ドラマティックは視野狭窄を要求する
『白銀の剣姫はパーティを組まない』が思っていたより伸び悩んだ理由が、読者の感想によって見えてきた気がする。
おそらく、明智さんや伯爵さんの指摘してくれた、「主人公の問題がこれで解決されたように思えない」という部分が、一番の本質部分なのだと思う。
『無双の少年はハーレムパーティを熱望する』のエピソード3、シンディの話でした失敗と、同種の失敗なんだと思う。
主人公を不幸にしておいて、「えー、これで解決?」といまいち首を捻ってしまうような内容だと、読者は「面白かった!」と思えないわけだ。
今回特に悪かったのは、エピローグで酒場のまわりのモブをカメラインしてしまったことだと思う。
僕も想像してみたのだけど、最後のシーンで酔った拍子にトリーシャの表面に「出て」しまったらと想像したら、それはちょっとしたホラーシーンだ。
それやったら、ホラー作品として成功なんじゃないかと思うぐらい。
カメラインしない方法というのは、例えば帰りの道中でエンディングシーンを作るというような方法である。
最後に温泉シーンでドタバタやって、それで終わりにするとか、そんな感じ。
そうしていれば、もう少し読者の印象は変わっていたんじゃないかと思う。
カメラインするかしないかなんて小手先の子供だましのようにも思うのだけど、存外物語というものは視野狭窄を前提に成立しているもので、そもそも主人公の物語なんて、巨視的に見ればだいたい「どうでもいい」話なのである。
それがドラマティックに見えるのは、読者の視野が狭くなるように、書き手が誘導しているから。
意図して狭く狭く、っていうのもまた違う気がするけど、例えば「感情移入」なんていうのは、より広い視野から物事が見られなくなるという点で、視野狭窄を導く技法であると思う。
もっと根本的解決は……難しいだろうなぁ、この話。
一晩考えてみたけど、ご都合主義的なものでしか、成立しえない気がする。
ご都合主義でも、読者が受け入れたくなるようなご都合主義ならいいんだけどね……難しい。
伝家の宝刀『ストーリーメーカー』も、実は物理的クライマックスと心理的クライマックスが同時に訪れるというご都合主義を目的・前提にしたものなので、無理課題を可能にするものではないのである。




