五話「禍つ神」
マリウスはオリハルコンと煌めく星屑を探す予定だった。
オリハルコンは海底城グランモニ、煌めく星屑は神代の古塔バールアスにある。
マリウスが知っている限りではそうである。
バーラやゾフィを連れて行けば、彼女達の修行にもなると踏んでいたのだが、そのあたりの機微を理解しない者がいた。
その名をアウラニースと言う。
彼女は空気を読まず、アイリスとソフィアを連れてオリハルコンと煌めく星屑を持ち帰ってきて、マリウスに差し出した。
「ほれ。これでいいだろう?」
得意そうに胸を張るアウラニースに対して、マリウスは無言で脳天にチョップを食らわせる。
「あいた」
感謝されるとばかり思っていたアウラニースは、納得出来ずにむくれた。
「何だよー。せっかく持って来たんだから、まずは褒めろよ」
マリウスは盛大にため息をついてみせる。
「お前のせいで、ゾフィ達を鍛える案が台無しじゃないか。どうしてくれるんだ?」
指摘されて初めてアウラニースは、その事を思い出した。
マリウスの強い装備、という事で頭がいっぱいだったので、ゾフィやバーラの事はすっかり忘れていたのである。
彼女は下手に言い訳をしなかった。
無言で明後日の方を向いて口笛を吹いたのである。
マリウスは脱力してしまったが、何とか立ち直って今後を考えた。
「素材が揃ったのだから、後は作れる人間だな。イザベラに頼めるかな」
一国に仕官している人材を、他国(この場合は自治領だが)に派遣してもらうには、どんな対価が必要なのだろうか。
「無償でやらないとアウラニースをけしかけるぞって言えば、案外無償でやってくれるかな?」
マリウスが外道のような事をつぶやくと、エルがツッコミを入れる。
「ご主人様。人間はそれを脅迫と呼んでいると思われます」
「ああ。さすがに冗談だ」
アステリア相手ならば平気だが、アステリア以外だと少々気の毒だ。
マリウスがそう言うとエルは微妙な顔をする。
「何だかあの女、気心の知れた悪友って感じですね」
「人聞きの悪い事を言うな。あんなのと誰が友達か」
マリウスは心の底からそう思う。
一国の王としての在り方、という意味では否定しないが、仲よくしたいかどうかはまた別の問題である。
外見的にはバーラ、ロヴィーサ、アウラニースと比べても遜色がないので、残念な美女とも言えるが。
だが、エルどころかゾフィもマリウスの心の声には疑問を持ったらしく首をかしげる。
「エルの言う事も一理あると思いますよ? あの女に一番遠慮がないですし」
「あ~……それはだな」
マリウスは口にするのをためらう。
声に出して説明するには、難しかった。
アステリアはマリウスの力を利用するが、私欲の為ではなく国家の為ですらなく、人類全体の為である。
外道な行為も全て同じだ。
もちろん、正しいならば何をやっていいとは思わないし、だから彼女の事は決して好きになれないのだが、全否定するつもりもない。
これは実質的な被害がほぼ皆無のマリウスだからであり、被害者達にしてみれば八つ裂きにしても足りないだろう。
そういったものが複雑に絡み合い、アステリアへの評価となる。
「人類の為、という点では最も信頼出来るけど、人としては信用してはいけないと言うか?」
マリウスは自分で自分の言っている事がよく分からなかった。
「何となく分かりました」
そう言ったのはエルだけで、ゾフィとアルはきょとんとしている。
アウラニース達はどうでもよさそうだった。
マリウスは少し切なくなったが、人外が相手だと自分を説得する。
結局、使者はゾフィにした。
アウラニースだと不安が大きすぎた為である。
ゾフィは東方攻防戦において人類側で参戦し、魔人パルを倒した英雄という見方が強い。
マリウスの召喚獣でもある事から、野放しの大魔王よりずっと安心されるだろう。
