オリジナリティなんてもの
シェイクスピアだかギリシャ神話だかで、およそすべての物語の形は出尽くしているという。
古今東西のあらゆる物語を調べれば、今自分がオリジナルだと思って書いている作品は、すでに同じような作品が世に出ている。
自分の書いている作品にオリジナリティがあるなんて思っているのは、単にその作者の不勉強で、知見が狭いだけだ。
本当にオリジナルな作品なんて、もう存在しえない。
──なんて、批評家ぶって言う人間がいるが。
「で、だから何?」と思う。
その作品にオリジナリティがあるかどうかなんて、読んだ人の主観でしか存在しえない。
その読者が、過去にその作品と似たような作品を読んだことがなければオリジナリティがあると思うし。
とても似た別の作品を読んだ記憶があれば、あれのパクリだ、オリジナリティがない、と判断する。
元々それだけの話で、オリジナリティとは、完全にオリジナルであることを必要とするものではない。
オリジナリティのない作品の何が悪いかというと、その作品に似た作品を読んだことのある読者を、白けさせてしまうことだ。
だから、年齢を重ね、たくさんのエンタテイメント作品に触れてきている読者や、あるいは出版社の編集者ほど、オリジナリティにうるさくなるのではないかと思う。
逆に言うと、作品に触れている量の少ない年若い読者ほど、オリジナリティ面で白ける可能性は低く、ただ単に面白ければいいということになる。
オリジナリティという面で、小説家になろうという場で最も気を付けなければならないのは、ランキング上位に掲載された作品と似ている作品を書くと、その作品にはオリジナリティがない、パクリだ、猿まねだと判断される可能性が高い、ということだ。
せめて直近の場所に掲載されている有名作品とぐらいは、似ない作品を書くことが、オリジナリティがあると評価されることに繋がると思われる。
ただ、他作品との差異というのは、あればあるほど好ましいというわけでもないのが、難しいところだ。
読者にとってオリジナリティを感じられる作品というのは、その読者がまったく知らない作品ではなく、読者の知っている共通言語を踏襲しつつ、かつ目新しいと感じる作品のことだと思う。
例えば、エルフは植物です、オーガたちにとっては野菜のようなものです、と言ったら、読者は良い意味でのオリジナリティを感じるより先に、気持ち悪さを感じて、作品自体に拒否反応を示してしまうかもしれない。
読者はオリジナリティを求めながら、同時に馴染み深さをも要求する。
昔、ドラクエ4コマだったかパプワくんだったか忘れたけど、柴田亜美さんが「8割は読者の期待通りをやって、2割を裏切る」という言い方をしていたが、多分そういうことを言いたかったんだろうなぁと思う。