いつものこと
「むー、難しいぞ」
アウラニースは唸った。
彼女の目の前には、ぐにゃぐにゃな形状の物体が置いてある。
マリウスの真似をして城を作ろうとしたのだが、全然違う物が出来てしまったのだ。
「何故だ……?」
「真似するだけでいいなら、“教育”というものは生まれなかったんだよ」
マリウスはどや顔で言う。
自分で考えた事ならば大したものだが、受け売りに過ぎない。
だが、今のアウラニースには堪えた。
「むむむ、オレも教育されるぞ」
そしてマリウスの両肩をがっしりと掴む。
「嫌とは言わないよな?」
殺気や敵意はなくとも充分すぎる迫力があり、マリウスはほとんど反射的にうなずいていた。
「分かったから止めろ」
手をほどく両肩は赤くなっている。
「レッスンその一、じっくり観察だ。城を見て形を覚えるのだ」
「おー」
マリウスの言葉に右拳を掲げるアウラニース。
完全に師匠と弟子のノリである。
「私達は必要なのか?」
「しーっ」
アイリスとソフィアのひそひそ声を聞き流し、アウラニースに話しかけた。
「じゃあ、うちの城に戻ってみようか」
「おー」
こうしてマリウス達はトゥーバン城に戻ったのである。
最初、「トゥーバン城」という名に対してマリウスは嫌がったのだが、代替案が出なかった為、トゥーバン城に決まってしまったのだった。
城の前に立ち、熱心にその姿を見つめるアウラニースとその他一行は、城の内外の人達から奇異の視線を送られる事になる。
「何やっているんだろう、あの人達?」
「さあ……?」
「でも、奇妙な事をやっているのはいつもの事じゃないか?」
「そうだな、いつもの事だな」
そうささやき合い、納得した表情で動き出す。
日頃、彼らがどんな認識を持たれているのか、よく分かる光景である。
それでこの国は問題なく回っているあたり、いかに王を支える者達が立派であるか、うかがえるというものだ。
そんなマリウス達の元へ、エルがやってくる。
「ご主人様、今少しよろしいですか?」
「うん、何だ?」
マリウスの視線が淫魔へと移った。
彼女がこうしてやってくるのは割と珍しい。
だからこそマリウスの注意を引いたのだ。
「エマ、アイナ、レミカの妃化計画についてなんですけど」
すました顔でさらりと切り出され、国王は大きく噴く。
「何の話だ、聞いていないぞ」
「言っていませんでしたから」
切り返しで主人を絶句させた腹黒淫魔は、可愛らしく小首をかしげる。
「何か問題はあるでしょうか?」
「いや、少し待て。むしろかなり待て」
マリウスは混乱して意味不明な事を口走った。
その事に気がつき、こめかみに指を当てながら考え込む。
「エマさん達を妃にするとか? そんな事まかり通るのか?」
最初に浮かんだ疑問である。
エマ達も貴族の出自ではあるが、さすがに王族とは比べ物にならない。
そんな家柄ならば侍女にはならなかっただろう。
当然、結婚するにせよ王族と同格という訳にはいかない。
あくまでも愛人扱いにしかできないのだ。
もちろん、正妻として迎えられるならば話は別である。
今回の場合、マリウスに正妻として王族が二人もいるのだからそうなるのだ。
「……確か正妻って二人までじゃなかったか?」
マリウスは過去に説明された事を口にする。
そうでなければ、今頃大陸全ての国の女性を正妻に迎えなければならなかったはずだ。
何せ強い者ほど多くの異性を娶る傾向がある世界だし、国家同士の場合、婚姻が和平の象徴と見なされる。
婚姻に応じない場合、敵対する意思があると解釈される事すらあるのだ。
つまり、マリウスがフィラート・ランレオの王女としか結婚しないのは、他の国家を征服するつもりでいる……そう言われても文句は言えない。
一国の王と言えども正妻の上限は二人まで、という不文律がなければそうなっていたところだ。
(鬱陶しいなぁ)
マリウスは思い返しただけでげんなりしてしまう。
迂遠にではあるが、他の国からもその手の話は尽きないし、キャサリンに関してはほぼ決まっている。
「そうですけど、あくまで前例がないだけですね」
エルはニコリと何やら物騒な事を言い出す。
「俺に前例になれって言うのか?」
「はい」
「真似する奴が現れたら、ろくな事にならないんじゃないかなあ?」
マリウスはそう疑問を投げかける。
本心ではあったが、全てではない。
エルの真意を聞き出す為の前フリのつもりでいた。
「邪神を討ち取って新しい神となるなんて、果たして真似ができるでしょうか? ただし神となった場合に限る、と制約を設ければ解決ですよ?」
「他に解決してほしい事がいっぱいあるんだがな」
マリウスは精一杯皮肉を込めて言う。
エルは全く動じず最上級の笑みを浮かべた。
「もちろん、ご命令があれば全力を尽くします」
マリウスとしてはこの言葉をどう受け止めるべきか、悩むところである。
聞く人によっては嫌味とも皮肉とも取れるのだが、本心で言っているだけかもしれない。
