九話「邪神、魔王、チート」
「“バベル”」
マリウスは幾度目かの攻撃を避ける。
「煉獄のローブ」を装備しているとは言え、肉体は普通の人間と変わらない。
神の攻撃を一度でも被弾すれば、即致命傷になりかねなかった。
「【ヴァジュラ】」
幾度目かの攻撃もティンダロスには通用しない。
攻撃する場所が悪いのかと思い、上空や地上や明後日の方向や、全方位攻撃やらをやってみたが、何の効果もなかった。
「何度やれば理解する? 神たる我にお前の攻撃など通じぬ」
本当に通じないのか、と思いそうになるが踏みとどまる。
戦いの最中に弱気になってはいけないという事くらい、マリウスでも知っていた。
「じゃあ通じるまで攻撃する」
「無駄無駄無駄」
ティンダロスの哄笑に雷の轟音が重なる。
マリウスが身構えた時、上空から雷が落ちてきたのだが、それはティンダロスへと吸い込まれていった。
怪訝に思うマリウスの耳に、聞き覚えのある女の声が届く。
「オレ、参上!」
アウラニースは空から降ってきて、マリウスの横で急停止した。
どういう原理を使っているのか、さっぱり見当がつかない。
いや、飛行魔法と浮遊魔法を組み合わせれば再現は可能なのだが、何やらもう「アウラニースだから」でいい気がしたのだ。
「アウラニース」
驚いて声を漏らしたマリウスに対して、アウラニースはややイラついた声で応じる。
「手こずりすぎているようだから、加勢しに来てやったぞ」
「ああ、ありがとう」
マリウスは本当に苦戦していたので、素直に礼を言う。
アウラニースはそれに驚いたのかそっぽを向いた。
「別にマリウスが心配だから大急ぎで来たわけじゃないぞ」
声が震えていなければ説得力があったのに、とマリウスは思ったものの、さすがに今は言えない。
「クズが一つ、増えたか」
ティンダロスは何事もなかったかのようにたたずんでいる。
「わざわざ我に殺されに来るとは、天晴れである。が、解せんな。貴様は我が眷属であろう。人と手を組むのか?」
邪神に問いかけられたアウラニースは、傲然と胸を張った。
「手を組むのではない。お前を始末するという目的が同じだけだ」
この期に及んで、とマリウスは思ったが、やはり口にはしない。
宣戦布告をされたティンダロスは爆笑する。
「実に愉快だ。我が眷属のくせに、我が力を理解しておらぬとはな。いや、先ほども何個かのクズが我が元に参ったな。これはクズ如きでは、我が力を理解出来ぬという証かもしれぬな」
笑い声を引っ込め、ティンダロスはマリウスとアウラニースを睥睨した。
「ならば貴様らを絶望の底へと沈め、その体を八つ裂きにしてくれよう」
ティンダロスから発せられる圧力は、更に増大している。
マリウスはアウラニースに警告のつもりで話しかけた。
「アウラニース。多分、あの黒い靄は本体じゃない。俺の攻撃が全くと言っていいほど当たらないんだ」
「ふん、神を名乗る割にやる事が情けないな」
それがアウラニースの感想だった。
「全くだな」
マリウスも賛成する。
攻撃のスケールは確かに凄いが、自分達を目の前にして本体を隠していると言うのであれば、「神の癖にせこい」と評しても文句は言えないはずだ。
ティンダロスは余裕をかましているのか、二人の会話をじっと見守っている。
「じゃあ、まず本体を引きずり出してやるか」
アウラニースは真の姿に戻った。
そんな魔王にティンダロスは攻撃を仕掛ける。
「クズに何が出来る? 惨めに死ぬだけであろう。“バベル”」
数十の黒い雷の束が、アウラニースを襲う。
全身を雷で打たれたアウラニースは、微動だにせず、笑った。
「何かしたかぁ?」
アウラニースは真下へ「フィンブルヴェトル」を吐く。
白いブリザードが洪水へと着弾し、凍りつく。
そしてその中から黒い影が飛び出してきた。
「よく我の居場所が分かったな。ほめてつかわす」
そう言ったのは、黒いドーベルマンの姿をした何かである。
「ふん、ただの勘だ」
アウラニースは賞賛に対しては鼻を鳴らしただけだった。
「勘だけで我が神気楼を破るとはな」
「……ティンダロスの本体か?」
マリウスが呆然としたのも無理はない。
どこからどう見てもただの犬だったのだ。
「だが、偶然は二度続かぬぞ」
ティンダロスの姿が霞んでいく。
どうやらまた姿を隠すつもりらしい。
「いちいち隠れるな、この犬ころっ!」
アウラニースは吼えると「ラグナロク」を繰り出した。
全身から放たれる赤い業火はファーミア大陸に広がり、水をみるみるうちに蒸発させていく。
暗かった世界も、煌々と燃え盛る炎のおかげで、一気に明るくなる。
「ラグナロク」による炎は、ティンダロスによる水や風の影響を完全に無視し、大陸全土に達した。
(これが大陸を滅ぼしたって力の一旦か?)
