初恋~橋崎飛鳥の場合~
どう考えたって、アタシには似合わない。
可愛い洋服も、自分を磨きあげる化粧も、豪華に飾ってくれるアクセサリーも。アタシには似合わないし、必要ない。アタシには信頼出来る家族がいるし、夢中になれるバドミントンだってある。だからそれ以外の事に興味なんてないし、構っている暇もない。
それは……他の人も同じようなものだと思っていたのだが。
だから、つまり。何が言いたいのか。
「飛鳥ってさ、好きな人とかいないの?」
――そんな話題を振られても、困ってしまうだけだ。という話。
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恋だの愛だの、そんなものはアタシの人生に必要ない。
……とまでは言い切れないのが玉に瑕。
将来を考えれば、きっとアタシだっていつかはそういう相手を見つけるのだろうと思うし、そういう願望がない訳でもない。ただそれは将来的な話であって、今すぐにほしいとか、そういうのではない。
高校を卒業して大学に進学して、そこで出会った人なのか、それとももう出会っている人なのか、それはわからないけれど落ち着いてきたら交際もして、きっと、結婚も。
なんて。それ以上の理想を語っていられる程の乙女思考を持ち合わせてもいないし、これから持つ予定もない。
「ねえー飛鳥ー」
平日の昼。大抵の学生が昼休みを満喫しているであろう時間に、アタシは友人数名と机を囲って昼食を採っていた。普通の日常。普通の生活。これ以上なんて、望んでいない。
「何だ?」
ミニトマトを一つ口の中に放って、奥歯で噛み潰す。トマトが赤くなると医者が青くなる、なんてよく聞くが……こうして食べている分にはあまり実感しないけれど、きっと相当な栄養分になるんだろうな。そんな事を間がえながら、友人の言葉に耳を傾けていた。
「飛鳥、ぜっっっっっっっっっっったい、好きな人いるでしょ?」
「………………それ、何度目だ」
ここ最近ほぼ毎日、訊かれる質問に、もうそろそろうんざりしてきた。
「だってさー飛鳥、弟出来たんでしょ? 二個下だっけ?」
――最近出来た、弟。
噂はどこから広がっていくんだろうな。アタシが口外しなくとも、気がつけばいつの間にかアタシに弟が出来た、という話は浸透している。家族の誰かが漏らしたのか――いや、恐らくそれはないだろうけど。
複雑な事情――とでも言うべきか、元は三姉妹だったアタシが、今では五人姉弟となってしまっている。別にその事に不満はないし、アタシには与り知らぬ理由があっての事だって知っている。
アタシが反論するような話ではないし、そもそも反論するつもりもない。
元から家族だった千春も咲紀も喜んでいた(千春はあまり興味を示していなかった)のだから。父親が決めた事で、二人が納得しているのならアタシも賛成だ。
「それがどうした?」
「かっこいいじゃん、圭兎君」
かっこ、いいか?