ちなみにマリウスが悩んでいるだけで、エルの混じり気のない本心であった。
それが通じないのは、常日頃、腹黒な様を見せているからだろう。
「じゃ、命令するから手伝ってくれ」
マリウスは悩んだ挙句そういう事にした。
「御意」
エルは恭しく頭を下げる。
彼女がこんな態度を取るのはマリウスのみだ。
だからと言って話を終わりにできないのが、一国の王というものである。
「一応聞いておきたいんだが、俺ってこれでごまかされるほど単純だと思う?」
「以前はそうでしたが、最近は鍛えられたのか、ご立派になられましたね」
エルはいけしゃあしゃあと評価を述べた。
「お前に鍛えられたからな……愛されているのか、疑問に思った事もあるけど」
「おや? ご主人様は愛に厳しさは不要だとお考えなのですか?」
「そうは言わないけどな……」
やはり口では勝ち目がない。
マリウスはそう悟って口ごもる。
「愛情がなければわざわざいじめたりしません。黙って破滅させるだけですよ?」
「……バロース家のようにか?」
エルの言葉で思い出したのが「バロース公爵家ご乱行事件」だ。
マリウスの事を敵視し、反発していた貴族勢力が消滅してしまった事件であり、目の前の淫魔がその原因である。
「はい」
あれは悪辣だったとマリウスは今でも思う。
「愛情があると言ってもさっぱり読めないんだよなぁ。そりゃ読心魔法を使えば解決だけど、何か違う気もするし」
ぼやき始めた主人の手を優しく握る。
「私に疾しいところはないので、お読みになっても結構ですが」
エルは微笑みかけた。
散々恐怖を振りまいてきた黒いものではなく、透明無垢なものである。
その威力にマリウスは負けた。
「疾しいところがないなら教えてもらえないかな」
「信じて下さるのですね。ありがとうございます」
ぺこりと一礼された。
心の動きを逐一把握されているようで、何となく落ち着かない。
(俺も似たような感覚を与えているんだろうけどなあ)
それが人の心を読める者の宿命ではないだろうか。
「端的に言えば人魔共存政策を進めようという事です。そもそも、そこまで忌避する事もないでしょう? アウラニースやゾフィ様の事は広く知られていて、ほぼ受け入れられているのですから」
「アウラニースに関しては、単に諦められているだけじゃないかな」
マリウスは思ったが口には出さなかった。
言葉にしたのは違う事である。
「俺の配下として行動するのと、侍女とかやるのはまた違うんじゃないか。少なくても、アウラニースに子育てを任せる気にはなれない……」
心情がたっぷりこもった意見にエルは微笑した。
「アウラニースに関しては冗談です。掃除ならば適任かもしれませんが」
「そうだな。あいつ、掃除だけはエマさん並みなんだよな」
最強魔王は掃除が上手だった、というのは果たして笑い話になるのだろうか。
少なくとも侍女達にとっては笑ってすませられない事は分かっている。
「ソフィアやアイリスを組み込めばより魔を身近に感じられるでしょう。守り役などを任せるというのもありかと思います」
「守り役か……」
ソフィアならばそつなくこなしそうなイメージだった。
「しかし、それだけじゃ政策の推進にはならないような?」
マリウスの疑念にエルは即答する。
「王が取り入れた事を倣う貴族って生き物です。私達を従えられるのはご主人様だけですが、魔を侍女などに登用するのは貴族でもできるでしょう」
「……さりげなくえぐい手じゃないか?」
マリウスは不安を覚えた。
何かとんでもない落とし穴が潜んでいそうな気がしてならない。
問題がないならば、エマが反発しないのではないだろうか。
「そうですか? しかし、変化は上からにする方が好ましいですよ? 少なくとも、貴族って下からの変化を取り入れたりはしないでしょうから」
「それはそうなんだろうけど……何だろう。何で引っかかるのかなぁ?」
マリウスは自分でもよく理解できず、うんうん唸る。
そしてやっと一つの疑問に行き着いた。
「何で人間の侍女じゃダメなんだ?」
「それだとご主人様が手を出す度に入れ替わるからですよ」
淫魔は即答する。
「何で全員俺が手を出す前提……?」
「何で手を出さないと思えるんですか?」
真顔で聞かれたマリウスは思わず言葉に詰まった。
確かにエマ、アイナ、レミカと仲よくなった侍女全員に手を出している。
「いや、だからと言って今後もそうだとは……」
「説得力が全くありません」
ぴしゃりと言われてマリウスはうなだれた。
エルはそんな主人の頬に手を当てて、顔を覗き込む。
「わ、私だって嫉妬くらいするんです。私だってご主人様の子供を産みたいんです」
真っ赤な顔で言われ、マリウスは照れてしまう。
普段が普段だけに、破壊力が七割増しになったように思えた。
(つまるところ、他の女への嫉妬が原因だったわけか……?)
エルも一人の女だったという事だろうか。