在りし日の追憶
「力は何の為に使う?」
ある時、デカラビアはザガンに尋ねる。
彼らはアウラニースに鍛えられてメキメキと強くなれた。
いや、強くならなかったら死んでいただろう。
「そりゃ決まっている。人間をぶち殺す。俺の親父とお袋を殺したあいつらを根絶やしにする。その為の力だろう」
ヘカトンケイルは怒りと憎悪を込めてはき捨てると、スライムを見た。
「そういうお前は? 何の為に?」
「守る為だ。俺は誰も守れなかった……今度は守れるようになりたい」
デカラビアは苦い過去を思い出す。
無力だった頃、自分たちより圧倒的に強い者達に蹂躙されるしかなかった日々を。
「はぁ? 敵はぶち殺せよ。全滅させろよ。そうすれば結果的に守りたい奴を守れるだろうよ」
ザガンは理解できないと言わんばかりであった。
敵を皆殺しにすれば脅威はなくなる。
彼はそう主張しているのだ。
「敵を全滅させてどうする? 俺は守りたい奴らを守れたら、それで十分なんだよ」
デカラビアはなだめるように答える。
それがザガンには気に入らなかった。
「何を生ぬるい事を言っているんだ? お前がそんなつもりでいたとしても、敵の方が寄ってきたら意味がないだろう。先手必勝という言葉を知らないのか?」
声を荒げて主張する僚友に対して、デカラビアの方も感情的になり始める。
「先制攻撃が必ずしもいい結果を生むとは限らないだろう。大体、俺達が出て行っている間の守りはどうする?
留守を狙われた場合は? 攻撃すればいいというものではあるまい」
「攻撃する前に倒してしまえと言っているのだ。何を弱気になっている? 攻撃を受ける前に全滅させればすむ話ではないか」
とザガンが言えば、
「攻撃される前に敵かどうか、どうやって判断するのだ? 間違っていれば、いたずらに敵を増やす事になりねないだろう」
とデカラビアも負けてはいない。
白熱してきたところで偶然通りかかったアウラニースが二人を殴る。
「うるさい黙れ」
仲良く殴り飛ばされた両名は、仕方なく黙った。
言う事を聞かなかった場合、命に関わるような強烈な攻撃がくると知っているからである。
「何の話だ、お前ら?」
アウラニースの瞳が光った。
素直に話さないであれば半殺しにするという、無言の圧力である。
彼らはしどろもどろになりながら、事情を説明した。
全て聞き終えた彼女は、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
「くだらん言い争いなどするな。力なんてものは、お前らが使いたいように使え」
「で、ですが」
「やかましい」
「ふべっ」
何か言おうとしたザガンが再度殴られる。
ヘカトンケイルの巨体は強風に吹かれた薄紙のように飛んでいく。
「力はしょせん力だ。理解できないのか?」
頭の中に大きな音が響き、視界が揺れる。
それでも彼は必死に声を絞り出す。
「い、いえ、理解しました。ありがとうございます」
別に本当に理解したわけではない。
命の危険を感じた為、その場しのぎを言っただけであった。
しかし、アウラニースはそれで満足する。
「分かればいいのだ、分かれば」
「はっ……」
ぐったりとするザガンのところにデカラビアが近づく。
「おい、生きているか?」
「た、たぶん……」
それだけ応えると、ヘカトンケイルは意識を手放してしまう。
「何だ、気絶したのか? 軟弱者め」
彼らの頂点は呆れたような声を出す。
彼女にしてみれば「撫でる程度」だったのだから、無理もない。
だが実際は、大概の生物にとって致命傷になる威力だったのである。
今のを食らって生きているだけ、ザガンはかつてよりも遥かに強くなっているのだ。
本人はこのような形でそれを実感しても、全く嬉しくなかったが。
結局、彼らの争いは逆らってはいけない存在の乱入によってうやむやとなる。
しかし、両者の間に生じたヒビは決して戻らなかった。