「………………そうか?」
考えてみても、圭兎君のかっこいいところが思い浮かばない。
橋崎家に来てからというものの、常に塞ぎ込んだような表情をしているし、圭兎君が笑顔を見せているのは、母親の前くらいではないだろうか。とにかくアタシは圭兎君のかっこいいところどころか、無表情以外の表情を見たことがない。
顔は整っていると思うし――って待て。
「それ以前に、姉弟なんだが」
……って待て。アタシが待て。
恋してるでしょって訊かれて弟の名前を出されて。でもただそれだけだろう。弟に恋してるのかと訊かれた訳でもない。何を早とちりして……。
「え? でも血は繋がってないんでしょ?」
いや、まあ……そうだが。
そもそもそういう対象として見ていないんだが。大体、恋愛にだって今は興味がないし。それにいくら血が繋がっていないとはいえ、やっぱり弟は弟な訳で。有り得ないだろう。
アタシが圭兎君に対して抱いている感情なんて、そんなに褒められたようなものじゃない。ただ単に色々な表情を見てみたいと。それだけだ。家族に抱くにしては実に淡白で、酷いもの。そうとはわかっていても圭兎君の表情がない事に、アタシがどうこう出来るとも思えない。
そういうのもやっぱり、アタシには向いていない。
「まあ、圭兎君には他にもっと良い女が現れるだろうな」
何を言っているんだ? アタシは。圭兎君の恋愛事情なんて口を挟む事じゃない。ましてや良い女が現れる、だなんて余計なお世話にも程がある。お節介だ。じゃあ、どうして。
こんな事を言ってしまうのも、毎日めげずに圭兎君に話しかけている咲紀に中てられたのかもしれない。そうだ……どんなに反応がなくても毎日毎日あんなに話題を振っている咲紀こそ、男が出来るべきだ。あんなに健気な子は他にはそういないだろう。
って……また他人の恋愛にうだうだと……。
「ちょっとトイレ行ってくる……」
冷静になれない頭を冷やす為に席を立てば、友人からは「行ってらっしゃい」の声。溜め息を一つ吐いて廊下に出ると、丁度――どこぞの神様の悪戯なのか――時の人である圭兎君がそこにいた。
学年毎で階が違うはずなのに、何故。それは圭兎君の隣にいる男子生徒の顔を見て理解し、納得した。
「あっ飛鳥先輩っ! 今日の部活って何時からですかっ」
同じバドミントン部の一年生である、天利門。練習熱心で飲み込みも早く、三年生の間でも「あいつは上がってくる」と期待されていて、所謂ホープという存在。だからこんなところまで来て部活の時間を訊いている、という訳か。
少々、真面目すぎないかと心配になってしまう気もあるが。
「今日は十六時からだ。初めにミーティングがあるから遅れるなよ」
アタシ達三年生の、引退試合ともなる春の大会がもうすぐそこまで迫っていて。その大会のオーダーが発表される今日、誰かが遅れてミーティングの開始時間が先延ばしに、なんて事はあってはならない。その辺は天利門なら大丈夫だとは思うが、一応忠告をしておく。
すると天利門はパァッと顔を綻ばせて「わかりました!」と言った。本当に、どこまでも真っ直ぐな目と姿勢を持った天利門。確かにこれならアタシ達が引退した後の部活を活性化させてくれるかもしれないな。
「先輩、ありがとうございましたっ。では、失礼しますっ」
ぺこりと勢いよくお辞儀をした天利門が、隣にいた圭兎君に声をかけて方向転換をする。その際――いや、正確にはアタシと天利門が話し始めてからずっと――こちらに一瞥もくれずにいた。まあ家でもアタシに目線をくれた事なんてないんだから、それは、当然か。
全くもって、わからない。
どうしてこんなにも、心が乱されるのか。
圭兎君はそれこそ、咲紀みたいな子が傍にいた方が良いんだ。
咲紀ならば、きっと圭兎君の心をいつか開いてくれる。
だからアタシが手伝う機会なんて、どこにもない。
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圭兎君が完全に心を閉ざす日が、それは存外早くやって来てしまって。
