講義を受けるネルガル
11巻発売記念です
太陽は蒼天に輝きぬくもりを伝え、風は春の匂いを遠くまで運ぶ。
今日も人々は何もないおだやかな日を送ることを期待し、仕事に精を出す。
王朝が変わり支配者が変わろうとも、庶民に大きな影響は出ない。
せいぜい税率があがったりさがったりするくらいのものだ。
そして大抵があがる。
理不尽だと舌打ちする者は多いが、国家権力を奪った者に逆らう勇気はない。
悪口が権力者の耳に届かないように、こっそりと家族や友人の間でだけ話すものだ。
暗君、暴君と呼ばれる王は己の悪口を許さず、密告を奨励する。
そうして血の雨が降り、風よりも悲鳴の方が国土に響く時代が到来するのだ。
「と、王によって、多くの人々の暮らしが変わるのです」
「へー」
教師の説明にネルガルは適当な返事をする。
明らかに興味がなさそうな反応だが、この幼女はこれでいて話はきちんと聞いて理解しているところがやっかいだ。
「ネルガル様はどのような王になりたいですか?」
「え? 王になるのは兄様でしょ? ネルは兄様たちを守ってあげるの!」
きょとんとして可愛らしく首をかしげる少女。
アウラニースの血を引いているだけあって、類まれなる美貌を持っているがだまされてはいけない。
教師はそう自分に言い聞かせる。
「もしもの話にございます、兄上たちに何かあった場合はネルガル様がマリウス様の後を継ぐのですよ」
「何もないよ? ナニカってそのナニカもお父様からは逃げると思うの」
ネルガルは父に対する盲目的な信頼を口にした。
教師は内心とてもよくわかると思う。
マリウスとアウラニースの組み合わせとなると、どんな災厄だって逃げ出すに違いない。
「あくまでも王としての心得を学んでいただきたいのです。兄上たちが道を誤った時、正せるのはネルガル様なのですから」
教師が辛抱強く言い聞かせると、ネルガルは真剣な面持ちでこくりとうなずく。
「そうだね。兄様たちが悪い子になったら、ネルガルが責任をもってオシオキしなきゃね。……うっかり殺さないように気をつけなきゃ」
ぼそりと付け足された声は、聞こえなかったふりをする。
ネルガルの強さはすでにマリウス、アウラニースに次いで世界三番手だという。
強さ的には一般人の範疇のジークたちでは、殺さずに殴る方が難しいかもしれない。
「お分かりいただけて何よりです。では王者の心得を」
「王とは民を守るもの。彼らの平穏な暮らしを保証し、有事の際には外敵を倒してこそ王。ゆえに王とは人々の上に立つ。人々に幸福をもたらし、万難を排除する能力を持ち、責任を果たすかぎりは。だっけ?」
さらりとネルガルは言い放ち、確認するように教師を見上げる。
「……それがネルガル様の王道ですか。マリウス様と似ていらっしゃいますね」
「うん、お父様のまねをするの!」
彼女の満面の笑顔での発言を聞いた教師はそっと感嘆した。
偉大すぎる父親というのは、しばしば子供たちにとって呪縛になるものである。
何をやっても父親の影、威光というものがつきまとい、何とかして逃れようともがいて破滅してしまった人物は、歴史上にいくらでもいるだろう。
このネルガルはいい意味で、そのようなものとは無縁のようである。
「さすが、あの英雄のご令嬢というところでしょうか」
息子たちも、優秀すぎる妹を見てきたせいなのか、そうそうにある程度あきらめの境地に達したらしい。
いくら何でも早かったと思うものの、比較対象がネルガルとなると、あきらめるだけだったのは立派だという考えもできる。
「うん? お父様すごいってこと? お父様すごいよね? 最高だよね?」
「あ、はい」
ネルガルは基本的に父親が褒められると機嫌がいい。
困ったらとりあえずマリウスを褒めておけ、というのは城内の人間がこっそり口にする冗談の一つだ。
(マリウス様すごい、は最強の魔法……だったかしら)
教師は威力をまざまざと実感する。
「ネルガル様、マリウス様のような偉大な方になってくださいまし」
彼女がそう言うとネルガルは困った顔をした。
「ネル、お父様みたいになれるかなあ? お母さまくらいになら、がんばったらなれそうなんだけど」
アウラニースくらいで充分すぎるのだが、この少女の中では違うらしい。
また彼女の中で父親と母親の評価に差がありすぎるなと思うが、それだけ父親が大好きなのだろうということにしておく。