八話「ティンダロス」
「なにい? 破滅の十ニ使徒が?」
ティンダロスは自ら作り出したしもべ達が、簡単に倒されてしまった事を感じ取って驚く。
そこへマリウスが攻撃を叩き込む。
「【エリシュオン】」
光系の禁呪である。
邪神であり、闇系統の力を使ってくるティンダロスには最も効果的だと踏んだのだが、峻烈な光が消えても敵は健在だった。
「無駄だ。何度やってもお前の魔法など、我には通じない」
ティンダロスは勝ち誇る。
攻撃が通じないと言うより、すり抜けているかのような感覚だ。
「貴様以外にも、我が使徒を倒せる者がいたか。しかし、我がある限りいくらでも使徒は生み出せる。貴様らに勝機はないぞ」
そう宣告する。
(どこが“十ニ使徒”だよ)
マリウスはそんなツッコミを入れつつ、「レーダー」を使ってみたが、反応は出ない。
すかさず邪神は笑う。
「神たる我に探知魔法など通じるはずもなし。死ね、クズが。“メギド”」
雷、風、雨はそのままで赤い業火がマリウスがいる周辺一体を焼き払う。
マリウスはワープでかわしていた。
「よくかわすな。かわす能力だけは、クズではないと褒めてやろう」
上から目線で賛辞を送られたが、マリウスには言い返す余裕がない。
ティンダロスの攻撃は、戦闘開始時点よりも速くて威力も上がってきている。
どんどん強くなってきているのかもしれなかった。
復活したては弱いというのは、魔王と同じであるが、戦闘中にパワーアップするのはさすがに神とと言ったところか。
(マジでどうしよう)
水面は今も上昇していて、世界全体が沈むまでのリミットは刻一刻と近づいている。
だが、マリウスの攻撃が当たる気配はない。
ティンダロスはそんな心理を見透かして嘲笑う。
「神たる我に戦いを挑んだ時、既に貴様は詰んでいるのだ。いや、違うな。我が復活した時点でこの世は既に詰んでいたのだ。“ソドム”」
超音波のような攻撃が四方八方から飛んでくる。
マリウスはワープでかわすが、余裕はない。
お互いの攻撃が当たらないのは、ソフィアの時と同じだ。
だが、あれはただの手合せであり、今は世界の命運がかかった戦いである。
段々と己の不甲斐なさに腹が立ってくる。
(俺は何やってるんだ)
マリウスは足りないものだらけだ。
その中の一つが様々な経験と戦った経験、それによって培われる引き出しである。
「これならばどうかな? “ソウル・ドレイン”」
悪寒が走ると同時にマリウスは「ディメンションシールド」を展開し、そしてティンダロスが視認出来なくなるほどまで遠くに退避していた。
されど、それでも影響は受けたのか、体から力が抜ける。
(い、今のは……?)
嫌な予感に従って自身の状態を確認してみると、レベルが一だけだが下がっていた。
つまり今のはレベルダウンを強いる攻撃で、しかも「ドレイン」という事はティンダロスの力になった可能性すらある。
実に厄介な相手だった。
攻撃力に関してはアウラニースの方が上だろう。
しかし、戦いにくさ、総合力という点ではティンダロスの方が一枚上回っている。
(さすがは神ってところか……感心している場合じゃないのに)
マリウスは深い混迷に陥ろうとしていた。
ターリアント大陸からも死者が出始めている。
止む気配のない風と雨と雷は容赦なく生命を奪っていく。
人々の表情は絶望と諦観で染まり、悲鳴すら起こらなくなりつつあった。
「雨でも風でも雷でもいつかは止むものだが、これは神の攻撃。神を倒さねば止む事はない、か」
アステリアはごちるように言う。
彼女の表情はいつになく険しかった。
ホルディアの王城は今、都民で溢れかえっている。
近隣一帯で最も高い位置にあり、最も頑丈な建物がここなのだ。
ただ、それもいつまでもつのか。
世界を覆った黒雲は分厚く、雷と風と雨が、まるで競い合うように地上を蹂躙している。
(やはり復活が早すぎたか? もっと減らしておきたかった……)
アステリアの心の内は誰も知らない。
知っていれば、恐らくあっという間に殺されていただろう。
彼女が考えていた事は、もっと人類の数を減らす事だったのだから。
直接的間接的に多くの人の血が流れる事になった原因の一人であるのだが、本心から推測出来るように実は全てわざとである。
アステリアが視野に入れていた邪神討伐。
これを成し遂げる為に不可欠と言えたのが、人口の減少だ。
邪神は「人の絶望をすすり」力を増大させる。
つまり、倒すには絶望をすする相手がいなければよい。
それが「演算」で弾き出した結論だった。
もちろん味方の戦力が強化されれば、減らす必要はない。
その為のアネットであり、イザベラでもあったのである。
そしてマリウスの出現が、アステリアの変化を決定づける事となった。
この男さえいれば、と確信に近い想いを抱きさえしたのだが。
(甘かった。邪神と言えども神の力を侮り過ぎていた……)
マリウスはとっくに邪神討伐を始めているだろう。
少なくともこういった危機に、知らん顔を決め込むような男ではない。
となると、マリウスでさえ倒しきれない強さを持っている事になり、とんだ計算違いをしていた事になる。
アステリアは、復活直後ならばマリウス一人でも倒せると踏んでいたのだ。
時間をかければ力が増大してしまうが、その前に決着をつければ問題ないと。
彼女が人を殺し数を減らしたのは、人類を滅ぼさない為である。
他人から見れば、減らしている元凶であったとしても、それが本音だ。
「演算」スキルには二つの大きな欠点がある。
一つは正確な答えを割り出すには、相応の情報が必要だという事だ。