前々から耳にはしていた、圭兎君の母親の病気が悪化したらしく、とうとう、亡くなってしまった。
それが意味するのはつまり、圭兎君から家族がいなくなってしまった事。そしてアタシ達から母親という存在がいなくなってしまったという事。
それより何より――圭兎君との間に明確な溝が出来たという事。
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「――咲紀、圭兎君は大丈夫か?」
圭兎君の母親が亡くなってから、数週間が経って七月の中旬になっていた。大丈夫か、なんてあまりに人任せな言葉だが、今は咲紀に任せるしかないと思っている自分もいて。
あれから、圭兎君に話しかけ続けた咲紀。反応がなくても、どんなに暗い顔をしていても、あきらめずに話しかけ続けている咲紀なら、もしかしたら。
「んー……うん。何とか少しずつだけど、頷いたりしてくれて。だからまだ頑張りたいかな……」
疲れた表情で自室のベッドの上に座っていた咲紀が、ふわりと微笑む。その顔はわりと久し振りに見る咲紀の笑顔だったかもしれない。こんなになるまで咲紀は、圭兎君の事を支えようとしていて。
そんな咲紀に、アタシは何もしてやれない。
「そう、か。……色々と、すまんな」
居たたまれなくなって、アタシは咲紀の部屋から逃げ出す。
「あ、飛鳥……?」
咲紀の声にも耳を傾けず、立ち止まる事もせず、咲紀の部屋の扉をそっと閉めた。
このままじゃあ、駄目だ。
咲紀一人に頼りきるような真似は、家族じゃない。
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変わろうと思った。
そう思えたのは確実に咲紀のおかげだ。
部活も引退して夢中になれる事がなくなったアタシが、唯一頑張ってみようと思えた事。それは暇潰しだとかそういう目的ではなくて、ただ純粋に咲紀の手助けをしたいと思ったから。
圭兎君のせいで咲紀が疲れきった表情をしているのかは定かではないけれど、少なからずそれも原因の一つではあるはずで。だからその負担(と言っては聞こえが悪いが)を減らしてあげたかった。アタシに何が出来るのか。
わからない。
わからないから、試さなくては。
「なあ、咲紀……圭兎君はどうだ?」
七月の下旬に差し掛かってきた頃。
咲紀がこの間、「初めて圭兎君が話してくれたのっ」と言って喜んでいた。だから今しかないと思った。咲紀の努力を横取りするつもりはないし、そんな事をして咲紀がやって来た事を台無しにするつもりもない。
ただ少し、アタシなりのやり方で圭兎君を支えたいと思ったから。
長女として、少しでも『家族』を支えたい。
「圭兎君? えっとね、最近少しずつだけど自分の事も話してくれるようになったの。何が好きとか、休日によくしてる事とか。あとね――」
――ああ、やっと。
ようやく咲紀の瞳に色が見えた。
「あとね、あとね、圭兎君の――」
「咲紀」
言葉を遮られて、少し気まずい顔をした咲紀。ああ、違う。煩わしくなった訳でもないし、話を聞きたくないという訳でもない。でもこういう心配性――というか周りの顔色を窺いすぎてしまうのが、咲紀の長所でもあり短所でもあるのかもしれない。
もっとも、今は。
アタシの穏やかな表情に気がつかない程、話に夢中になっていたようだが。
だから気まずそうな顔をしている。
全く、本当に。
「咲紀――ありがとうな」
「……へっ?」
てっきりアタシに怒られると思っていた(と思う)咲紀は、ぽかんとした顔をして、次第に表情を歪めていった。まるで今まで我慢していた感情が溢れ出してしまったかのように。
ああ、ずっと堪えていたんだ。
誰にも弱音を吐かず、一人で耐えていたんだ。
もう本当に……アタシは何をしていた。
「圭兎君の事もそうだが……いつも咲紀にばかり無理をさせていてすまなかった。アタシ達は家族なのに咲紀の事を……圭兎君の事を放っておいて、本当にすまなかった。今更かもしれないが……アタシも咲紀の力になりたいんだ」
深く深く頭を下げて告げる。
家族として、姉として。アタシは今更咲紀の力になりたい。
