四月五・六日――――夕方~深夜
俺達姉弟の関係を、ここで一度はっきりとさせておいた方が良いだろう。
俺と飛鳥さん、稟香さん、咲紀さん、千春は血の繋がっていない姉弟だ。俺から見ると四人は義姉で、四人から見ると俺は義弟なのだ。
厳密に言うと、俺の実の母親と父親が両方愛人を作り、蒸発したのが俺が中学一年の頃。そしてその相手というのが……今となっては俺の姉である四人の父親と母親。つまり、四人の実母は俺の実父と、四人の実父は俺の実母(旧姓・高津)と再婚をした。
現在この橋﨑家に住んでいるのは、俺と四人姉妹と四人の実父である玄一さんしかいない。
俺の母さんは……病気で死んでしまった。俺の母さんは死ぬ間際に、俺に遺言を託した。……俺だけに。
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入学式等が終わり、ようやく帰路に着いたところでそんな事を考えていた。正直、母さんの事を思い出すと辛くて滅入ってしまうので、あまり思い出したくは無い。
そんな気持ちも在ってか、いつの間にか早足で家に向かっていた俺は、あっと言う間に橋﨑家である自宅に到着した。
「ただいま帰りましたー」
努めて明るく玄関の扉を開けて挨拶をしたが、思っていた通りに家の中は暗い雰囲気に包まれていた。
一度深呼吸をしてから、リビングへと続く扉を開いた。
「たっ、ただいま帰りました」
目の前に広がっている光景は……ソファにどっかと腰を下ろしている玄一さん。そして玄一さんの前に立ち竦んでいる稟香さん。少し離れた四人掛けのソファにちょこんと座っている飛鳥さん、咲紀さん、千春。
「……稟香、お前は何をしたのか分かっているのか?」
「……はい」
「お前は、橋﨑家の名を汚したんだぞ」
会話の全部を聞かなくとも、大体は分かってしまう。今日の入学式の、アレだ。
稟香さんがステージから降りる時に躓き、転んでしまったアレだ。
普通の人にとって、全然大事では無いだろう。だが、この玄一さんにとっては、超大事なのだ。
人前で転んだだけで、名を汚すとまで言われる。厳しいとかの問題では無いだろうな、ここまで来ると。
俺もこの理不尽さには正直頭に来ている。
「……ごめんなさい」
「土下座だ、稟香。悪い事をしたんだからな」
「……」
無言で震えながら下唇を噛み締め、その場に膝を着いた稟香さん。そして、体の少し前に手を着――く前に、俺は稟香さんの前に回り込み、腕を掴んで土下座を阻止した。
「けっ、圭兎……君?」
「そんな事しなくて良いですよ、稟香さん」
優しく語り掛ける様に言って、両腕を軽く上に引っ張り、立ち上がらせた。稟香さんの顔を見てみると、目が潤んでいる。今にも泣き出してしまいそうだ。
「おい貴様、何をしている」
貴様扱いですか……まぁ、仕方無いけどさ。……やっぱり、血も繋がっていないのに自分の方針を邪魔されたら頭に来るかもな。本来なら俺が出しゃばる場面ではないだろう。
「何って……アンタのやり方がおかしいから止めただけですけど」
稟香さんから手を離して、玄一さんに向き直った。おぉぉ……怖ぇ。こんな至近距離で啖呵切ったのは初めてだ。
「俺の方針がおかしいだと? どこがだ」
「何で転んだだけで土下座させるのかが分からないですね」
「恥を晒したからだ。しかも公衆の面前で、だ」
……あぁもうったくこの人はマジ面倒臭ぇ。
「だ、か、ら、それくらいの事は恥を晒したって事にはならないでしょって言ってるんですよ」
「それは誰が決めた? ……この家で一番偉いのは、誰だ?」
もう怒った。いや、さっきから怒ってたけど。でも、もう我慢出来ない。母さんがあの時、俺にだけ残してくれた言葉が、今蘇る。
『……圭兎、あなたには離婚や再婚でいろいろと迷惑かけたわよね。でも、あなたは何も言わずに母さんに付いて来てくれた。
本当にありがとう。……それでね、最後に母さんからのお願い。
飛鳥ちゃんと稟香ちゃんと咲紀ちゃんと千春ちゃんと、仲良くね。どんな事があっても、四人を守ってあげて。それで、【普通の姉弟】になって、幸せにね』
「いい加減にしろよ! 何で転んだくらいで土下座なんだよ! 人間失敗の1つや2つ有るだろ! その度に土下座土下座って言ってたら、きり無ぇんだよ!
大体、アンタだってこの間転んでたよな! 階段から降りた時に! 俺は見たからな。じゃあアンタも土下座してくれんのかよ!?
っつーかアンタは稟香さんの事を何だと思ってんだよ!? 稟香さんはロボットじゃないんだぞ! 失敗もするし、恥をかく事だって有る! 人間ってそういうもんだろ!」
俺は大きく息を吸って、力の限り叫ぶ。
「――こんのクソヤロー!」
〈――――Rinka Side――――〉
圭兎君………………ありがとう。
〈――――Saki Side――――〉
圭君……どうしてそこまで……。
〈――――Asuka Side――――〉
あーあ……やっちまったな。
〈――――Chiharu Side――――〉
うっわーアイツどーなっても知らねーからな。
〈――――Keito Side――――〉
こっえー! 一応言いたい事は大体言ったけど……。怖すぎんだろ!
玄一さんは俺の話を聞き終わると、静かに俯いて「そうか」と言った。わ、分かってくれたの……か?
そう思って少し安心していると、玄一さんは急に立ち上がり俺に近付いて来る。……って! よく見ればこめかみビッキビキじゃねえか!
俺、死ぬな。
「貴様は人の家庭に口出しをしやがって!」
玄一さんは俺の胸倉を掴み、俺の体ごと宙に持ち上げた。……すげっ、人間って本当に宙に浮くんだ。
「ふざけやがってええええ!」
そのまま玄一さんは己の右拳を俺の顔面に突き出す。
あぁ、記憶が走馬灯の様に頭の中を駆け巡っている。……いや、これは走馬灯か。もう俺、死ぬんだな。短い人生だったけど、幸せだったよ。
母さん、俺……最後の約束、守れたかな?
顔面全体に、鋭い痛みが走る。ん? これは血の味か? そっか、口の中が切れてるんだな。
「圭兎君!」
近くで稟香さんの涙声が聞こえる。……泣かないで下さい、稟香さん。俺は――大丈夫だから。
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目を覚ますと、灯りの付いた部屋のベッドの上に寝かされていた。部屋の中を見渡すと、どうやらここは俺の部屋の様だ。……そっか、生きてたのか。
「り、稟香……さん?」
ベッドから降りたところでベッドに寄り掛かる様に体育座りで寝ている稟香さんが、そこに居た。
「んっ……」
稟香さんは目を開くなり、振り返って俺の姿を確認した。
「圭兎君……!」
そしてその勢いのまま、ベッドの上で座っている俺に抱き付く。驚きはしたものの、しっかりと抱き留めた。
「……ごめんなさい……私のせいで……本当に……っ……ごめんなさい」
「稟香さん、俺はこれくらい大丈夫ですよ」
「……ごめんなさい。いつ…………つも……助け……らって」
稟香さんの消え入る声は所々聞こえなかったが、何となく、言いたい事は伝わった。
「稟香さん、大丈夫ですよ、本当に」
そう言うと、稟香さんは俺から離れて――。
――俺の唇に、柔らかいものを押し付けた。