七話「破滅の使徒」
マリウスがファーミア大陸に到着したのは二回目の転移でだった。
「当たりだな」
「当たりましたね」
マリウスとソフィアは頷きあう。
周囲は真っ暗で、二人には横殴りの雨が降り注ぎ、荒れ狂う風が後ろへと駆け抜けていく。
頭上では黒雲が天を覆いつくし、雷が乱舞している。
地上には黒い水が溢れていて、命の営みがあった形跡はどこにもなく、二人は濁流を避ける為に浮遊魔法を使う必要があった。
「ディテクション」で生存者がいないか、探しても無駄だとしか思えないほどの凄惨さである。
「私は戻ります。ご武運を」
「ああ」
ソフィアは転移魔法で戻り、マリウスは復活したティンダロスを探す事にする。
もっとも、邪悪な波動は知覚出来ているので、すぐにでも遭遇出来るだろう。
マリウスは聖人の類ではなく、思い上がってもいないから、ファーミア大陸の現状を目の当たりにしても、「もっと早く来ていれば」とは思わない。
ただ、邪神を復活させた馬鹿はともかく、無関係な人々の冥福を祈り、敵討ちくらいはしようとは考えている。
消耗を少しでも避ける為、浮遊魔法のみを使いながら進んでいくと、一際力が濃くなり、黒い大型犬状の靄が見えてきた。
「ティンダロスか」
マリウスはそう直感し、言葉に出す。
名を呼ばれた邪神は振り返り、そして感情を込めずに言った。
「またクズが死にに来たか」
「いや、倒しに来たのさ」
マリウスの答えにティンダロスは笑い声を立てる。
邪悪さやおぞましさがふんだんにこもった、暗い笑いだった。
「矮小なる下等生命体の分際で、神である我を倒そうなど、五千億年は早いぞ。クズよ」
マリウスはそれに答えず禁呪「アグニ」を放つ。
問答する暇を惜しんだのだ。
生存者が不在でしかも神が相手という事で、最初から全開である。
目の前は白く輝く炎で塗り潰されていく。
豪雨も突風も、何もかも焼き払わんとした白い業火は数秒で消えさった。
そしてティンダロスは何事もなかったかのように佇んでいる。
消えたはずの雨と風もすぐに元通りになった。
「今、我に何かしたか、クズよ?」
嘲弄と侮蔑がこめられた挑発にマリウスは乗らない。
そんな簡単に神を倒せるなど、最初から考えていなかった。
まず、自分が見つけるべきは突破口だろうと。
「<……無に帰せ>【アニヒレーション】」
触れた存在全てを消滅させる、最強の黒い暴風が吹き荒れる。
雨も風も雷もそしてティンダロスさえも飲み込み、空を覆う黒雲を貫かんとしたところで消えた。
「そんなチンケな攻撃が神に通用すると思っているのか? さすがクズだな」
やはりティンダロスは無事で、またしても侮蔑の言葉が飛んでくる。
マリウスはこれも無視しようと思ったが、すぐに考えを改めた。
「口だけは達者か? 雑魚神」
そして挑発返しをする。
攻撃しても手応えが全くないのは、ソフィア以来だ。
彼女に攻撃が当たらない理由ははっきりしていたが、ティンダロスにダメージが通らない理由は分かっていない。
まず、それを見極める必要がありそうだ。
(ぐずぐずはしていられないんだがな)
マリウスの心には若干の焦りがある。
あまり手こずるとターリアント大陸が、このファーミア大陸の二の舞になってしまいかねない。
「ふっ、クズだけに神の力が理解出来ぬか」
ティンダロスは挑発に乗らず、マリウスを嘲った。
「貴様如きクズに神は倒せぬ。その事を教えてやろう」
邪神が発する圧力が増す。
アウラニースのような純粋さではなく、悪意が固まり巨大化したようなおぞましさだった。
ティンダロスから黒い触手のような靄が伸び、十二本に枝分かれすると水につく。
そして靄はカマキリ、クワガタ、カエル、カブトムシ、ヘビ、鳥、虎のような姿になる。
「我が僕、破滅の十二使徒よ。各地を蹂躙せよ」
神の号令で十二の異形達は空へ舞い上がり、各地へと散っていく。
「俺と戦わない気か?」
マリウスの声はやや上ずっていて、それを見抜いたティンダロスは更に嘲る。
「貴様如きクズ、我だけで充分よ。それよりも貴様が守ろうとしているものを破壊してやった方が愉快だと思ってな」
悪意だけの笑い声がマリウスの耳朶を打つ。
マリウスの心情くらい、邪神は見透かしていたのだった。
「我が十二使徒達は、全員魔王程度の力はある。貴様なしで、この世は無事でいられるかな?」
勝ち誇ったかのように笑う神に対し、マリウスは「アウラニースがいるから楽勝だよ」と心の中でだけツッコミを入れる。
「ほう。何らかの勝算はあるわけか」
するとティンダロスは、まるでマリウスの心を見透かしたような事を言い放ち、ゆっくりと近づいてくる。
「では、結果が出るまでの間、叩きのめしてやるか“バベル”」
黒い雷が周囲一帯に満ち溢れ、螺旋回転をしながらマリウスに襲いかかる。
マリウスは「ワープ」でそれをかわすが、
「“メギド”」
そこに漆黒の劫火が繰り出される。
「ディメンションシールド」「バリケード」「リフレクション」ら障壁を三重に展開したが、苦もなく打ち破られ、マリウスを飲み込んだ。
それを見たティンダロスは吼える。
「小賢しい! “バベル”」
口に当たる部分と上空から黒い雷光が、邪神から見て右斜め上の位置に向けて放たれ、そこにいたマリウスはどうにか攻撃を避けた。
