四月十日――――病室
三年前のあの日。……厳密には七月二十五日の事。
俺は中学校からの帰り道の途中で、高校から帰って来た飛鳥さんと出くわした。本当に出くわしたという表現がしっくり来ていた。……あの頃は。
「……圭兎君か」
「……どうも」
お互いに今程仲の良くない関係だった。飛鳥さんは俺を圭兎君と呼び、俺は彼女を『橋﨑さん』と呼んでいた。もちろん、稟香さんや咲紀さんや千春がいれば仕方無しに飛鳥さんと呼んでいたが。
そして記憶は、あの時に吸い寄せられる。
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「……圭兎君か」
中学校からの帰り道、あの四姉妹の一番上の姉と道端でバッタリ出くわした。知らん振りして通り過ぎようと思っていたのに、声をかけられてしまったからには無視出来ない。
「……どうも」
嫌々そう呟いて、先を急ごうとする。だが、この人は俺と足を並べて歩き出した。
「学校は楽しかったか?」
「……まぁ」
何なんだこの人……よくもまぁ仲も良くない俺に話しかけられるよな。あの……咲紀? って人もそうだけど、何であの四姉妹は俺の事をこうも構うんだ。
疑問が次々と沸いて来る。その一つ一つを打ち消そうと思うと、絶対に日が暮れる。そもそも、この人達と暮らし始めた事自体、俺にとっては一番の疑問なんだから。
「アタシは今日、担任に怒られたんだ」
恥ずかしそうに「ははっ」と言って笑っている。俺にそんな事を言われても困るので、
「へえ」
とだけ返しておいた。
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大分歩いて、だんだんと日が落ち始めた。だが、この人からの質問は底を尽きる気配が無い。そんなに質問に、俺は適当に「へえ」とか「そうですか」とか「まぁ」とか、無愛想な答えしか返していない。
そして、家に着くまでで最後の信号。
「――それでな、その工藤が面白いんだ」
楽しそうに話すこの人の話を、俺は聞く義理が無い。
「で、それを聞いた桜浜が――」
信号機が夕日に照らされて、『歩け』と言っているのか『止まれ』と言っているのか、判断に迷った。だが、このサインをこの人は『歩け』と取った
。それにつられて俺も横断歩道に足を踏み入れる。
――ゴォォォォォォォォォォォ。
左側から近付いて来るトラックを横目に、この人の話を聞き流す。そして、トラックが止まるべき場所で――――線を越えた。
信号は確かに、青だったのに。
「はっ!?」
それに、この人は気付いていない。トラックの運転手はコクコクと船を漕いでいる。このままじゃ――死ぬ。
脊髄反応っていうのは、この事かと思った。死を恐れて、反射的に両手を伸ばした。もう一メートル未満にまで迫ったトラックが死神の鎌みたいで、とにかく必死だった。
「ん? どうした?」
この人は、まだ気付いていない。どんだけ鈍感なんだっ……!
俺がこの人を突き飛ばす為に指し伸ばした両腕を、不思議そうに見ている。……っ! この運転手、ライトくらい付けて走れよ……この人全く気付いてねぇだろうが!
残り三十センチが俺とトラックの距離。
残り四十センチが俺とこの人との距離。
「クソがっ!!!」
鞄を放り投げて、思いっ切り地面を蹴った。そして、この人にタックルする要領で体当たりをする。
俺とこの人の体は綺麗に宙を舞い、アスファルトに転がり込む。
爪先を擦れ擦れで通過する、トラック。
ズザァァァァァ――そんな音を立てて、歩道に転がり込む。体の至る所が痛むが、そんな事は気にしないで立ち上がり、トラックに向かって、
「クソトラックが! 轢かれたらどうすんだ! 疲れてんなら有給でも何でも取りやがれクソヤロ――!!!」
大声で叫んでやったら、力が抜けてその場に崩れ落ちた。
隣で同じ様な状態のこの人は、まだ何があったのか理解していない顔をしていた。
そんな顔を見ていると、何だか無性に腹が立って、この人に向かって叫んだ。
「アンタもアンタだっ! 左右くらい確認してから渡れよ! 死んだらどうすんだ! 死んだら……もう何も出来ないんだぞっ!!!」
理不尽だ。人の事は言えない。八つ当たり。
そんな事は重々承知済みだった。だけど、とりあえず叫びたかった。叫んで、この人と同時に自分を叱りたかった。
「………………すまん」
この人は、本当に辛そうな顔で謝罪する。それが心に刺さって――泣き出すのを、抑えられなかった。
「っ……! 俺はっ俺はまだっ! やりたい事、とか……いっぱい、あるのにっ……死んだらっ……母さんとのっ……約束がっ……!」
死んだ母さんの事を思い出して、もっと辛くなった。病気で死んだ母さんに――
ぎゅっ。
――体に染み渡るかの様な、温かい感触。
「……へ?」
この人は、こんなにも理不尽で我侭な俺を、優しく抱き締めてくれた。
「ごめんね」
耳元で囁かれた言葉で、俺の涙腺は防波堤の用を成さなくなる。
道端で、思うが侭に泣いた。優しい姉の腕の中で。
「ごめんね、圭兎」
肩に落ちる俺の涙。その量はどんどん増して行く。
「俺はっ……!俺は――」
母さんに――会いたい。
「大丈夫。アタシ達が居るから――一緒に居るから」
初めて触れる、姉の優しさに、心が打たれる。苦しくて辛くて悲しくて寂しくて――嬉しくて。全部の感情がごちゃ混ぜになって、俺を締め付ける。でも、一つだけハッキリした感情が、心に在る。
ありがとう。
それだけが、ハッキリと。
「ありがとうございます……っ……飛鳥さん」
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中学一年生だった頃の俺は――特にあの時は――凄く不安定で。心の拠り所を常に探していた。けれど、それは、意外にもすぐ近くに在った。
家族
血なんて繋がってなくて良い。家族が居るだけで、心は安定する。
飛鳥さんの誕生日を祝って、彼女に触れて――再び気付かされた。一日経った今日、改めて感じられる家族の大切さ。
「飛鳥さん」
そして彼女は、今日もお見舞いに来てくれた。今日は退院日だから良いですって言ったのに……月曜日で学校も部活も有るのに、来てくれた。
「ん? 何だ?」
そんな優しい姉を持った俺は、とんだ幸せ野郎だ。
「ありがとうございます」
飛鳥さんの目を見て、しっかりと言う。この感謝の気持ちは、三年前からずっと続いている、俺の偽りの無い本心だ。
「――――――――――――」
彼女は少しだけ驚いた様に目を開いて、それからすぐにいつもの凛とした、それでも優しい笑顔を見せて、
「うん」
と、幸せそうに答えた。




