僭神討伐
マリウスが神に成り上がってすぐ。
彼が知らぬところで会議が開かれていた。
「奴の箱庭遊びがこんな事態を招くとはな」
重い声が嘆くように響く。
「人間が神に成り上がるなどあってはならぬ」
「懲罰せねばならぬ」
「異議なし」
満場一致となり、討伐軍の編成が決まった。
「僭神マリウスの討伐、誰が赴く?」
その声に一つの声が応える。
「私が行こう」
声の主が誰か知るや否や、場は沈黙に包まれた。
やがて一つの声が尋ねる。
「貴様がか? 何を考えておる、ニャルラトテプよ?」
ニャルラトテプは答える。
「奴に力と知識と名を与えた責任を感じてな」
ざわめきが再び起こった。
ニャルラトテプがそのような殊勝さとは無縁だと、この場にいる誰もが知っている。
父であり王でもあるアザトースに逆らうような真似はしないが、それ以外のところでは神々の対立を煽り、下々の者を破滅へ誘っていた。
そして証拠の類は一切残さず、誰も追及が出来ないでいる。
恐ろしく忌むべき神、というのがニャルラトテプだ。
今回の標的となる僭神マリウスに倒され、力を奪われた者の名はナイアーラトテッフ。
ニャルラトテプがかつて戯れに名を与え、力と知識を与えた一匹の虫けらである。
きっと何らかの謀略の一旦だったのだろうと誰もが思っているものの、やはり証拠はない。
「では私も行った方がいいだろうな」
「おお、クトゥグアか」
今度は好意的な声が上がった。
クトゥグアはニャルラトテプと同格であり、ほぼ唯一の天敵である。
彼ならばニャルラトテプの邪悪な謀略を打ち砕く事も出来よう。
皆がそう期待した。
「編成を決める」
重く威厳に満ちた声が轟き、場は静まる。
その様子から皆がその声の主に敬意を払っている事がうかがえた。
「大将はニャルラトテプ、副将がクトゥグア。行け」
「はは」
こうして僭神マリウス討伐隊は派遣された。
本来ならばもっと数は多いのだが、ニャルラトテプとクトゥグアならば二柱でも充分であろう。
そう判断されたのである。
マリウスはふと顔を上げて空を見た。
隣にいたアウラニースも同様である。
とてつもない何かが来る、と本能が告げているのだ。
ほどなくして空が大きくゆがみ、二つの物体が現れる。
「な、何だ?」
他にも気づいた者達がいるのだろう、あちこちからどよめきが起こった。
「アウラニース」
「おう!」
マリウスの声に即応し、アウラニースは地を蹴って空を飛んだ。
マリウスもそれに続き、それをアイリスとソフィアが追ってくる。
四人は一様に緊張していた。
空に浮かび、マリウス達を待ち受ける者達は異形と言ってよい。
鉤爪と触腕を持つ無定形な肉の塊、生きているような炎た。
そしてティンダロス、ナイアーラトテッフとは比べ物にならない強大さを感じる。
「マリウス、アウラニース、ソフィア、アイリスか」
肉の塊がマリウス達の名を呼ぶ。
一体何者なのか、どうして自分達の名前を知っているのか。
謎はあるが今はそれどころではない。
死力を尽くして戦わねばならぬ相手だ。
「【ラディウス】【アニヒレーション】」
得意魔法を光速で放つ。
神の力のおかげであったが、攻撃はすりぬけてしまった。
「は?」
マリウス達は思わず目が点になる。
光速攻撃がすりぬけるなど、目の前の存在達は幻覚なのだろうか。
「私達は幻覚などではない。お前の攻撃が遅すぎるのだ」
炎がそう告げる。
「たかが光速ではな」
そして炎はアウラニースの体を包む。
一瞬で激しく燃え上がり、炎が離れた時、アウラニースは灰になっていた。
アイリスとソフィアは目の前の出来事が信じられずに呆然としているが、マリウスは何が起こったのか分かる。
そしてそれ故に戦慄した。
(つ、強い)
アウラニースを一瞬で灰に変えた者の名をクトゥグアという。
マリウスが知ったところでどうなるものではないが。
「リザレクション」
マリウスが唱えたのは蘇生魔法である。
アウラニースはたちどころに復活した。
「む?」
全裸状態で蘇生されたアウラニースは、不思議そうに己の体を眺め回す。
自分の身に何が起こったのか、理解が追い付いていないのだろう。
「小賢しい真似をする」
肉の塊が笑う。
嘲弄がこもっているのは明白な、不愉快な声だった。
肉の塊が変化し、一人の若者の姿になる。
「私はニャルラトテプという。神に成り上がった愚か者マリウスよ。貴様に罰を与える為にやってきた」
「ニャルラトテプ……真のニャルラトテプか?」
マリウスは反射的にそう言っていた。
冷や汗がいくつも噴き出て止まらない。
「いかにも」
若者の姿をとったニャルラトテプは頷いてみせる。
「では死ね」
マリウスが攻撃を避けられたのは奇跡でしかなかった。
本能に従って身を捻った直後、遥か後方で凄まじい轟音が発生する。
それによってマリウスは己が攻撃されたと理解した。
(何も見えない……何も感じない……こんな事が)
ニャルラトテプの攻撃が、己の知覚を超越したものだと悟り絶望する。
「まぐれとはいえよく避けた。光速でしか動けない下等存在とは思えんな」
ニャルラトテプが賞賛してくるが、それが本心かは分からない。
「光速? 下等?」
ソフィアが訊き返すと、クトゥグアが答える。
「私達は皆、光速を超越した神速で動く事が出来る。一つの世界に縛られたお前達と違ってな」
そしてニャルラトテプが捕捉した。
「神にしか到達出来ぬ速さだから神速と言う。もっとも、神は神でも、下級な新米であるマリウスには無理らしいがな」
「そ、そんな事が……?」
ソフィアの声が震える。
はったりと笑い飛ばす事など誰にも出来はしない。
アウラニースが一撃で殺されたという現実がある。
「神速にはマッハのように段階があってな。さっきのはせいぜい神速一と言ったところか。さて、お前達は何秒もつ?」
ニャルラトテプは更に嘲るように笑って言った。
この言葉が事実ならば、一秒で全滅させられてしまう。
そうしないのは、恐らくマリウス達の恐怖を楽しんでいるからだ。
真のニャルラトテプが、仮初の者より邪悪でないとは思えない。
「ニャルラトテプよ。遊び過ぎだ」
クトゥグアがたしなめるように言う。
ニャルラトテプは舌打ちをする。
「仕方ない。滅びよ“コズミックインベーション”」
この日、一つの世界が滅びた。
エイプリルフール