四月八日――――夕方~病院~
「いってて……」
頭痛とは違う頭の痛みに目を覚ますと、そこには知らない天井が広がっていた。……確かあの後、男に頭を殴られて……駄目だ、そっからの記憶が全然無い。
「圭兎……君……?」
次に目に入ったのが、泣き崩れて目が真っ赤になった――、
「稟香……さん」
――姉の顔。
上体をゆっくりと起こして辺りを見回すと、俺が寝ているベッドの空間がカーテンで仕切られていた。……ここは病院か?
「圭兎君っ!」
呆然としている俺の首に手を回し、稟香さんが勢いよく飛びついて来た。
「へ?」
いきなりの事で、間抜けな声を出してしまった。え? 待て、何で俺は今病院にいるんだ?
思い出せ橋﨑圭兎。…………………………………………!
そうか……! 父さんの借金の取り立て人に稟香さんが捕まって、助けるのに必死だった俺は殴られて気絶。それで病院にいるって訳か。
え?じゃあ――、
「稟香さん、怪我は!?」
――稟香さんはあの後、どうしたんだ。俺が気絶して、それからあの野郎共に変な事はされていないか?
「私は大丈夫です。……っでも、圭兎君が……!」
抱き締める力が強まるのが分かった。震えた体が、精一杯とでも言う様にして、俺を抱き締める。
「俺は――」
そんな彼女に、今かけてあげられる言葉は何か。
「――大丈夫ですよ」
結局、いつもと同じ言葉。唯一俺が姉に気持ちを伝えられる、俺の言葉。
「っ……ばかぁ……!」
唯一姉が俺の気持ちを汲み取ってくれる、魔法の言葉。
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「落ち着きましたか?」
泣き出してしまった稟香さんの背中をさすり始めて数分経った。泣くがすすり泣くくらいに納まったので、静かに声をかけてみる。
「っ……」
稟香さんは、黙って頷く。まだ泣いている様だけど。
離れる体温に少し寂しさを覚えながら、稟香さんが完全に離れるのを待った。俺には、伝えなければいけない事がある。
「稟香さん」
「……はい」
泣き顔を見られたくないのか、俯いている稟香さんに向き直って、全力で頭を下げた。
「本っ当にごめんなさい! 俺の父さんの所為で、怖い目に合わせてっ!」
父さんの借金の所為で、稟香さんに怖い思いをさせた。
父さんの借金の所為で、橋﨑家は危険な目に合うかもしれない。
父さんの借金の所為で、俺は怪我をした。
父さんの所為で。
「だから――」
父さんの所為で、
「――もう、俺とは距離を置いた方が……良いと思います」
俺は四姉妹と距離を置かなければいけないかもしれない。
父さんの所為で。
「な……何でですか?」
「だって、俺と一緒にいたら……また同じ事を繰り返すかもしれないんですよ……また稟香さんが怖い思いをするかもしれない……今度こそ怪我をさせるかもしれないんですよ?」
「………………」
「俺は、そんな事を望んでない……」
はっきりと告げる。
「……大切な人を傷付けるなんて、俺は望んでないんです」
家族だから。俺達は、三年前に結ばれた、家族なんだから。家族が傷付くのは、見たくないから。
「それは……私だって同じです。圭兎君が傷付くのは見たくないです。怖い思いだってしたくないです。あんな人達に触られるくらいなら、ドブに浸かってやるってくらいに、触れられたくないです」
「じゃあ――」
「――でも!」
叫ぶ稟香さんの目には、大粒の涙が……、
「それ以上に私はっ――!」
……零れ落ちた。
「私はっ――圭兎君が好きなんです!」
辛かった。距離を置いた方が良いなんて言うのは。思ってもいない事を口にして……傷付くと分かっていたのに。自分も稟香さんも、どっちも傷付くって、分かってたのに。
何で俺は物理的な痛みを恐れて、精神的な痛みを選んでしまったんだろう。
「圭兎君が傷付くのも、怖い思いをするのも、あんな人達に触れられるのも、全部嫌です! でも…………! でも、私は! 圭兎君と一緒に居られない自分を見るのが――」
「――一番嫌なんですっ!!!」
ここまで感情的になる稟香さんを見た事が無かった。
誰がここまで稟香さんを感情的にさせた……俺だ。
誰がここまで稟香さんを傷付けた……俺だ。
誰がここまで稟香さんを泣かせた……俺だ。
全部、俺だ。
「だからっ……そんな事、言わないで下さい……!」
「でも――」
「言わないで!」
今までは隠して来た、初めて見る、姉の顔。
「……はい」
今までは見せて来た、たまに見る、女の顔。
そのどっちもが稟香さんだけど――
「――っ」
――こうして、俺に普通にキスをする様になった、こっちが本当の稟香さんなのかもしれない。




