キャサリン
淫魔の魔人ゾフィはかなり有名である。
先の東方攻防戦において、魔人パルを倒し人類の勝利に大きな貢献をした事を称える声が多い。
そして第二に美人で、男なら誰でも欲望がまじった視線を向けそうな、素晴らしい体をしていた。
淫魔なのだから当たり前と言えばそれまでなのだが。
そしてその割には女性受けも悪くはない。
男勝りな武人という表現が、ぴったりと当てはまるような性格だからかもしれない。
一方でアルはと言うと、あまり評判はよくなかった。
眠たそうな顔でゴロゴロしていたり、やる気なさそうな顔で巡回していたり。
その退廃的な雰囲気と淫魔らしい色気で男には人気があるのだが、女性受けはかなり悪かった。
ゾフィとアルはどうしてこれほどまでに差がついたのだろうか。
そう考えた者の名はキャサリンと言う。
ありふれた名前の持ち主だが、姓の方が非凡でボルトンと言い、ボルトナー王国国王の娘だった。
「エルさんの頭のよさも見習いたいです」
キャサリンはそう言って可愛らしく力瘤を作る。
仕草の一つ一つが脳筋人っぽかった。
言われた淫魔はちらりと少女を見て、
「生き物には向き不向きがあるから」
とつぶやいて去っていく。
遠回しに駄目出しされたと気づかないキャサリンは、
「確かに頭を使うのは苦手かも? でも、頑張ります」
励まされたと解釈し、闘志を燃やした。
「さすがです、キャサリン様」
おつき達は一斉に拍手を送る。
彼らはエルの発言の意味を全く理解していなかった。
唯一理解できるであろうモルト侯爵は、本国で書類仕事に追われている。
一日いないだけでボルトナーの行政機能が激減する、とまで言われる人材なので、そう何度も国を空ける事はできなかったのだ。
知恵袋であり情報を収集し使いこなす事ができるモルトが不在の為、キャサリンに今後の方策を授ける事ができる者がいない。
彼女が宙ぶらりん状態で何も行動に移していない、大きな理由である。
偶然出会った淫魔三人組にかけた第一声が、上記の「エルさん……」だったのだ。
エルがさっさと飛んで行ってしまったのも無理ないかもしれない。
と思ったのは、あくまでもゾフィとアルである。
腹黒盟友が今度は何を企んでいるのやら、彼女達には想像もできなかった。
「一緒にお茶でもする?」
そうキャサリンに尋ねたのはアルである。
「はい!」
王女は元気よく答えて、おつきの者達が慌てて準備を始めた。
本来、ゾフィ、アル、キャサリンはマリウスと言う一人の男の寵を巡る、憎い敵であるはずなのだが、とてもそう見えない。
キャサリンにそういった駆け引きは無理だし、ゾフィやアルにしてみれば、まだ子供が相手で、真面目に相手する必要を感じなかった。
そもそもマリウスの召喚獣なのだから、主人の意向が最優先である。
約一名、傍目には守っていないように見える輩もいるのだが。
「いつまでいるつもりなんだ?」
ゾフィが紅茶を飲みながら尋ねると、キャサリンは困った。
「えと、よく分からないんです。とりあえず、国から帰って来いって言われるまではいたいなと思っているんですけど」
「何だそれ?」
ゾフィは眉をひそめる。
「せっかくなので、この国の事を色々とお勉強して、故郷に活かしたいなって思っているんですけど……」
「立派じゃないか」
彼女にはいまいち理解できない感覚ではあるが、一国の王女というものはそうあるべきだろう。
「それでですね」
キャサリンはもじもじしながら、上目遣いでたずねる。
「マリウス様、いつならお時間があるのでしょう?」
ゾフィはあどけない少女の本心に微笑ましいものを感じ、本当の事を言う事にした。
「あの人、基本的にいつも暇だぞ」
「そ、そうなんですか?」
キャサリンはつぶらな瞳を丸くする。
その反応を見て、マリウスの実態が意外と国外には広まってない事を知った。
それとも彼女が知らされていないだけなのだろうか。
案外、ボルトナーの情報収集力の問題かもしれない。
「言ったらまずかったかな……」
「どうせすぐばれると思いますけど」
ゾフィのつぶやきをアルが拾う。
「わ、私、マリウス様の事をもっと知りたいです」
キャサリンは握り拳を作りながら言った。
可愛らしい乙女心と見る事もできるが、ゾフィはそこまで鈍くはない。
小さな王女が自分をかばってくれたのだと理解できた。
「そうだな。今からご主人様のところに行くか?」
「はいっ」
ゾフィとアルはキャサリンを連れ、マリウス探しに行く。
