四話「次へ」
ティンダロスより魔と海と月は生まれた。
ティンダロスは破壊をまき、絶望をすする邪悪なる神。
何者もかの者を呼び覚ます事なかれ。
邪神がこの世に再臨する時、世界は闇で閉ざされ、全ての生命は終焉の時を迎える。
「というわけだ」
アステリアが読み上げたのは、ティンダロスの伝承を記した書物だ。
聴衆の一人、イザベラが勢いよく手を挙げる。
「はい! でも、アウラニースが味方になって、他の魔王や魔人が壊滅状態になったのだから、邪神は復活出来ないのではないでしょうか?」
幼友達の言葉に、女王は頷いた。
「そうだな。私の取り越し苦労であればいいのだが……」
「備えがあれば憂いなし、ですね」
バネッサが言うとミレーユも賛成する。
「アウラニースより強い邪神とか、永遠に復活してほしくないです」
イザベラやアネットも異論はなかった。
彼女達は魔王の死こそが、ティンダロス復活の条件である事を知らない。
だから復活の確率は低いと思っている。
アステリアの「演算」がいくら優秀でも、知らない事は計算しようがないのだ。
「まあ、焼け石に水程度の手なら打ってあるが……」
アステリアの独り言をイザベラが耳ざとく聞きとがめる。
「え? また、何かしていたの、ですか?」
素の口調になりかけ、ぎりぎりで敬語にする。
ただ、それを指摘する者はこの場にはいない。
全員が「また一人で何かしていたのか」という発言に賛成だったからだ。
「そう言えば」
宰相がぽつりと言う。
「何でも船の建造を進めているとか」
皆の視線が一斉に女王に集まる。
「いや、今回はただの布石」
アステリアはしれっと答えて煙に巻こうと試みた。
全員が「説明しろ」と目で圧力をかけるが、そんなものに痛痒を感じるほど可愛げがある女ではない。
(知らない方がお前達の為である、な)
一瞬だけ優しい表情になり、イザベラだけがそれに気がついて「こいつ、また一人で全部背負い込む気か」的な表情になる。
アステリアはそれに気がついたが、知らぬフリを決め込む。
「ま、そろそろマリウスから、何か言ってくるだろうさ」
「え? マリウス領主から?」
「うむ」
マリウスの名を使って皆の意識を逸らしたアステリアは、紅茶を飲みほして指示を出し始めた。
強くなりたい。
マリウスはそう思うようになった。
聖人になったからと言って、アウラニースを倒せるかは分からない。
そして復活するかもしれないティンダロスもいる。
何だかんだでアウラニース達と戦う事を承知したのは、根底にそういう思いがあるからだ。
アウラニース達がティンダロス戦で役に立つかは分からない。
奥の手を使うと「グレイプニル」を破壊してしまう以上、基礎的な力を底上げするしかない、とマリウスは考えた。
元の世界でも何かにつけて「基本は大切」と聞かされたからである。
チートな状態でこの世界に来たマリウスは、基本が出来ているとは到底言えない。
アウラニースのしごきなどを参考にし、少しずつでも基礎能力を鍛えていくつもりだ。
この世界に来た頃では到底考えられない熱心さで修行するが、別に意外ではない。
昔とは違い、今のマリウスには守りたい人がいて、守りたい場所がある。
(本音を言うと、アレの確認もしておきたいんだけどな)
マリウスが思い浮かべたのは仕様外の魔法だ。
正しくは魔法ではなく、バグ技と言うべきだろうか。
禁呪を発動直前のタイミングでキャンセルし、別の系統の禁呪をまた発動直前にキャンセルする。
これを五度繰り返してから六度目で放つと、キャンセルした五回分の威力が「かけ算」となって計上されるのだ。
ちなみにこれがアウラニース戦で使われた事はない。
溜め時間が長すぎて、アウラニースには潰されてしまうというのが一つ。
「レッキング」はそういったバク的効果さえも打ち消せるのが、二つめの理由だ。
禁呪の合成があの威力だとすると、単純計算で更に三倍にはなるバグ技など、使う場面が想像出来ない。
多分、世界が滅ぶよりはマシといった事態にならない限り、出番は来ないあろう。
単純に力を底上げるするならば、不確実だが一つある。
滅魔の黒杖を完成させるのだ。
「バランスブレーカー・オブ・バランスブレーカー」があれば、神とでも戦えるだろう。
道具頼みなのは本意ではないが、人の命が懸かりかねない事態に格好をつけている場合ではない。
魔王の心臓、魂、牙、爪の四つに、錬金用の媒介、杖を作る為の素材も必要になるはずだ。
(えーと、確か神霊の錬成液、煌めく星屑だったか)
やり込んでいただけに、これくらいならばすぐに出てくる。
過去の自分がそんなに立派な人間だったとは思わないが、こういう事態では少しだけ感謝だ。
後は普通の杖も必要のはずである。
マリウスが持っているのは、魔王の心臓と魂の二つ。
いずれもドロップ率が低かったアイテムだ。
最大の問題は、牙や爪をドロップする魔王が生き残っているのか、という点である。
牙や爪がない種類の魔王がドロップする事はない。
変なところでつじつま合わせを怠らなかった運営スタッフである。
こちらの世界も同様でない事を祈りたいものだが。
(いや、待て。アウラニースが、ソフィアあたりが拾っているかも?)
