十二月三十日――――夕方~リビング・玄関~
細くて、それでも運動をしっかりとしている事が分かる腕。
今まで家族をずっと支えて来てくれた、飛鳥さん。強くて凛としていて、いつも家族想いの優しい姉……。
でも、たまに見せる溶けたような笑顔や声が凄く可愛い――女の子だ。
いくらいつも凛としているからって、それだけが本当の姿だとは限らない。他にもいろいろな一面がある……少なくとも、飛鳥さんには。
「…………………………いかないで」
――声を震わせてそう言った飛鳥さん。後ろから抱きつく形になっているから表情は分からないけれど……でも、不安一色なんじゃないかと思う。
そして俺は、自分を恨む。
俺がしようとしていたのは、「橋﨑家を元に戻す」なんてものじゃなく、ただの「問題の先送り」に過ぎない。
大体、今この場で喧嘩なんてさせて……もっと仲が悪くなる可能性だって大いにあるんだ……。
俺は……俺はそんなに焦っていたのか……? 四人の仲を取り戻したいが為に、目先の事にしか手が届かなかった。
「焦りは禁物」、「急がば回れ」……今の俺にピッタリの言葉じゃないか。
「飛鳥さん………………」
追いかけなければいけない事は分かっている。でも……千春に合わせる顔が無い。今更追いかけて……「ごめん」なんて言えな――
――とんっとんっとんっ――ガチャッ。
心の中で無意味な言い訳をしようとしている俺の耳に、そんな音が聞こえた。階段を下り、リビングへの扉を開く音が。
「……な、何してるの?」
――俯けていた顔を上げ俺の目に飛び込んで来たのは、微妙に泣き腫らしたような目をしている、咲紀さんで。
……あぁ……そうか……咲紀さんだってこんな状況は望んでいないんだ。それなのに俺は……どうして事態を悪化させるような事を……。
再び俺の心を蝕む、罪悪感。
「いや……その……」
「ねぇ圭君……さっき千春の声が聞こえたんだけど……千春は……?」
咲紀さんのそんな疑問に、飛鳥さんは体を飛び上がらせた。きっと、自分の発言の所為で千春が家を飛び出したと、責任を感じているんだろう。
――悪いのは、俺なのに。
「……………………………………外に」
固く閉ざされた口から出て来たのは、たったの三文字だけだった。――が、咲紀さんはその三文字だけでも十分だったらしく――。
「外にって……もしかして出てったの!?」
そう叫んで、どんどん俺との距離を詰めて行く咲紀さん。だけど、俺は頷く事しか出来ず――。
――頷いた瞬間にパァ――ンという音が響き、自分の左頬がじんじんと痺れている事に気付いた。
「圭君! 何で千春を……!! 何をしたの!!!」
そう叫ばれて、俺は言葉を失う。
――咲紀さんがここまで怒りを露わにしているのは初めてじゃないだろうか? この間の喧嘩とは比べ物にならないくらいに――怖い。
キッと俺を睨みつけ、眉間に皺を寄せて……本当に『怒り』そのものだった。
「…………ごめ、ん……なさい」
一体俺は、何に対して謝っているのか。自分でも分からないままに謝罪の言葉を口にしていて。
とにかく怖かった。咲紀さんの勢いに圧倒されてそう言ってしまったのかもしれない。……いや、きっとそうだ。
「千春は……?」
「……分からないです」
「っ……!!」
――それだけ訊いて、咲紀さんも玄関に向かった。
「っ――!」
そして俺も、正気に返る。
――このままじっとしていたんじゃ、もう二度と二人には顔を向けられない。もう二度と、二人の笑顔を見る事が出来なくなる。
そんなの……嫌に決まってる。
再びギリッと歯を食いしばり、俺は飛鳥さんに「離して下さい」と、告げる。
「………………頼むから、行かないで」
さっきよりも調子を取り戻して来たのか、飛鳥さんは少しだけ強く言う。……が、
「飛鳥さん、大丈夫ですから。俺は――戻って来ます」
何としてでも、行かなくちゃいけない。俺は二人を追いかけなくちゃいけないんだ……。
「圭兎ぉ………………」
今にも泣き出しそうな飛鳥さんの声に心を痛める。俺だって……好きでこんな事をしてる訳じゃないんだ……飛鳥さん。
「絶対に、戻って来ますから」
俺がもう一度、強くそう言うと――飛鳥さんは腕を解いた。まるで脱力したかのように、するりと抜け落ちる腕。
飛鳥さんには申し訳無いが……俺は玄関に向かう。
「……ごめんなさい、飛鳥さん」
靴を履きながら、小さくそう呟き、扉に手をかけて押し開ける。
後方から聞こえた――――
「……馬鹿」
――――の声を背に。