と言っても彼女達は召喚獣であり、主の居場所はすぐ分かるので「探し」というのは適切ではないが。
ゾフィ達が向かったのは城の庭である。
「ふふふ、どうだ。五段合体だぞ」
アウラニースが何やら得意げに、五つの城を変形させて合体させていた。
「何の、五段変形合体」
「な、何い?」
マリウスは城を一度人型にし、それから合体させるという変化球を投げたのである。
アウラニースはまたしても敗北し、両手を地面につく。
そんな魔王を尻目にゾフィは話しかけた。
「ご主人様」
「おお、ゾフィにキャサリンか」
さりげなく名前を飛ばされたアルは、ふくれっ面をしてマリウスを見る。
睨めないあたりがアルの性格というものだった。
「キャサリン王女を案内して来ました」
アルはそう報告する。
ゾフィが譲ったのである。
「うん、ありがとう」
マリウスはやっと己の失敗に気がつき、アルの頭を撫でてやった。
キャサリンはそれを羨ましそうに見ていたが、すぐに違う事に興味を持つ。
アウラニースとマリウスが創っていた何かである。
「お二人は何をなさっていたんですか?」
「暇つぶし」
「退屈しのぎ」
「……」
身もふたもない事を即答し、幼い王女を絶句させてしまった。
「冗談だよ」
マリウスは相手の顔色を察し、慌てて言う。
「そうだったのですか。びっくりしました」
疑わず、無邪気に微笑む少女に対して、罪悪感が起こる。
しかし、本当の事を言う気にはなれなかった。
役に立たないので政務に関わらせてもらえません、と。
「キャサリン王女は、どんな用でこの国に?」
「えっと、きっとマリウス様や他の方々と親睦を深める為です」
嘘をつけない少女は、「きっと」と言ってしまう。
そのいじらしさにマリウスは咎める気を失くす。
「おお、じゃあオレとも仲良くするか?」
何故かアウラニースが張り切り始めた。
「はい、よろしくお願いいたします」
キャサリンは嬉しそうに笑いかける。
怯えたそぶりを全く見せない。
マリウスが感心した。
「キャサリン王女は、アウラニースが怖くないんだな」
「ええ、だって親切に教えてくれますし」
どこまでも無垢な印象を与える答えである。
アウラニースはどこか満足げに胸を張った。
「うん、オレの偉大さをよく理解しているんだな」
「まあ、アウラニースが凄い事に関しては異論がない」
マリウスが言うと、ゾフィとアルもうなずく。
その事に目を丸くした女が一人いた。
「何だ何だ、日頃から考えられん態度だな」
アウラニース本人である。
「それなら、もっと感謝の気持ちを込めて接しろよー」
「だが断る」
マリウスがきっぱり言うと肩を落とした。
「どうせそんな事だろうと思ったぞ」
雑な扱いに慣れてしまったようである。
「えっと、私、もっと強くなれますか?」
キャサリンがおずおずと話に割って入った。
「おお、なれるぞ。マリウスくらいは無理だろうが、お前の父親よりは強くなれる」
それはつまり人類最強クラスという事か。
マリウスが疑問半分に思うと、今まで黙っていたソフィアが口を開いた。
「アウラニース様の見立て、かなり当たりますよ。ザガンとかデカラビアもそうでした」
「え? あいつら、アウラニースが育てたの?」
マリウスにとっては衝撃的な新事実だったようである。
「知らなかったのですか?」
ソフィアは首をかしげたが、すぐに過去の記憶と符合させたらしく、
「教えなかった方が幸せだったかもしれませんね」
と一人うなずいていた。
聞き捨てならなかったのはマリウスである。
「ちょっとそのへんを詳しく。まさか他にも魔王を育てたって事は?」
「ありますよ」
ソフィアは即答した。
「本当かよ」
アウラニースは本当に災厄ではないか。
マリウスはかなり本気でそう思った。
そんな男に対してソフィアは意味ありげな目を向ける。
「もっとも、メリンダに滅ぼされてしまいましたがね」
「……メリンダさん、マジ英雄」
マリウスは顔を知らぬ古の英雄に心からの賛辞を送った。
アウラニースを封じ、「暗黒時代」を終わらせたのはメリンダ、マジックアイテムという存在を造り出したのもメリンダ、現代の魔法体系を考案したのもメリンダだという。
「案外、メリンダの死因って過労死だったんじゃ……」
マリウスは半ば本気でつぶやく。
ソフィアがそれを訂正した。
「いえ、老衰だとか」
「天寿を全うしたのっ?」
マリウスは本気で驚いた。
メリンダ・ギルフォード……伝説と謳われるに相応しい英雄だったようである。