今更でも、今から。
「あす、かっ……」
歪んでいた咲紀の顔に、二筋の涙の痕が生まれる。
「私っ……私ねっ、圭兎君が初めて話し、てくれた時、ほんとっうに……嬉し、くて」
ぽたぽたと零れ落ちた涙が、咲紀の膝を濡らしていく。広がっていくその痕を見ていると居たたまれなくなるが――今度は、逃げずに。アタシは咲紀に歩み寄っていく。
「咲紀、ありがとう」
ベッドに腰掛けて、隣で震えている咲紀を抱き寄せる。こんなに小さな身体に、何人分もの悩みを代わりに背負っていて。本当に申し訳なくて、それと同時に咲紀が妹であるという事実が、これ以上なく誇らしい。感謝が、溢れる。
「うんっ……う、ん」
背中をさすってやれば、咲紀はアタシに身を預けてその思いを打ち明けてくれた。一人でいるのは辛かった事も、寂しかった事も。圭兎君が初めて話してくれた時に自分しかいなかった事が、この上なくむなしくなった事も。
どうしてこんなに嬉しい時に傍に誰もいないのか。
どうして私は一人なのか。
そう考えては、苦しくなって涙を流していたらしい。それはそうだろう。自分が散々努力して実った結果なのに、周りを見ても手を取り合って喜んでくれる人は誰一人いないのだから。
それでも嬉しかったから喜びたくて、咲紀は千春には話しに行ったそうだ。千春は千春で手を取り合って、とまではいかなかったものの、咲紀のしてきた事を見ていたから大層喜んだそうだ。
当然といえば当然なのかもしれない。
千春は家族が大好きだから。
「咲紀、アタシな……」
でもアタシだって家族が大好きだから、ちゃんと前に進もうと思う。
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咲紀に「変わりたい」という思いを告げてから数日して、変われるチャンスは案外早く訪れた。
七月二十五日の放課後の事。もう部活も引退してしまったので授業が終わればただ帰るだけとなったアタシは、その例に倣って一直線に昇降口へと向かった。
部活のない日々は如何せん退屈で、すっかり目標を見失ってしまって。でも家族の為に変わろうと思えたから、目標はすぐに見つける事が出来たと思う。
そんな、七月二十五日の学校からの帰り道で、圭兎君を見かけた。
これは、チャンスか。
アタシはこの機会をチャンスに出来るのか。
出来る。したい。しなくては。
色々な表情を見てみたいと、そう思ったのはアタシなんだろう?
だったら声をかけるのはアタシがやるべき事。だからアタシは、口を開く。もう咲紀に寂しい思いはさせない。次に喜びを分かち合うのは、家族全員が良い。
「……圭兎君か」
声は裏返っていなかった。緊張はしていたが、それを悟られる事はなかったはずだ。大丈夫、大丈夫。
そんなアタシの思いとは裏腹に、圭兎君の返事はアタシの胸を抉る。まさかの「……どうも」だけだったのだ。いくら何でも傷付いた。
……と言いたいのだけれど、きっとこれはアタシが今までにやってきた事がそのまま結果として帰ってきただけだろう。もしもここに居るのがアタシではなく咲紀であったならば、こうはならなかっただろう。
だからこれは自業自得。傷付く資格なんてどこを探してもない。傷付いてはいけない。泣いてはいけない。とにかく今は、話してみよう。
「学校は楽しかったか?」
少しでも反応してもらえるのは咲紀のおかげだというのは、火を見るより明らかだった。咲紀があそこまで粘ってくれなければ無視されていただろうし。
本当に――咲紀には全てを任せすぎていた。
「……まぁ」
だから圭兎君が反応を示してくれるのを良い事に、アタシはどんなに返事が素っ気なくても話を振り続けた。
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話してみよう、とは言えアタシは咲紀みたいに頭が良くないから浮かんでくる話題なんて至極つまらないもの。というか、学校での事しか話していない。
