六月二十九日――――夕前~エレベーター~
「もうやだぁ……」
俺がハッチを思い出してから、十分は経っただろう。徐々に咲紀さんの『ここ』に対する恐怖が増して来た。元々密室が無理なのに加えてこの暗闇。怖いのも十分に頷けるだろう。
トラウマというものは……そういうものだ。俺だって父さんの借金取りから稟香を護ろうと立ち向かった事が軽いトラウマになっている。
あんな怖い思い、もう二度とさせたくない。俺だけなら良いけど、この人達には……もう二度と――
「圭君……?」
「へっ? あっ、はい」
「どうして急に黙っちゃうのっ!」
悪条件が重なるこの場所で、俺だけを頼りにしている咲紀さんの怒声を聞いて、「ごめんなさい」と本気で思った。
今、咲紀さんは本気で助けを求めている。俺はそれに気付いているのに、何故手を差し伸べられないんだ。本当に俺は――どうしようもないな。
〈――――Saki Side――――〉
うぅ……どうしてこんな事になったのよ……折角圭君と二人で摩周湖来れたのに……「間接キスだね?」とか言ってた自分が馬鹿みたいじゃない……。
あぁもうやだ……帰りたい……。
「咲紀さん……やっぱりハッチから出るしかないですよ」
圭君のそう言う気持ちは解るけど、今離れられたら……怖すぎだよ……何も見えないし寒いし何よりここ密し――って考えちゃ駄目……!
帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい……。
「えっ?」
私が心の中で自分と戦っていると、圭君が私を抱き締める力が急に強まった。
「ごめんなさい……俺の所為で……」
圭君の大きな手が私の肩を抱いて安心感を与えてくれる。こうして抱き締められているだけなのに、ここが自分にとって最悪の場所だという事を忘れてしまいそうになる。
――温かい。
この状態が何とも心地良くて、眠ってしまいそうになる。胸の『もやもや』は次第に薄くなって、消えそうになる。……でも、ここがエレベーターの中だという事を考えると……やっぱり体が震えてしまう。
圭君の所為じゃないよ、言わなかった私が悪いんだから。
そう言いたいのに、怖くて口が開かない。こんな時、励ましてあげられるのが姉としての自分の在り方のはずなのに……こんなんだから私はダメなんだよ……。
圭君は優しいから、こんな私の事を放っとかないでくれてるし、心配だってしてくれてるけど……きっとその内、愛想つかされて稟香ちゃんとかと付き合っちゃうんだろ――
『圭君……どうしてそこまで……』
『す、数学か……苦手じゃないけど、稟香ちゃん程は出来ないしなぁ……』
『あぅ……稟香ちゃんに先越されちゃった……』
『あのさ……圭君って、稟香ちゃんの事――――好きなの?』
「へっ?」
「さ、咲紀さん? どうかしました?」
いきなり私が上げた素っ頓狂な声、圭君が驚いている。
でも、私は自分の今までの思考に驚きを隠せない。
――どうして私は、いつも……稟香ちゃんなんだろう?
特に圭君が絡むと、いつもいつも稟香ちゃんの事が頭に出てきて。
まさか――嫉妬?
「違……う……」
「咲紀さん?」
「そんなんじゃ……そんな醜――」
「咲紀さん!」
「へ? な、なぁに?」
自分を失いかけていた私に、圭君は「何じゃないでしょ!」と怒鳴った。その声に身を震わせたけど、よく考えれば冷静さを欠いていた。落ち着かなくちゃ……。
「どうしたんですか……」
「い、いや……何でもないの……何でも……」
「何でもない訳ないでしょ……!」
――もしかしたら、初めてかもしれない。
圭君がここまで私に大声を上げるのは。
「そんな急に黙られたら『心配』するでしょ!」
「へ? し……心配?」
『心配』という単語に思わず耳を疑った。
「何驚いてるんですか……心配するに決まってるでしょうが――」
そこで一旦、圭君は言葉を区切った。……多分、雰囲気からして言い辛い事なんだと思うけど……。
「――俺にとって咲紀さんは、大切な人なんだから」
――ガコンッ。
「「へ?」」
『――ご来店の皆様に連絡します。只今の停電は事故によるものと判断されました。停止していた電気機器は直ちに再作動致します。ご迷惑をおかけしました』
「「へ?」」
電気が点いて、再びエレベーターは動き出した。
そして目の前に在ったのは……真っ赤になった圭君の顔。
〈――――Keito Side――――〉
電気とエレベーターが復活し、まず目に入ったのは耳まで真っ赤になっている咲紀さんの顔。
――ウィィィィ――ン。
そして次に目に入ったのが――
――エレベーターに乗り込もうとして停電の被害に遭った、客。
向こうから見れば今の俺達は、お互いに顔を真っ赤にして、凄い格好で抱き合っている高校生。
「「っ――!!」」
それに気付いた俺と咲紀さんは、この状況を確認する事も無く――、
「ぎゃぁああぁぁあぁぁああぁぁあ!!!」
「きゃあぁぁあぁあぁぁあああぁぁ!!!」
――悲鳴をあげた。




