお君さんがよく言っているんだけど、懐古的なものにこだわっている「だけ」では、新しい面白さは生まれない。
まあ、当たり前と言えば当たり前。
懐古は懐古でしかない。
新紀元社さんが、「今自分たちが提示すべきファンタジー小説とは」に答えを出せないのも、当然だと思う。
そんなもの簡単に答えが出せてたまるかって思うし、簡単に答えが出せたならそれは薄っぺらい答えでしかないと思う、
まず論点が一つあって、これまで「剣と魔法のファンタジーという枠組み」が育ててきた要素を使った、二次創作的な魅力を肯定するか、しないか。
肯定する場合さらに、今のなろうファンタジーの主流の一部には、これに「ゲームっぽさ」という新しい要素が加わっている。
ステータスだのスキルだのっていうのは、フォーチュンクエストや魔方陣グルグルの時代には、少なくともまだ主流じゃなかったし、僕がその時代に読んだ『ファンタジー小説の書き方』的なモノの本では、そういうのは小説の書き方としてはご法度だと書かれていた。
ロードス島戦記では、ゲームを元にした小説であってもそういったものは徹底的に排除されたし、そのことがある種の魅力を支えていた。
僕は完全に、ある種のファンタジー作品の持つ二次創作的な魅力には、肯定的な立場だ。
ただ僕はそもそも、そんなに「次の時代を切り拓くような新しい面白さ」っていうものに価値を感じていない人間だ。
だから自覚的に、その二次創作的な魅力を土台にして、そのベースの上で何をやるかを常に追及している。
でも、じゃあそういう「次の時代を切り拓くような新しい面白さ」を模索する人たちが、ファンタジーっていう二次創作的な魅力が支えるジャンルとどう付き合っていくのかっていうのは、ちょっと想像がつかない。
矛盾したものと戦っているのかもしれない。
あるいはこれまで育ててきた土壌を利用しつつ、そこから何かを生み出すか、そこに何かまったく異分野のものをぶち込んで、新しい魅力を作るのかもしれない。
後者であるなら、僕も実は当事者の一人になるのかもしれない。
最近とみに思うのは、『小説家になろう』ばかりを見ていると、視野が狭くなるということ。
なろうの新着作品欄を何となく見ていると、どんどん思考の視野が狭まってゆく自分を感じる。
なのでいずれにせよ、その土壌は利用しつつ、アプローチは外から持ってくるべきなんだろうなと思う。




