五月十日――――昼
心に響く――か。
昨日、千春と出かけた時に言われた言葉をベッドの上で思い出す。あれからは特に何も無く、ただ家に帰ってそれで終わりだった。
「はぁ……」
俺って、このままで良いんだろうか。その内『女たらし』とか言われそうだなぁ……。そうなったら俺は……俺の世間体はっ!
――まぁとりあえず、リビングに行こう。
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「おはようございます」
リビングの扉を開けてそう言うと、いつも通りの声が返って来る。……ここに居る四人が、俺に好意を寄せてくれている。直接「好き」だと言ってくれたのが三人で、それに似た事を言ってくれたのが一人。
もしかして……これが噂の世間一般で言う『モテ期』ってヤツなのか!?つ、ついに俺にもモテ期が――「圭兎君、早くその薄汚れた顔を洗って来なさい」――……来ないよなぁ。
「圭兎君、私は明日生徒会で遅くなるので」
「了解です」
ふむ……三人が遅くに帰って来るのか。明日の晩は、何を作ろうか。
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「おじさん、白菜下さいっ」
日曜の昼間の市場で、咲紀さんが笑顔を振りまいて買い物をしている。俺は主に荷物持ち。
彼女の背中を見ているだけで、凄い人なんだなぁ……なんて思ってしまう。オーラって言うのかな、輝きみたいなものがギラギラ出てるんじゃないかって思ってしまうくらいに。
「圭君? 帰ろ?」
そう言って俺から一歩半前で手を差し伸べて来る咲紀さん。その手をしばしばかり見つめていると、すぐに手が下ろされてしまった。
「ばーかばーか……」
……子供みたいに拗ねて、さっさと歩き出してしまった。
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帰路に着いたら、もう怒りはおさまっていた。……だが、その代わりに悲しみの様な表情が見て取れる。
さっき……どうして俺は手を取らなかったんだろうか。――いや、そんな事はもうとっくに気付いていた。何でなのか、分かっていた。
怖いから。
たったそれだけの事だ。これから先、例えば、千載一遇のチャンスで奇跡が起こったとして……もしも四人の中の誰かと付き合えたとしたら……。
責められるのが怖い。何で優しくしたんだと言われたら怖い。どうして付き合ってくれないんだと言われたら怖い。
全てが「もしも」の話だ。そうなるなんて確証は無いし、きっとそんな事は無いだろうと思う。けれど――、
――俺は、自分の為に『保険』をかけているだけなんだ。
……本当に、これで良いんだろうか。
逆に、姉達を傷つけないだろうか。
そもそも、それを望んでいるのは誰だ。
俺じゃない。
「あの……咲紀さん」
隣をゆっくりと歩く咲紀さんに、声をかける。お互い、正面を向いたままで。
「なぁに?」
「今から一つだけ……俺のしたい事して良いですか?」
無理なお願いだとは分かっている。咲紀さんにはそんな俺の願いを聞く義理は無いのだから。
でも……それでもきっと彼女は……。
「良いよ?」
――そう言ってくれるって……咲紀さんは優しいから絶対そう言ってくれるって、どっかで期待してた。
咲紀さんは俺を好いてくれている。俺ももちろん、咲紀さんの事は嫌いじゃないし、好きか嫌いかだったら――好きだ。
保険はやめだ。これからは――自分の気持ちを貫いても……良いじゃないか。今まで妥協して来たから、その代わりに自分に素直になる。
「後ろ向いて下さい」
「ふぇっ?」
俺の要求に、咲紀さんは驚いた顔を見せてから、少しだけ微笑んで体を百八十度方向展開させてくれた。俺のわがままを聞いてくれた咲紀さんを、俺は後ろからぎゅっと抱き締めた。
「圭……君?」
咲紀さんは驚いて、あたふたとしていた。……けど、その反応が可愛くてずっとこうしていたくなる。
「こ、ここ外だよっ? 誰かに見られ――」
「――じゃあ……家の中だったらずっとこうしてても良いんですか?」
「ぁぅ……それは……その……」
ちょっとからかいすぎたかも……。
そう思って咲紀さんから離れる。それでもずっと後ろを向いたままの咲紀さん。その後ろ姿を見ていたら、本当に愛おしくなってしまう。
「圭君……私のお願いも一つだけ聞いてくれない?」
ちょっと拗ねて膨れているのかもしれない……咲紀さんは後ろを向いたままで俺に願いを聞いて、と言っている。
「はい。喜んで」
咲紀さんからは見えないが、笑顔で答える。
「んーっと……それじゃあ――」
くるりと振り返った咲紀さんが、笑顔を浮かべる。
「――これからは、自分に素直になって」
……結局、姉には全て、お見通しだった。




