七月八日――――夜~歩道・家~
〈――――Keito Side――――〉
咲紀さんに置いて行かれる形になった俺は、とりあえず咲紀さんの背中を見送っていた。その小さな背中は一度も振り返る事無く、闇夜へ。
「……どうする?」
あの思い詰めたような顔を見る限り、咲紀さんにとっては大切な事なんだろう。けど、あの物言いは「先に帰ってて」という事だろうとも思う。
取り残された俺に残った選択肢は二つ。
①追いかける。
②帰る。
――ここで少しの間だけ待つ、という選択肢も無いではないが……。でもこの二つだろう。
『……みんなにごめんなさいって伝えておいて』
そういえば伝言を頼まれてたんだよな。家は目と鼻の先だし、まずは伝えに行くか……? いやでもこんな夜遅い時間に一人で歩かせるのも物騒だ。
「あぁもう!」
どうして俺はこういう時の判断が素早く出来ないんだ……!
――家と、咲紀さんが歩いて行った方向を見比べる。咲紀さんに何も無い事を祈るか……それとも伝言の内容が急用じゃない事を祈るか。
「っ――!」
――結局、咲紀さんが消えて行った方向に向かって走り出した。
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「はぁ……はぁ……」
俺は随分とウジウジしていたらしく、すぐに追いかけたつもりだったのに、その姿は見えない。どうやら数十分はあの場にいたようだ。
「どこ行った……?」
道は当然のようにして別れている。咲紀さんはその中のどの道を選んだのか……検討も点かない。
どこか……行きそうな場所は無いか?
――公園?
いや……正確にはもう平地と化してしまったが。
咲紀さんが、もしもあの時、俺を突き飛ばした事を悔やんでいるのなら……向かうかもしれない。それが無意識の内だとしても。
行ってみる価値は――在る。
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「っ――やめて!」
――前方からそんな声が聞こえて来たのは、再び走り出してから十数分が経った頃だった。
何度聞いても、すぐに聞きたくなる優しい声。暗闇で何をしているのかは見えないが――でも声の主が咲紀さんだという事は見なくても分かった。
「いたた……」
「わ、私に……触らないで下さい……」
「はぁ……君さぁー、上玉ぶってるけど――何なの?」
「……けて」
「は?」
あの声は……錦乃先輩? どうしてこんなところに……って、今はそんな事は問題じゃない。
「咲紀さん!」
声の聞こえた方へ足を繰り出す。俺の声に反応した人影が二つ、こちらを見ている。
「圭君――!」
そして一つの影が――咲紀さんが――力強く駆け寄って来て、その勢いのまま抱きついて来た。
「おっと……」
しっかりと両腕で受け止めると……無性に安心した。もう離したくない――ずっと傍にいてもらいたい。
「圭君……!」
俺の胸ポケットにぎゅっとしがみついたままの咲紀さんが、怯えたような顔で見上げて来る。
「また君かぁ……」
――そして、前方からは明らかに怒気の篭っている声が。さ、咲紀さんは何をしたんだ……? 錦乃先輩って温厚そうなイメージがあったんだけど……。
「咲紀さん? 大丈夫ですか?」
「……うん」
「ねぇー、無視しないでくれる?」
俺と咲紀さんが勝手に話し始めたからか、錦乃先輩はつまらなさそうにしている。
「またあなたですか……」
つい今しがた、同じような事を言われたが……実際、この台詞はこちら側のものだろう。
「はぁ……。あのねぇ一年、少しは『縦関係』っていうものを勉強し――」
「――咲紀さん、帰りましょうか」
正直言って、この先輩との口論は無意味すぎる。しかも、口を利けば利く程に自分の中の何かが惑わされる。
「――うん」
それを十分理解した咲紀さんも「帰る」と頷いた。
「おいおい君達さぁー、ちょっとおかしいんじゃ――」
「――あっ、そうだ咲紀さん」
「……なぁに?」
錦乃先輩に対して、徹底的な無視を決め込んだ俺は、躊躇無く言葉を遮る。
人の話は最後まで聞きなさい……なんて小学校で習ったけど、例外はあるはずだ。
「二回目になっちゃうんですけどね……」
抱き締めたままだった咲紀さんを一旦離して、肩に手を置く。と――今度は、飛び上がる事も無かった。
「――お誕生日、おめでとうございます」
錦乃先輩の眼前でキスをしても――拒まれる事は無かった。
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あれから――。
錦乃先輩は何を言う事も無く、悔しげな表情で俺達の前から走り去って行った。それを見て、俺と咲紀さんは少しだけ恥ずかしげに笑って。
そして、手を繋いで家に帰った途端に咲紀さんは千春に抱きつき、「ごめんね」と何度も謝っていた。
少しだけ時間が遅くなった咲紀さんの誕生日パーティー。俺が用意したのは、手の平サイズのハート型クッキー。
……まぁ、俺がこの家に着て初めて食べた咲紀さん手料理っていうのが、それだったから。
いろいろとトラブルはあったけど……咲紀さんの誕生日は最高の形になったのでは? と思ったり。
――少なくとも、パーティーが終わった後に見れた咲紀さんの笑顔を見る限りでは、大成功だった。




