四月六日――――深夜
「大好きです」
そんな事を言われるのは、果たして人生で何回ある事だろうか?
「稟香さん……」
「……はい」
俺を大好きだって言ってくれる、彼女の為にも、今の俺が出来る事は――
「俺に任せて下さい」
――彼女を救う事だ。
稟香さんは俺から離れて「お願いします」と呟いた。小さいけどはっきりとしている、凛とした声。
今泣く程傷付いている稟香さんの為に、人肌脱ごうじゃないか。いつもお世話になっているんだ、その恩返しをしようじゃないか。……いや、恩返しなんてもんじゃない、これは俺が……俺自身が望んだ事だ。
「それじゃあ、また……」
後で、とか明日、とかは言えなかった。ここに戻って来られるなんて確信はしてなかったし。
「圭兎君……」
部屋から出て行こうとする俺を、稟香さんが呼び止める。
「……ありがとう」
そして、泣き声でお礼を言った。
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ガチャッ。
再びリビングに戻ると、橋﨑家の姉妹三人がそれぞれソファに座って俯いていた。
「……あの……稟香さんの事なんですけど……」
どう切り出して良いか分からず、口ごもってしまう。
「稟香さん……泣いてました。きっと、稟香さんは……この中の誰よりも――」
この言葉を口に出したら、嫌われるかもしれない。殴られるかもしれない。でも、それでも――稟香さんが助かるなら、別にどうでも良かった。
「――この中の誰よりも、悲しいんだと……俺は思います」
言った途端、飛鳥さんが立ち上がって俺の胸倉を掴んだ。
「テメェ……! ふざけてるのか?」
至近距離から飛鳥さんに睨まれるのは、想像以上に怖かった。
「アタシ達よりも、稟香の方が悲しい、だと? ぁ?」
「……はい」
「……ふざけるなよ! 何で実の子供であるアタシ達より、血の繋がってない偽の子供の稟香の方が悲し――――」
「そういう言い方はやめろ!」
飛鳥さんの言葉を遮って、つい大声をあげてしまう。ここから先の段取りは色々と考えていたが、今の言い方には腹が立った。
「何が偽の子供だよ! そういう言い方されんのが、俺達にとっては一番嫌なんだよ! なりたくもないのに知らないヤツと姉弟になって、全然知らない環境で生活する事になって! 新しい家族と頑張ろうって思ってる俺達に、どうしてそんな言い方するんだよ!」
俺達にとって、俺や稟香さんにとって……それは最悪だった。再婚相手の家の子が一人っ子ならそれは五分五分だっただろうが、稟香さんには三人の……本物の姉妹がいたのだから。
そして俺には、四人の姉妹が居た。馴染めるなんて、思ってもいなかった。
「……っ」
飛鳥さんが苦しそうに下唇を噛む。
「だとしても、何で稟香が一番悲しいんだよ」
「本当に分からないのかよ……稟香さんはこの家に、誰もいないんだぞ……血の繋がった家族が……誰もいないんだぞ……!」
「………………」
「母親が前にこの家から出て行って、自分一人ここに取り残されて……今度は父親が……この家の父親が出て行くって……いくら血が繋がってないって言っても、自分の世話をしてくれた人だから、思うところは有るんだよ。
今度こそ、誰もいなくなった。稟香さんがこの家で頼れる人なんて……もう――誰もいないんだ」
そう告げると、飛鳥さんは俺の胸倉から手を離した。
「…………………………そうか。それは……すまなかった」
そして、俺の目をしっかりと見て、謝った。
「頼れる人なんていない……か」
苦々しげに呟いて、リビングを出て行く飛鳥さん。それに続いて、咲紀さんも千春も出て行った。
一人になったリビングで、溜め息を吐く。……全く、いつから俺はこんな柄でもない『汚れ役』になっちまったんだろうな。
「はぁ……」
溜め息をもう一つ吐いて、ソファに腰を下ろした。これで少なからずや俺と橋﨑家姉妹の間に溝が出来ただろう。
もしかしたら咲紀さんの手料理なんて永遠に食べられないかもな……。
ガチャッ。
「圭君……」
不意に、リビングの扉が開かれた。
「咲紀さん……」
「今ね、みんなで稟香ちゃんに謝って来たの……」
「っ……」
まさか、謝るなんて思ってもいなかった。てっきり怒って自分の部屋に戻って、それで終わりかと思っていた。
「それでね、飛鳥も千春も、私も……二人に悪い事したなって、反省してる……本当にごめんなさい」
そう言って深々と頭を下げる咲紀さん。
「あっいや……別に、謝られる様な事は……」
「ううん。私達がきちんと二人の気持ちを考えてれば、こんな事にはならなかったから……」
「でも……」
「ごめんなさい、圭兎君」
初めて呼ばれる、咲紀さんからの『圭兎君』には、どこか――距離を感じた。
「それでね圭君。一つ、訊きたい事が有るんだけど」
「はい?」
「あのさ……圭君って、稟香ちゃんの事――」
――好きなの?