マリウスは瞠目する。
「ラグナロク」の炎は、神の力による洪水や暴風を完全に無視して燃え続けていた。
隠れる場所がなくなったのか、ティンダロスはマリウス達のように宙に浮き、二人を睨み付けてくる。
「我が姿を引きずり出した事は褒めてつかわそう」
どこまでも余裕ぶっているその姿が、マリウスにとっては少しずつ滑稽に映ってきた。
「ほざけ」
アウラニースは空気を無視して攻撃する。
雷の攻撃「ブリューナク」を打ち出しながら「フィンブルヴェトル」を吐き、距離を詰めて「ジャガーノート」を叩き込む。
(ブリューナクとフィンブルヴェドルを使いながら移動出来たのかよ)
マリウスは流れるようなアウラニースの連続攻撃に冷や汗をかいた。
「聖人」になる前の頃であれば、今の攻撃で死んでいたかもしれない。
そんなマリウスをよそに、アウラニースは「ラグナロク」まで叩き込んだ後、一旦距離を取った。
「まだ大口を叩く余裕があるか?」
アウラニースの声にはどこか得意げな響きがあったし、マリウスも「ないだろうなあ」と漠然と思う。
しかし、そんな二人を嘲笑うかのようにティンダロスの声が響く。
「今、我に何かしたのか?」
ティンダロスは何事もなかったかのように佇み、アウラニース達を笑った。
「まさか今の攻撃で、この我をどうにか出来ると思ったのか? やはりクズは頭からしてクズなのだな」
「まさか全くのノーダメージとはな」
マリウスは驚きを隠せないでいたが、アウラニースはからからと笑う。
「隠れる事しか能がない雑魚でなくて安心したぞ! その方が倒し甲斐があるわ!」
怯えるどころか、闘志を燃やしている。
アウラニースの事をマリウスは頼もしく感じ、くすりと笑い構えを取る。
自分だって負けていられないという気持ちになったのだ。
そんな二人をティンダロスは冷笑する。
「やはりクズは救いようがない存在だ」
「倒れるまで殴ってやるまでだ」
アウラニースはティンダロスの口上を最後まで聞かず、今度は最初から飛び込んだ。
「猪が。“ソドム”」
迫るアウラニースにカウンターを叩き込もうとするが、それはマリウスが展開した防御魔法で防がれる。
完全に防いだわけではなく、威力を半減させた程度ではあったものの、アウラニースの耐久力ならばそれで充分だった。
少なくとも体躯で言えば、巨大な恐竜が子犬に襲いかかっているような構図になる。
もちろんマリウスの視覚による錯覚で、犬は世界を滅亡の危機に追いやっている邪神だ。
「ジャガーノートッ!」
爆発音や轟音という表現では生ぬるい、凄まじい音が周囲一体に轟き、マリウスは思わず両耳を手で塞ぐ。
その間にアウラニースは、「ラグナロク」、「フィンブルヴェトル」、「ラグナロク」という連続攻撃を繰り出していた。
マリウスが思わずティンダロスに同情したほどに激しい攻撃の嵐は、
「“メギド”」
邪神の反撃で寸断される。
禍々しい黒い炎をまともに浴び、アウラニースは一瞬、苦悶の声を上げて後退してしまう。
それだけでも驚きに値すると言うのに、ティンダロスはほとんどダメージを受けているようには見えなかった。
「ぬう」
さすがのアウラニースも、これには短く唸るだけで言葉が出てこない。
「やっと理解したか? 貴様ら被造物では神を倒せない」
ティンダロスはそう宣言した。
押し黙る二人に言葉が続いて投げられる。
「何故ならば、貴様らの力は全て神からこぼれ落ちたもの。我が力の一部が授けられただけに過ぎぬからだ。そして」
仰々しさを演出する為か、一旦言葉を区切る。
そして一瞬の間を置いて続きを口にした。
