五月十一日――――昼前
「圭兎君……さっき、お母さんと何の話をしてたんですか?」
通話終了後、すぐに稟香さんが不思議そうな顔をしてそう訊いて来た。
「……聞こえてなかったんですか?」
「ええ……お母さんと話せたのが嬉しくて……」
うっ……その顔は反則だ……。目を潤ませて、上目遣いで見られると男ってヤツはどうしてもドキドキしてしまう。
今まで、稟香さん達を良いなと思った事は多々あった。そりゃ、こんなに優しい人がすぐ近くに居るんだ。手の届く距離に居るんだ……そう思うのも不思議ではないだろう。
でも彼女達は俺の姉な訳で。でも血は繋がっていない訳で。
それがいつも心に引っかかっていたんだ。いくら血が繋がっていないとは言え、これは『姉弟愛』に当てはまるだろうから。そうさ、俺は――
――天性の弱虫だ。
いつも世間体を気にしてる、臆病者だ。誰かに「大丈夫」と言ってもらえないとすぐ不安になる。
「圭兎君?」
何にでも模範解答を求める。正しいのか分からない事は、しない。
落ち込んだら数日立ち直れない事だってある、人間なんだ。
人は完璧じゃない。
全員が全員、正しい事をする訳ではない。じゃあ……その定義が間違っていないならば――
――姉弟愛も有りなのか?
それとこれとは、別か?
どちらか分からないから、俺はいつもそれを選んで来なかった。逃げて来た。
「圭兎君っ」
不意に、ぎゅっと手を握られた。
「へ?」
「何ボーっとしてるんですか?」
「あっいや……ごめんなさい」
見ると、稟香さんが俺の手に自らの手を重ねてこちらを見つめていた。……そのまま、手を離してくれる様な気配は無い。
これじゃあいろんな意味で自転車押しにくいんだけどな……。
「それで、お母さんと何を話してんですか?」
「え? いや……まぁ、いろいろと……」
「教えてくれないんですか?」
ぎゅっと、手を握って来る力が更に強くなった。くっ……。
「それは……」
俺が言わないと決め込んでいる事を察したのか、稟香さんが小さく笑って足を止めた。当然、つられて俺も足を止めてしまう。
「あの……圭兎君」
「何ですか?」
「……これからは敬語、使わなくて良いですよ」
「え?」
急に、そんな事を言われた。
「歳がたった一つしか変わらないのに敬語だなんて、心苦しいと思って」
「いや、そんな事は――」
――無いですよ、と続けようとした俺の声を遮って、稟香さんは凄く可愛らしい、輝いた笑顔を向けて来た。
「何より、私が圭兎君と近付いたっていう……証が欲しいんです」
「っ!」
近付いた……か。確かに、今回の事で稟香さんの知らなかった事は知れたし今まで知らなかった、稟香さんの良い所とか、意外と泣き虫だって事とか、携帯電話を操作する手がおぼつかないとか、何も無い所で転びそうになるとか、そういう事まで知れた。
お近付きの印に……みたいなものかもしれないな。
「それから、私の事……稟香って呼んでくれませんか?」
「えええ!?」
それは……驚いた。
いや、驚いた以前に年上を呼び捨てってあんまり好きじゃないんだよな……。
「お願いします。……私達は姉弟、ですから。呼び捨てくらいは……ね?」
何だこの可愛い生物。
「私も敬語、やめるつもりなので。君付けはやめませんけど」
やめないんだ。
「圭兎君……お願い」
そう言って稟香さんは、困った様に微笑んだ。目尻に泣いた跡があるのを見て、凄く――胸が痛んだ。
「分かりました……あっいや……分かった」
何か……慣れないな。いやでも、稟香さん――いや、稟香の頼みだから。今回の事でたくさん泣いた彼女の為なら、する。
「圭兎君、帰りましょう」
「敬語やめてないし……」
「私にはこっちの方がしっくり来るのよ……」
あっ、やめた。
でも……こういう中途半端な敬語を使ってる方が、稟香さんらしい。
「えっと……稟香……帰ろうか」
「うん」
俺は片手で自転車を押して、もう片方の手で稟香さんの手を握り返した。