イザベラは無償で貸し出された。
「陛下は人類の為になるだろうからって言ってました」
そう言ってマリウスにニコリと微笑みかける。
愛らしい笑顔だったが、ロヴィーサとバーラは笑わず、さりげなくマリウスの側に寄った。
イザベラの容姿が自分達には及ばないにせよ、なかなか整っているからだろうか。
マリウスはそう想像したが、無謀ではないので口には出さなかった。
口に出したのは「ヒヒイロ鉱石の錬成」を頼みたい、という事である。
イザベラは二つ返事で引き受けた。
「ところで滅魔の黒杖の作り方、知っているか?」
「知っていますけど?」
この返事には訊いたマリウスの方が驚かされた。
自分で作るしかないか、と思っていたからである。
「作ってもらってもいいか?」
「いいですけど、失敗したらまずい以上、時間はかかりますよ?」
探るような目で見て来たイザベラに、マリウスは首を縦に振って承諾した。
魔王の牙や爪はともかく、心臓や魂はもう手に入らないかもしれない。
失敗されると困るのである。
それから数日後、ファーミア大陸、某国。
星と月しか明かりがない闇夜だと言うのに、荒野の中にぽつんとたたずむ古城跡内でうごめく人影がいくつもあった。
邪神の復活、世界の転覆、そして自分達の栄光を夢見るティンダロス教徒達である。
彼らは復活させたティンダロスに祝福を与えられる事、自分達の理想郷を築いてもらえる事を疑っていなかった。
ティンダロスが復活出来るのは、自分達のおかげなのである。
ならば、相応の対価をもらうのは当然ではないか。
古来より、人と神が対等であった事など、ただの一例たりともなかったのだが、今の時代に生きる人間に知る由はない。
まっとうな判断力というものを持ち合わせているのであれば、よりにもよって復活させる対象にティンダロスを選んだりはしなかっただろう。
彼らに言わせればティンダロスが邪神扱いされるのは、あくまでも自分達を貶めてこの世を楽しんでいる者達基準での話である。
羨ましい、もといけしからぬ輩達の基準など、考慮すべきではなかった。
「では、いよいよ、取り掛かるぞ」
教皇ブレジネフが言うと、教徒達は一斉に持ち場につく。
彼らがいるのは謁見の間跡である。
四隅に闇の火をかかげる魔法使い達を配置し、獣の血で五芒星の魔方陣を描き、その中心に魔王の遺骸の一部を供えてあった。
「闇の至高に座す、我らが神ティンダロスよ。ここに贄を捧げます。この地に降り立ち、我らに祝福を。そして光の世に終焉を」
教皇の呼びかけに反応はない。
しばらく時間が経過し、信者達の間に動揺が走る。
「な、何も起こらないだと?」
「な、何故だ……」
互いの顔を見合わせ、ぼそぼそとしわがれた声を投げ合う。
教皇ブレジネフは痩せ細った顔に冷や汗をにじませ、信徒達に呼びかけた。
「もう一度だ、もう一度儀式を行う」
信者達は黙って従ったが、その目には教皇への不信感がちらつき始めている。
元々、世間一般から弾き出された事を逆恨みしている連中だけに、教皇に疑問を持つのも早い。
だから実力を背景に睨みを利かせ、黙らせる事にする。
彼が教皇となったのは、単に一番優れた魔法使いだからだ。
ティンダロス教と言えば聞こえはいいが、その実態は落伍者集団に過ぎないのである。
他のまともな宗教のような、ありふれた選出方法など採れるはずもない。
教皇に睨まれた者達は皆、うつむいてしまった。
威圧は成功したわけだが、これはまだ教皇への信頼が残っているからであって、もしも完全になくしてしまった場合は、数の暴力で引きずり落とされるだろう。
ブレジネフは自身の保身の為、より必死に祈りを捧げ始める。
「闇の至高に座す……」
必死の祈りも虚しく、ティンダロスは応えなかった。
儀式の場に重々しい空気が立ち込めてくる。
