五月十一日――――夕食
無事に家に辿り着いた俺達は、「疲れたから」と言ってお互いに自室で休んでいる。もう足がパンパンでどうにかなりそうだったから……助かった。
ベッドの上に寝転んで、思う。
どうして稟香の母親は、電話番号を教えなかったのだろうか。
親子なんだから普通、それくらいの事はするだろう。俺だって……父さんと母さんの電話番号は携帯電話に記録されているし。
理由が……あったんだろうか。それならまだ良い。理由も無しにそんな事をするよりも、よっぽどマシだ。
「でもな……あの態度ならな……」
あの――まだ稟香に冷たく接していた頃のあの人なら、理由なんて無かったのかもしれない。
「まぁ……良っか……」
良いんだ、もう。
彼女達は少しだけすれ違ったなんだ。でももう道は繋がった。何も心配する事は無い。
「寝よ……」
疲れも溜まっている……もう……寝よう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……君……圭君?」
目が覚めたのは、もう十九時を回った時だった。聞き覚えのある声が頭に響いて、体を揺すられている事に気が付いた。
「んっ……咲紀さん……お帰りなさい……」
「ただいま。もうご飯出来てるけど……一緒に食べよう?」
「えっ? もう作っちゃったんですか!?」
「あっう、うん。部屋覗いたんだけどね、何か……疲れてるみたいだったから」
「ほんっとすみません……」
俺は何度も謝って、咲紀さんと一緒に三人の姉が待つリビングに下りて行く。これは……寝過ぎたな。反省しなくては……。
「そ、そんなに謝らなくて大丈夫だよ? ご飯作ったの……私だけじゃないから」
「へ?」
な、何だと……。まさか今日の夕飯は、殺人級料理を並べる事になってしまったのか? お、俺はなんて失態をしてしまったんだ……!
「一緒に作ってくれたの………………お父さんが」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
………………。
リビングに無言の圧力がかかる。無論、玄一さんから発せられるものだ。
あれからリビングに入って来た俺達を迎えたのは、気まずさを剥き出しにした三人の姉と一人平気そうな顔をして全員が揃うのを待ち構える、玄一さんだった。
……待て。確かにあの時、玄一さんは「この家を出て行く」と言っていた。じゃあ何で帰って来た? そりゃ、俺としては帰って来てほしくない。稟香の事もあったし、それ以前に俺とこの人では根本的な何かが違うから。
「いただきます」
重苦しい雰囲気の中、声と口を合わせる。今すぐにでもこの場から逃げ出したい……。
「んん゛……お前達。父さんは明日からこの家には帰って来ない」
わざとらしい咳払いの後、玄一さんは真面目くさった声で口を開いた。……この一ヶ月くらい、たまには家に帰って来てたのか。
「だから、お前達と居るのも今日で最後になる」
あぁそうですか、としか言いようが無い。正直、こんな茶番みたいな事は時間の無駄だからしたくない。さっさと部屋に戻って勉強でもしている方が全然マシだ。
「今までありがとうな。飛鳥、お前はこれからもみんなを引っ張ってくれ。……咲紀、料理上手くなったな。千春、部活頑張れよ」
そう言って玄一さんは立ち上がり、玄関へ向かって行く。
「……稟香。お前には、迷惑かけたな」
とだけ言い残して。……まぁ、俺はそんなメッセージみたいなものを求めている訳ではないから良いんだけど。でも、稟香に何か言うのは意外だった。
パタンッと優しく閉められた扉を見て、姉達が固まっている。特に、稟香は誰よりも目を見開いて、驚きを隠せないでいた。
この人の場合、自分の娘達とすれ違った訳ではない。稟香の母親とは全くの別だ。この人は心を通わせていたにも関わらず、自分から捨てた。
ここに居る誰もがそんな事は分かっている。だから涙を流さない。理不尽だって分かっているから、泣くような事はしない。
「……食べよっか」
だが――そんな中、咲紀さんだけは涙を流して笑顔を浮かべていた。




