そして……
6月26日コミック2巻発売です。
日常ではさえないおっさん、本当は地上最強の戦神が8月1日スニーカー文庫より
発売中です。
最下層の村人に転生したけど、無双の魔法戦士になったという新作を始めました。
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ジークの孫ユミルが即位してから時が流れた。
大いなる戦いから人類は何とか復興し、いくつも国が興った。
その中でトゥーバン王国は世界最強と言われる戦力を誇りながらも特に動きを見せることはなく、平和を守っていた。
他国もトゥーバン王国を刺激しないように細心の注意を払っていた。
マリウスという英雄、そして彼が築き上げたものに対する敬意と畏怖の念があったからである。
しかし、それも年月の経過とともに薄れていき、ついにトゥーバン王国に野心を向ける敵国が出現した。
「……トゥーバン王国が攻め込まれるなんて初めての経験よね」
と王宮の上空で呟いたのはネルガルである。
美しく成長した彼女の外見は二十歳くらいにしか見えないが、王宮にいる全ての人間よりも長生きだった。
「はい。いかがいたしましょうか?」
彼女のそばに控え、彼女の意思を確認したのは魔王ゾフィである。
彼女が生まれたころからこの国に仕えている古参の一角だ。
トゥーバン王国の住民にとって魔王とは恐ろしい敵ではなく、自分たちの暮らしを守ってくれる戦力である。
「もちろん叩き潰す。父上が作った国に仇をなす奴らなんて、跡形も残さず滅ぼしてあげる」
表情も声色も穏やかだったが、言っていることは過激だった。
「御意にございます」
ゾフィは逆らわない。
ネルガルは成長したと言っても根本の部分、父への偏愛っぷりは何も変わっていなかった。
そのネルガルは王宮にある王の執務室に降り立つ。
「ネルガル様」
彼女の姿を見て国王ユミルは手を止めた。
ユミルにしてみれば彼女は祖父の妹であり、王国最強の戦力である。
多くの男と同様、初恋の相手でもあった。
「ユミル。バベル帝国とやらを叩き潰すわ。許可を出しなさい」
ネルガルは命令口調で言う。
これは彼女だから許される行為である。
そして彼女といえど、王の許可なしに勝手な行動は慎まなければならない。
マリウスが作ったルールを彼女は忠実に守っている。
「は、しかし、ネルガル様にお願いしてもよいものでしょうか……?」
ユミルが迷うのは国家間同士の問題なのに、ネルガルという規格外の戦力を出してもよいのかという疑問があるからだ。
「馬鹿なことを。私が出ないと犠牲者が出るわよ。お前は民に被害を出すというの?」
「……兵に死ねと命じるのも、国王の責務にございますれば」
ユミルはためらいつつも抗弁する。
ネルガルが発する空気の温度が急速に低下していく。
「被害を出さなくてもいい手段があるのに、それを選ばないのは怠慢ですらない暗愚だわ。……この国に暗愚な王はいらない。理解している?」
「は、はい」
ユミルは恐怖を抑え込みながら、震える声で返事をする。
暗愚な王は排除すると彼女は言ったのだ。
ネルガルがその気になれば誰にも止められない。
ユミルはそのことを思い知っている。
「もう一度だけ言ってあげる。命令を出しなさい。バベル帝国を滅ぼせと」
「た、民に罪はないのではありませんか?」
ネルガルの圧力に屈しそうになりながら、それでもユミルはうんとは言わなかった。
彼は無関係な民草が巻き添えで死ぬのをよしとしなかったのである。
彼女はすっと目を細めた。
(やばい、死ぬ)
ユミルは覚悟を決める。
無駄な被害を出さないのは彼の意地だった。
あくまでも貫こうと撤回はしない。
「……そういうところはジーク兄上に似たのね」
ネルガルの懐かしそうな声とともに、圧力が消える。
ユミルは絶体絶命の窮地が去ったことに心から安堵した。
死を覚悟したとは言え、死ななくてもよいならばその方がうれしいに決まっている。
「ジーク兄上ゆずりの信念と気骨に免じて、バベル帝国の軍勢を全滅させるだけで許してあげる」
「あ、ありがとうございます」
ネルガルの譲歩にユミルは礼を述べた。
一国の王と最大戦力という関係だけで言えば彼女たちのやりとりは奇妙なのだろう。
だが、彼らにとってはこれが正常だった。
「では敵の戦力をせん滅してください」
「了解。すぐ帰るわ」
ネルガルはそう言って出ていく。
恐ろしい言葉だが事実だろうなとユミルは思う。
外に出たネルガルは、部下たちに召集をかける。
「私が出る。それまで防衛に専念しなさい」
「はっ」
呼び集められたのは魔王ゾフィ、魔王アルビレオ、魔王オミクロン、魔王スラファトの四名だ。
彼らはそれぞれに配下の軍団を持っている。
彼らの基本的な役目はネルガルの留守を守ることだった。
それぞれの軍団に魔人が複数いることを考えれば、過剰すぎるほどの戦力である。
トゥーバン王国は決して他国へ侵略しようとしない為、この異常な戦力の実態はほとんど知られていなかった。
この戦力全てよりもネルガル一人の方が強いという事実くらいだろう。
「いってらっしゃいませ」
ネルガルに声をかけたのは魔人エルだ。
彼女が生まれる前から彼女の父に仕えていたという古参の存在である。
「ええ。私がいない間の指揮はエル、あなたがやりなさい」
「かしこまりました。ネルガル様」
エルはただの魔人でありながら、特にネルガルに信頼されていた。
彼女はそれを誇ることはない。
ただ自信ありげにほほ笑むだけだ。
ネルガルが去った後、魔王たちは相談しあう。
「ネルガル様はどれくらいでお戻りになると思う?」
「十五秒もあれば十分だろう? 接敵に数秒、敵を倒すのに数秒、戻ってくるのに数秒だ」
魔王アルビレオの意見にエル以外が賛成した。
それでも油断せず留守役の気を引き締めるのだから、ネルガルの防衛意識はすさまじい。
「何だ、エル? お前は賛成しないのか?」
ゾフィの言葉にエルは頷く。
「ええ。バベル帝国は何と五十万も兵を動員したそうです。ネルガル様と言えど、全滅させてお戻りになるには二十秒くらいかかるかと思います」
「なるほど。無駄な努力だな」
魔王オミクロンが呆れる。
ネルガルの前に数など意味はなさない。
蟻の大群が大洪水の前には無力なのと同じだ。
「戻ったわよ」
ネルガルは案の定、一分足らずで戻ってくる。
「さすがです、ネルガル様」
ゾフィのヨイショに彼女は鼻を鳴らす。
「バベル帝国そのものを滅ぼすならもう少し時間がかかったけどね。軍勢を潰すだけだったもの」
ネルガルは事も無げに言い放つ。
そんな彼女は「トゥーバン王国の守護神」と呼ばれている。
彼女がいる限り王国は安泰だと。
「人間とは愚かですね。ネルガル様に弓を引くなど」
魔王オミクロンが笑う。
「人間は愚かよ。私が父を除いてね」
ネルガルの声色が冷たくなる。
「も、もちろんです」
オミクロンは死に物狂いで訂正した。
彼女の前で彼女の父マリウスを悪く言うことは、最大の愚行である。
生まれて来た事を後悔するハメになることは、太陽が東から登って西に沈むようなものだ。
ゾフィやエルといった古参は「馬鹿な男だな」と冷たい目で見る。
「私は守っていくの。父が作ったこの国を。誰にも邪魔をさせない」
彼女は空を見ながら力強く呟く。