「我が力も今は本来の千分の一程度に過ぎぬ。分かるか? 貴様らクズがどれほど矮小なはべし」
マリウスが「レーザー」を口付近に当てたせいで、邪神の得意げな解説は中断される。
「じゃあ、やっぱり倒すなら今のうちか」
マリウスが言うとアウラニースも力強く頷く。
「神の口上を何度も妨害するとは。礼を知らぬクズめが」
ティンダロスは口上を邪魔された事くらいでは怒らないが、一向に絶望しない二人にはさすがに苛立ちを覚える。
マリウスが絶望していないのは、まだ自分の攻撃が効かないか試していないからだ。
ゲームシステム的にアウラニースの攻撃が邪神に効かないのは、それほど不自然ではないという思いもある。
まだゲーム感覚が抜け切っていないという謗りは免れないが、そういった理由があるからこそ平常心を保てているのだ。
でなければ、「凡人が自分の攻撃が通じない、世界を滅ぼす力を持つ神と戦う」という構図に耐えられたかは怪しい。
「俺の攻撃から逃げ回っておいて、俺の攻撃は効かないとか説得力ないんだよ。俺の攻撃に耐えてから言ってみ?」
マリウスはそう神を挑発する。
安っぽい挑発だ、という自覚はあったが、だからこそティンダロスは乗ってくるかもしれない、という期待感もあった。
「ふ、よかろう」
案の定、ティンダロスは乗ってくる。
「神の力を骨の髄まで味わい、絶望に慄くがよい」
邪神にすればここでマリウスの攻撃に難なく耐えて見せる事で、まずマリウスの心をへし折ろうとしたのだ。
神からすれば人間の心は非常に脆く、一度粉々に打ち砕けば、戦闘中に復活する事はまずない。
「行くぜ?」
マリウスは宣言するとティンダロスの上を取る。
これならば「万が一」が起こっても、既に生存者がいないファーミア大陸を犠牲にするだけですむ。
強風に煽られたか、フードが取れてマリウスの素顔が露になる。
マリウスもアウラニースも気にはしなかったが、ティンダロスは驚いた。
「なっ……」
絶句して言葉が出ないという風の邪神を無視し、まず「エリシュオン」を発動直前でキャンセルし、「ヴァジュラ」「アグニ」「アブソリュートゼロ」「アヌビス」をキャンセルする。
そして六度目に「アニヒレーション」を選ぶ。
「き、貴様は……ナイアーラトテッフ?」
「<……無に帰せ>【アニヒレーション】」
邪神の声を掻き消し、何が起こるのか、本人ですら分からない攻撃が放たれた。
少なくともFAOというゲームにおいて、バグ技が見つけられても固有名がつけられた事はない。
唯一の例外がこのバグで、最初にこのバグ技を発見した人、続けて実践してみた人達、それを映像で見た人達は、あまりの威力から満場一致で一つの名を与えた。
「消失」と。
それを映像で見ただけだったマリウスは、名前がついた理由を思い知る事になる。
光が消えた時、何もなかったのだ。
ティンダロスも、燃え盛る「ラグナロク」の炎も、そして燃えているはずのファーミア大陸でさえも。
ただ、大海原が広がっているだけだった。
「…………あら?」
マリウスは首をひねったが、反応は何もない。
アウラニースですら絶句してしまっている。
雨、雷、風が止み、黒い雲から切れ目が生じ、日光がこぼれ始めている事から、多分ティンダロスは消滅したのだろう。
「……あれ?」
マリウスはもう一度声を出してみたが、何も変わらなかった。
(邪神、脆すぎじゃね?)
納得いかないが、今一番の問題は後ろから物問い気な視線を送ってきているアウラニースだろう。
どう言い訳したものか、と必死で頭を働かせる。
*しょせんはしゅじんこうさいきょうもの