「神たる我にまやかしが通じると思うなよ、このクズが」
そう吐き捨てられ、マリウスは冷や汗をかく。
マリウスが邪神の力にままならぬ状況になっていた頃、黒き異形がターリアント大陸へと飛来した。
ティンダロスが送り出した、破滅の十二使徒である。
彼らは沈みゆく大陸に到達すると、各地に分かれて一斉攻撃を始めようとした。
そのうち二体の前に二人の女が立ちはだかる。
「こいつら、邪神の眷属かな?」
「恐らくは。もっとも、大別すれば私達も眷属になりますけどね」
どこか楽しんでいるかのような態度のアイリス、そしてどこまでも冷静なソフィアだ。
アイリスはカエル、ソフィアはカマキリの異形を目で捉えている。
まず、最初に動いたのはカマキリだった。
数メートルの間合いを刹那で詰めて、カマで女の体を切り裂こうとする。
見事に体を引き裂いたが、手応えは全くない。
怪訝に思ったカマキリがよく見ると、ソフィアの体は霧状に変化していた。
そして次の瞬間、彼女の蹴りがカマキリの顔面に炸裂し、後方へと吹き飛ぶ。
カマキリは四回転ほどした後、羽根を広げて何とか制止し、それを見たアイリスが感嘆の声を上げた。
「へえ。ソフィアの本気の蹴りを食らってダウンしないなんてな。こいつら、そこらの魔王よりも強いんじゃないか?」
「さすが邪神直属のしもべ、と言ったところでしょうか」
ソフィアは冷静に評価を下す。
カエルが舐めるなと言わんばかりに吼え、舌を伸ばしてアイリスの体に巻きつける。
ぎゅうぎゅうと締めつけるが、アイリスは平然と笑う。
「なかなかの力じゃないか。たまには私も本気を出してみるかな」
その言葉を聞いたソフィアは、アイリスから距離を取る。
仲間が自分から離れた事を確認し、アイリスは真の姿へと戻る。
体は島のように巨大で、目はトパーズを思わせる輝きを放ち、丸太よりも何回りも太い、触手のような足が十本生えていた。
島と間違えて上陸した船乗り達を、船ごと飲み干したという伝説を持つ、海の怪物クラーケン。
その王に当たる種と言われるクラーケン・ギガースこそ、アイリスの出身種族であり、アウラニースが海の女王と呼んだ理由である。
十本の太い足は、カマキリとカエルに巻きつく。
そのまま締め上げ海へと引きずり込む。
「メイルシュトロム」
巨大な潮流をいくつも発生させ、捕まえているカマキリとカエルに叩きつける。
人類などが使う魔法「メイルシュトロム」の由来ともなった大技だ。
カマキリとカエルの体は物理的に打ち砕かれて消滅する。
巨大な渦潮はやがて落ち着き、従来のものへと戻っていく。
「私の出番がほぼありませんでしたね」
ソフィアは淡々とアイリスに話しかける。
アイリスは人型に戻ると、仲間に笑いかけた。
「ふん、たまにはいいだろう。私は最近、全くと言っていいほど暴れていなかったのだからな」
「それもそうですね」
十二使徒のうち二体を倒しただけなのにも関わらず、彼女達は悠然と会話しているのには理由がある。
「お前達、ここに変な奴らが来なかったか?」
声をかけてきた主、アウラニースだ。
二人が振り返るとアウラニースは両手が血まみれになっている。
「来ましたけど、私が倒しましたよ」
アイリスが言うとアウラニースが残念そうな顔になった。
「やっぱりか。弱かったもんな、あいつら」
そう言いながら角や爪らしきものを取りだし、二人に見せる。
「見ろよ。破滅の使徒とか叫んでた割に、オレがちょっとこづいたらこのざまだぞ」
こづいただけか、とは言わない。
アイリス一人で二体倒せる程度の力しかなかったのだ。
アウラニースにとっては、退屈だったと予想するのは難しくない。
「さてと、マリウスが苦戦しているようだしオレも行くか」
そう言って飛ぼうとした主人を、二人は同時に制止する。
「まだ戦いは始まったばかりのはずですよ」
「ぬぬ……」
ソフィアにたしなめられ、アウラニースはふくれ面をした。
「だって、あいつだけ神と戦えるなんてずるいと思わないか? オレだって戦ってみたい!」
じたばたするアウラニースをソフィアは冷静に脅かす。
「でもマリウスの言う事を聞かないと、二度と戦ってもらえませんよ」
「ぐぬぬぬ……マリウスの卑怯者め」
アウラニースは悔しそうに地団駄を踏んだ。
ただし、空に浮いているので、音は出ない。
「マリウスが危なくなるまで我慢して下さい」
「そうか、マリウスが危なくなったら、堂々と助けに行けるな!」
アウラニースは名案だと笑う。
それを咎める者はこの場にはいなかった。
ソフィアが言葉をかけたのは別の理由である。
「それで滅魔の黒杖とやらは完成したのでしょうか?」
アウラニースは笑いを引っ込め、首を横に振る。
「いや、まだだ。浸水が始まったせいで移動せねばならなくなったらしい」
ソフィアはアイリスと顔を見合わせあう。
「では私達も手伝いに行きましょうか」
「ぬ?」
不思議そうなアウラニースに、ソフィアは言った。
「念には念を、です。今まで封じられ続けていたのは、簡単には倒せない存在だからではないでしょうか?」
ソフィアの言にアウラニースは納得したので頷く。
「それもそうだな」
破滅の使徒達を破滅させた三人の女は一旦、水沈しつつあるトゥーバン自治領に戻っていった。