アウラニースはともかく、ソフィアやアイリスならばあるいは。
一抹の望みを抱いて会いに行く。
アウラニース達を見つけるのは、大して苦労はない。
気配を隠していないからである。
「おーい、アウラニース」
遠くから不安そうな視線を浴びせられつつ、のん気に日光浴を楽しんでいたアウラニースは、マリウスに呼びかけられて嬉しそうな顔をした。
「お。オレを探すなんて珍しい? 戦う気になったか?」
「いいや。別の用事」
思い違いを迅速に否定する。
でないと「グレイプニル」を展開されかねない。
「何だよー。何の用だよ」
若干ふてくされてしまった魔王に、マリウスは質問する。
「なあ。魔王の牙か爪か持っていないか?」
その一言で、アウラニース達三人はお互いの顔を見合わせた。
「そんなものどうするんだ?」
アウラニースが代表して訊いてきたので、マリウスは事情を話す。
「というわけで、ほしい武器を作るのに必要なんだよ」
事情を知った魔王の歯切れはよくなかった。
「うーん。お前が強くなるなら協力してやるけど、そんなものあったかなぁ」
「一度拾った時、アウラニース様が召し上がっていましたが」
ソフィアが冷静な声でそんな事を言う。
「はぁ?」
マリウスは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「アウラニース、爪なんて食うの?」
そして変な目で見てしまう。
アウラニースは顔を真っ赤にした。
「おいコラ、ソフィア。いい加減な事を言うな。オレがいつ、爪なんてものを食ったんだ?」
「いい加減?」
怒鳴りつけられたソフィアは、マリウスから見て不気味なまでに冷静な態度で、首をかしげる。
「私が、いい加減なのですか?」
「あ、いや」
アウラニースは一瞬で鎮静化してしまう。
アウラニースとソフィア、どちらがいい加減なのか、本人にも自覚はあったようである。
ただ、本当に覚えていなかった。
「美味かったら覚えているはずだが」
「つまり不味かったんだな」
首をひねったアウラニースに代わり、マリウスが結論を出してやる。
「た、多分」
自信なさげな答えが返ってきた。
覚えていそうなヴァンパイアを見ると、彼女は頷いてみせる。
「ええ、すぐに吐いていましたね」
「つまり、そこに行けばまだ落ちているのか……?」
マリウスの前に道が広がった気がする。
「ヒヒイロ鉱石を拾った時にそれらしきものはありませんでしたか? なければ塵へと帰ったのでしょう」
その言葉で「気がしただけだったか」とマリウスは肩を落とす。
あの大陸跡にあったのは、持ち帰ったヒヒイロ鉱石のみだ。
海洋プレートくらいならば、まだ残っているかもしれないが。
「じゃあ魔王の牙と爪を探さないといけないな。まだ滅んでない魔王って、他にいたっけか?」
マリウスが尋ねたのはソフィアである。
アウラニースはどうせ把握していないだろうし、アイリスとソフィアならばソフィアだ、という判断だった。
「私が把握している限りではいませんね。ゾフィを鍛えるのが一番早いかもしれません」
「……そう言えば、ゾフィにも牙と爪はあるな」
淫魔族だから。
ならば事情を説明してがんがん鍛えるのが一番か、とマリウスは思う。
幸か不幸か、ゾフィは夜に可愛がってやるだけでどんどん強くなる。
「おい、ちょっと待て」
何故か不機嫌になったアウラニースが、ソフィアとマリウスの会話を止める。
「牙も爪もある魔王なら、ここにもいるだろう」
そう言い放ち、アウラニースは本来の姿へと戻る。
「おい」
マリウスは焦ったが、よくよく見れば「覇者の猛威」は発動していない。
臨戦態勢ではないからだろうか。
アウラニースは巨体を動かし、自身の牙と爪を折り、再び人型になる。
「どうだ、受け取れ」
大きな牙と爪をマリウスに差し出す。
マリウスが驚いてまじまじと顔を見つめると、アウラニースはやや頬を染め、目を逸らして言い訳した。
「か、勘違いするなよ。お前ともう一度戦う前に死なれない為だからな。お前に死んでほしくない訳じゃないからな」
「アウラニース様、それ自爆です」
ソフィアが冷静に指摘すると、アウラニースは余計な事を言った部下を睨みつける。
「だ、ま、れ」
その語気の荒さ、眼光の鋭さから、これ以上は命に関わると判断し、ソフィアはこくこく頷いた。
そんな主従漫才を放置し、マリウスは鑑定魔法で確認をする。
「大魔王の豪尖牙」と「大魔王の烈鋭爪」と出た。
どちらも準ユニーク級と言っていいレベルの希少素材である。
恐らく、本人が自身の意思で取ったせいもあるのだろう。
マリウスはそう思い、自分を無理矢理納得させようとした。
「アウラニース、ありがとう」
頭を下げて礼を言うと、アウラニースは驚いてどもる。
「お、おう。き、気にするな……?」
動揺も露わな彼女への追撃は行わず、マリウスは今後について思いを馳せた。
魔王の魂と心臓と比べてレア度が高いアイテムでは、滅魔の黒杖が生成出来るか不安だが、やってみるしかない。
それよりも神霊の錬成液と煌めく星屑をどうするかだ。
マリウスの知識通りならば、どちらもファーミア大陸に存在するはずである。
ヒヒイロ鉱石の錬成が出来るというイザベラならば、何か情報を持っているだろうか。
あまりホルディアを頼るのはよくない気はするのだが、アステリアをこき使う分には構わないとも思う。
マリウスの敗北イコール人類滅亡の危機なのは事実だろうから、案外快く協力してくれるかもしれない。
アステリア相手だと黒くなるマリウスだったが、まず自分達で先に探してみる事にする。
何から何まで頼るには、相手が悪すぎると思ったからだ。