マリウスに関して読み違えたように、邪神の力を過小評価していたように、情報が少なかったり不正確だったりすると、このような結果になる。
そしてもう一つの欠点は、どれほど正しい答えであろうと、それを論理的に証明出来ないという事だ。
これがイザベラ達にすら、まともな説明をしてこなかった理由である。
両親の死を真面目に説明したら、狂人認定をされ、それ以後は狂人を装ったり、恩を着せたり、様々な事で乗り切ってきた。
アステリアは自分が正しいとは思わない。
彼女が人類を救いたいと思っているのは事実だが、その為に人を殺し回っているのも事実だ。
一体自分のどこが正義なのか、と思う。
他国の王には「この世には正義しかない」と皮肉ってやったものだが。
(まだだ。まだ可能性はある)
マリウス、アウラニース、ソフィア、アイリスの四人が殺されてしまえば、世界は終わりである。
されどまだ諦めるには早い、という勘が告げていた。
邪神が「人の絶望をすすり」己の力とするならば、「人の希望」は害悪となるのではないか。
そんな単純なものか分からないが、まずは試してみる事だ。
最後の最後まで諦めずにあがくのが、今まで死なせてきた者達への責任であろう。
もちろん、それで許されるとは思っていなかったが。
「アネット」
名を呼ぶと、侍女はびくりと体を震わせて恐る恐る女王の側へと寄っていく。
どんな無理難題が、と思っているのだろうし、他の者は程度の差はあれアネットへの同情的な視線を送っている。
(何だ、こいつら。意外と余裕があるな)
他人へ同情出来るのは、まだ精神的ゆとりがあるからだろう。
アステリアは若干嬉しくなったが、表情にはおくびにも出さない。
「クロかシロかをトゥーバン自治領への伝令役として出したい」
そしてちらりと外を見る。
「この中を行けるのはヴリドラくらいのものだろう」
アネットはおどおどとしながら頷き、首をかしげる。
「何と伝えましょうか?」
アステリアはアネットに耳打ちをした。
黒きヴリドラがトゥーバン自治領につく少し前、アウラニースはブチ切れた。
「ええい、マリウスめ、手こずりすぎだ!」
吼えると床を蹴って外へと出る。
「オレと戦っている時間より長いぞ!」
それが本音かと誰もが思ったが、荒れ始めている今のアウラニースを茶化す勇気がある者はいなかった。
イザベラは与えられた一室にこもったままで、まだ例の杖は完成しないらしい。
出来れば完成後、アウラニースに届けてもらうのが一番なのだが、恐らくは無理だろう。
アウラニースはイライラしながら部屋の中を動き回る。
アイリスとソフィアすら、目を逸らして関わり合いになろうとしていない時点で、どれだけ荒れているのかが想像が出来るというものだ。
「ああああああああああ!」
アウラニースが突如吼える。
アイリスとソフィアはとっさに両手で耳を塞いだが、他の者は皆、その場に崩れ落ちた。
ソフィアが近くにいたレミカの耳を調べてみると、どうやら鼓膜は無事のようである。
一応、理性は残っていたようだった。
「オレは行くぞッ! 行けとオレの勘が行っている」
アウラニースは叫ぶや否や、ソフィア達が制止する暇もなく外に飛び出していった。
「だ、大丈夫かしら?」
耳を抑えてうずくまっていたバーラが、やっとの事で言葉を絞り出すと、ソフィアが答える。
「大丈夫でしょう。アウラニース様はああいう方ではありますが、嘘はつきませんから。本当に加勢に行った方がいい予感がしたのでしょうね」
「それってつまり……」
バーラとロヴィーサの声が重なる。
思考がすぐに夫の身を案じるものへと変わったあたり、二人とも立派な妻と言えるかもしれない。
「神の力は我々の想像を絶している、という事だろう」
アイリスがそう言うとソフィアが頷いた。
「世界そのものに影響を及ぼす攻撃など、アウラニース様ですら不可能ですから。この点に関しては、アウラニース様を凌駕していると言えるでしょう。そして、恐らくはマリウスも」
マリウスとアウラニースの二人を凌駕する存在など、確かに想像した事すらない。
二人は邪神を倒せるのだろうか。
外を見ると、相変わらずの暴風雨と雷だ。
雨が上がり、空が晴れ、太陽を見る時はやってくるのだろうか。
「あの二人が無理ならば、この世の誰も無理でしょう」
ロヴィーサがそう言うとバーラも続く。
「歯がゆい事だけど、私達が出来るのは、二人の為に祈る事くらいかしら」
特にバーラはその思いが強い。
人類最強クラスの力を持ち、アウラニース相手に一撃を入れる事に成功した魔法使いでもあるのだ。
世が世ならば、英雄として名を馳せていたかもしれない。
「ま、加勢に行くと言い出さないだけまだ冷静だな」
マリウスの二人の妻をそう評価したのは、加勢に行きたいはずのゾフィであった。
アルとエルもいる。
彼女らはロヴィーサとバーラの護衛と言う名目で残されたのだ。
それが建前であり、本当の理由は足手まといだからだという事は、本人達がよく分かっている。
「私達が行くくらいなら、まだその二人に行ってもらった方がいいですからね」
エルがソフィア達を見ながら言う。
それを聞いた一同は顔を見合わせる。
「その二人、アウラニースの命令なら何でも聞いたりはしないはずですよ。ねえ?」
エルに意味ありげに言葉を投げかけられた二人は、黙って知らぬ顔を決め込んだが、その頬が若干赤らんでいる事に皆が気が付いた。
マリウスが見ていれば「こんなところにもツンデレが」くらいは思ったに違いない。