こうなるとブレジネフの立場がまずい。
信徒達の彼を見る目が、険しいものへと変わっていた。
「ま、待て。落ち着け。話せば分かる」
ブレジネフは早くも取り乱し始める。
彼だって今でこそ教皇という肩書を得て、信徒を顎で使う立場にいるが、元々は失脚した宮廷魔術師だ。
それも誰かにはめられたのならばまだ救いはあるが、定員が決まっている国で彼より強い若者が出現し、交代させられたのである。
その後努力すればまだどうにかなったか分からなかったのに、彼は努力をせず酒に逃げ、妻子に逃げられてしまった。
最後に妻子が彼を見た目が、ちょうど今、信徒達が見ているような目ではなかったか。
ブレジネフはトラウマを刺激され、泡を吹いて倒れしまう。
悪の組織の首魁と言うには、情けなさ過ぎる男である。
こんな男が長をやってこれたという事こそが、ティンダロス教の限界を示しているとも言えよう。
そんな事が全く想像出来ない馬鹿ばかりではなかったのか、ブレジネフへの追及は行われなかった。
問題は、この後どうするかである。
「ティンダロス様は、どうすれば再臨なさるのだろう?」
「そもそもこの儀式はルーベンスから教わったのだろう? 我々は騙されていたのだろうか?」
その危惧が彼らの中で大きくなりかけた時、一人の男が疑問を口にする。
「この教皇が何か間違って覚えているという可能性もあるのでは?」
「むしろそうなんじゃないか。魔人が我々を騙す必要はないし」
「そうだな。ティンダロス様の再臨を願うという点では、我々と魔人は一致しているのだからな」
次々と賛成され、教皇はすっかり威信をなくしていた。
吊るし上げを食らいそうになっただけで失神してしまったのだから、無理もないが。
「となると、何故失敗したか、というわけだが」
「生贄が足りなかったのかな?」
そう言ったのは若い女で、彼女としては単に思いついた事を言っただけだった。
しかし、他の者から賛同者が出てしまう。
「そうか。確かに光を飲み込み、秩序を破壊し、世を覆すのがティンダロス様だ。この程度の生贄では少なすぎたのか」
「なるほど、言われてみればそうだな」
一人が賛成すると皆が次々に賛意を示し、誰も制止しない。
「どうやら新しく生贄を用意する必要がある訳だが……」
「ちょうどそこにいるではないか」
一人の男が意味ありげに気絶したブレジネフを見る。
「なるほど。役立たずを役に立たせるのだな」
これまた次々に賛同者が出た。
仲間だったはずの男に同情する者は、誰もいない。
「俺がやろう」
体格のいい男が、刃物を取り出してブレジネフの胸に突き立てる。
短い苦悶の声を上げ、元教皇は元生き物となった。
「では。三度目の正直といこう」
彼は三度、神に祈る。
そして──ティンダロスは応えた。
「……我を呼ぶのは何者か? 我はティンダロス。世界の創造主であり、全てに対して平等なる者」
地響きのように低くて重く、圧迫感を伴った声だった。
「おおお!」
ティンダロス教徒達は狂喜し、互いの顔を熱のこもった目で見合う。
そして、最年長者が代表して口上を述べる。
「我々はティンダロス様を信奉する者達です。どうか地上においで下さい。そして我々を御導き下さい」
全員が両手と額を地にこすりつけ、全身全霊をこめて祈念した。
「よかろう」
短い返事の後、夜空に分厚い雲が急激に広がり、雷鳴が轟く。
生暖かい風が吹き始める。
そして黒い雷がティンダロス教徒達へ落ち、彼らは全員が絶命した。
黒焦げとなった彼らの遺体から、黒いもやのようなものが発生する。
「我はティンダロス……穢れた世を浄化する者。全ての生命を無に帰す者」
禍々しい声は、ファーミア大陸全土に鳴り響き、寝ていた人々達は驚いてはね起きた。
最悪の邪神、ティンダロスは数万年ぶりに復活したのである。