やがて彼らは独り立ちする時がきたが、ザガンはデカラビアの申し出を拒む。
「俺と貴様では考え方が違いすぎる。ばらばらになった方がいいだろうよ」
「そこを曲げて頼みたいのだ、ザガン。お前がいれば攻撃と防御、両方が出来るではないか」
ザガンが敵を殲滅し、己が防衛を担当する。
そうすればどちらの願いもかなってちょうどいいではないか、というスライムの願いは一蹴された。
「アウラニース様ですらメリンダという人間に敗れた。……まあ、あれを敗北扱いにしていいのかは別にして、守るだけでは限界があるという事ではないか」
「アウラニース様はお一人で戦おうとし続けた。ソフィア様とアイリス様が参戦していれば、決してあんな結果は起こらなかったはずだ。たった一人ではアウラニース様ですら、不慮の事態に対応しきれないという事ではないか。まして我らではもっと出来る事が限られているだろう。我々が力を合わせれば、少しはその危険を減らせるではないか」
両者の言い分はどこまでもすれ違っている。
このまま言葉をぶつけ合わない方がよいかもしれない、と思いながらもデカラビアはどうしても諦めきれなかった。
「くどいぞ、デカラビア。貴様と戦う気はないからこそ、このまま別れようとしているのが分からないのか?」
「争うつもりがないからこそ、こうして説得しているのが分からないのか、ザガン?」
両者の間で再び激しい火花が散る。
「……負けた方が勝った方に従う。殺されても文句はない。それでどうだ?」
ザガンの提案にデカラビアは応じた。
もはやそうするしか、このヘカトンケイルを説得する方法はない。
「いくぞ、ザガン。いつまでも俺が庇護対象ではないと教えてやる」
「ほざけ、スライム野郎。お前が俺に勝った試しなどないではないか」
こうして彼らは互いの想いを乗せてぶつかり合う。
デカラビアが一瞬で肉薄してきたところを狙い、ザガンは強烈な反撃をお見舞いする。
ただの打撃は無効化出来る流動ボディも、ザガンの掌打の雨は全てまともに食らう。
「ぐっ」
「お前がどんな攻撃が得意で、何をラーニングしているのか、俺は全て知っている。お互いの手の内を知っている以上、実力差がそのまま出るに決まっているだろうが?」
淡々と現実を突きつけようとするザガンに対して、デカラビアはよろよろと起き上がって言い返す。
「現実は変えられる……ただのスライムに過ぎなかった俺がこうしていられるように。ただの人間でも、アウラニース様に勝てたように。不屈の意思と普段の努力があれば、本来の差を覆す事は不可能ではないのだ」
まるで自分に言い聞かせているかのように、スライムは言う。
それに対してザガンは舌打ちを返す。
「馬鹿めが。意志の強さも努力の量も俺と貴様はほぼ同じ。ならば種族の差、実力の差がそのまま出るに決まっているだろう。意思と努力では埋まらないものがあると、今一度思い知れ」
木々をなぎ倒し、大地を揺らした戦いはほどなくして決着がつく。
「だから言っただろう、スライム野郎。これで俺の九十八戦九十八勝だ」
勝ったのはザガンである。
デカラビアは意識が朦朧として、身動き一つ出来なかった。
そんな彼に近づいた巨人は声をかける。
「俺はこのまま行く。もし、限界を感じたら俺のところに来い。その時は仲間に入れてやるよ」
「ま、待て。ザガン……俺は、まだ、負けてない」
力ない発言をしたデカラビアにザガンは舌打ちをした。
「何をぬかす。これ以上攻撃を加えたらお前は死ぬぞ。大人しく負けを受け入れて、傷を回復するんだな」
なお何かを言い返そうとするスライムを見て、巨人はもう一度舌打ちする。
「お前は弱い同胞の為にその力を使う、なんて言っていたよな? いいのか、このまま俺と戦い続けたら、まずそれは出来なくなるぞ」
こう言われたデカラビアはハッとし、悔しそうに黙り込む。
ザガンは「ふん」と鼻を鳴らして去っていく。
このようにして別れた彼らは、ついに再会する事はなかった。