しかし咲紀はどのような話術を使ったのか……。ここまでで圭兎君の気を引いた話題は皆無だ。無に等しいとかではなく、皆無。圭兎君の表情の変化もほぼ皆無。無表情がたまに眉を顰めるだけだから、むしろ悪いとさえ言えるレベル。本当に咲紀はどうやって……。
どうしよう。
どうすれば。
頭の中をぐるぐると駆け巡るやるせなさ。こんな時、咲紀や稟香のような頭の回転の速さがあれば。そんな事を思っても無駄だしアタシはアタシなんだから、自分なりのやり方でやって行くしかない。
うだうだ考えていても、それこそ無駄だ。どれだけつまらなくてもアタシにはこんな事しか話せないから、圭兎君には悪いが聞いていてもらおう。
そう心を切り替えて踏み込んだ横断歩道。
曇り空が少し暗い影を落とす。
信号は青。
成長するにつれていつの間にか忘れていた左右の確認。常々そんな必要はあるのか、だって青なんだから、と思って怠っていたソレが、今日に限って、何故。
人生なんて何が起こるのかわからなくて危険だと、今になってようやく思い知るなんて。
目の前にトラックが迫ってようやく、気がつくなんて。
――ドンッと何かが当たる感覚と浮遊感。
その衝撃に目を瞑ってしまい、視認する事は出来なかったが、地について感じた確かな痛み。
背中がアスファルトと擦れて熱い。肘から腕にかけてが焼けるように熱くて痛い。それと重みを感じた。この重みは何なのか、それを確認するべく身体を起こそうとすれば、目に入ったのは――
通り過ぎたトラックと、アタシに覆い被さっている圭兎君。何でこんな状況に? といまいち掴めていないアタシから離れた圭兎君は、そのままの勢いで通り過ぎたトラックに向かって叫んだ。
「――――――――――!!」
内容は頭に入って来なくて、それよりも『無』以外の感情を見るのが初めてで。
圭兎君が、怒っている。
叫んでいる。
感情を、露わにしている。
それにどうしようもなく驚いて、それと同時に、喜んで。こんな時に不謹慎だと、こんな状況で何を言っているんだと、そう思われても仕方がないけれど。
だからそんなのも束の間。圭兎君は方を上下させながらこちらに向き直ってまた叫んだ。
「アンタもアンタだっ! 左右くらい確認してから渡れよ! 死んだらどうすんだ! 死んだら……もう何も出来ないんだぞっ!!!」
叫ばれて。ああ、身体が痛い。耳が痛い。心が、痛い。心臓をぐっと鷲掴みにされたような痛み。
アタシは――不本意にも母を亡くした圭兎君に、こんなにも残酷な事を言わせてしまった。そのもっともな怒りに、圭兎君の感情に、エゴを通そうとした。最低だ。
今まで生きてきて一度も味わった事がないような、重苦しい罪悪感。きっとこれから先もこれ以上にアタシの心を締め付ける事はないだろうと思わせる鋭い胸の痛みに、息が詰まる。苦しくて目を逸らしたくて、でも決してそれは許されない。
「………………すまん」
呆気に取られて放心しようが、言葉を失っていようが、謝罪だけはしなければいけないと。罪悪感による使命感に駆られて口から出た言葉。自分がどんな顔をしていたのか、圭兎君にはどう聞こえたのか――それは圭兎君の表情を見るだけで明らかだった。
「っ……! 俺はっ俺はまだっ! やりたい事、とか……いっぱい、あるのにっ……死んだらっ……母さんとのっ……約束がっ……!」
もう、我慢出来なかった。
湧き上がる熱で心臓が張り裂けそうで。
考えるよりも身体が先に動く、とはこの事かと思った。
「ごめんね」
アタシの腕の中で少しばかり間抜けな声をあげる圭兎君の身体を強く抱き締めて、もう一度。反省の気持ちと、アタシを助けてくれた事で怒りを買ってしまった事。だから今だけは感謝の言葉ではなく、謝罪の言葉を口にしようと思った。
出来れば謝るのはこれで最後にしたい。これから先は、もっと違う事を話していきたい。笑っていてほしいし笑い合いたいと、思ってしまったから。だから、今だけ。
「ごめんね、圭兎」
まるで大人みたいな事を言ってまるで子供みたいに泣きじゃくる圭兎を抱き締めたまま。
一歩近づきたいという想いを込めて、名前を呼んだ。
これから少しずつ、圭兎の事を教えてくれないか。
そんな、甘酸っぱいお願いも込めて。




