三話「大切なお仕事」
目下のところマリウスの仕事の中で一番大切なのは、アウラニースを構ってやる事である。
より正確に言うと、ストレスを溜めこまないように発散させてやるのだ。
「今日はどうしようか」
マリウスがそう言った時、アウラニースはしばらく唸っていたが、やがて手を叩いて満面の笑みを浮かべて叫んだ。
「マリウス対ソフィアが見たい!」
指名された二人は何となく顔を見合う。
「やらなきゃいけないのか?」
マリウスがそう言うと、
「やらなくてもいいですけど、その場合はなだめる必要がありますよ」
ソフィアが答える。
マリウスはしぶしぶソフィアと戦ってみる事にした。
二人が戦う舞台は、アウラニースが「グレイプニル」を発動させる事で解決する。
「素朴な疑問なんだけど、ソフィアってどれくらい強いんだ? アウラニースのお気に入りって時点で、そこらの魔王よりかは強そうなんだが……」
「さあ?」
ソフィアの返答はそっけない。
自分の強さが具体的にどれほどなのか、考えた事もないのである。
アウラニースにとって大事な人間相手にあまりすげなくするのも、と思ったソフィアは過去を顧みて答えた。
「とりあえず、アラストールやヴェパール、ザガンよりは強いと思いますよ」
いずれもソフィアより弱いと断言出来る魔王である。
ただし、マリウスはどう判断していいのか分からなかった。
「試してみればいいか」
「そうですね。所詮、力比べですし」
両者とも気負いとは無縁だったが、見物客はそうはいかない。
アウラニースはわくわくしていたし、アイリスはソフィアに対して同情していたし、ゾフィ、エル、アル、バーラ、キャサリンはソフィアの「アラストールや……」発言で真っ青になっていた。
「【トニトルス】」
マリウスは不意打ちで雷系の一級魔法を使う。
雷鳴が轟き、無数の電光がソフィアに襲いかかるが、ソフィアの体をすり抜けてしまった。
「はい?」
マリウスが驚いて凝視すると、ソフィアの体が霧のように変化している。
「ミストフォームか」
「ええ」
ソフィアは別に隠そうともしなかった。
ヴァンパイアが得意とするものの一つが、自身の肉体を他のものに変化させる事である。
スキル「ミストフォーム」は霧状に変え、炎と氷系統の攻撃以外は、全て無力化させてしまうのだ。
「【エクスハラティオ】」
マリウスは炎の一級魔法で霧化したソフィアを狙う。
どう切り抜けるのかと思っていると、またしても攻撃がすり抜けた。
それどころかソフィアの事を見失ってしまう。
魔法を使って探そうと思った瞬間、背中を悪寒が走り、マリウスは反射的に
「ディメンションシールド」を展開していた。
その直後、マリウスの影から黒い塊が飛び出し、ディメンションシールドに激突する。
そして一瞬でディメンションシールドを砕く。
それと同時にマリウスは「ワープ」で回避していた。
黒い塊はやがて人型になり、そしてソフィアとなる。
「今の攻撃をかわされたのは、随分と久しぶりの気がします」
涼しい顔をして言うソフィアに、マリウスは舌打ちをした。
「シャドウフォームも使えるのか」
「ええ」
これまたあっさりとソフィアは肯定する。
スキル「シャドウフォーム」はミストフォームの影版といったもので、周囲にある影と同化する事も可能だ。
シャドウフォームは光系統でしか破れない、厄介なスキルである。
更に面倒なのは複数を、状況によって使い分ける事が可能な点か。
「では、こちらからいきます」
ソフィアは地を蹴り、一瞬で間合いを詰める。
ゾフィらが目をむいたほどの速さだが、デカラビアやアウラニースと戦った経験のあるマリウスには、驚くには値しない。
「ディメンションシールド」を三重に展開して備える。
そしてまたしても想像外の事が起こった。
ソフィアの体は、全てを弾くはずの防御結界をすり抜けたのである。
「は?」
そして驚くマリウスに白い手をかざし、魔力を解放した。
「ダイアモンドダスト」
冷たい風と氷の欠片が乱舞する。
しかし、マリウスはその中にいなかった。
ソフィアに攻撃される瞬間、ワープして回避していたのである。
「ファントムフォームも使えるのか」
マリウスは「ディメンションシールド」を無視された理由を言い当てた。
「ええ。あなたも危機回避能力がずば抜けていますね」
ソフィアはあっさり認め、そしてマリウスの回避力を称える。
スキル「ファントムフォーム」は、自身を霊体化させ、障害物や敵の攻撃をすりぬけるものだ。
光系統のものでしか有効打を与えられない。
一方のソフィアも、マリウスの回避力に舌を巻く思いだった。
「アウラニース様相手にダメージを受けなかったのは、伊達ではありませんね」
素直に賞賛する。
かつて何度も戦った経験があるだけに、アウラニース相手に無傷という事がどれだけの偉業なのか理解出来るのだ。
単純で乱暴な戦闘マニアだと思ったら大間違いである。
圧倒的な攻撃力と射程距離、莫大な戦闘経験で磨かれた「シックスセンス」は恐怖でしかない。
「俺の攻撃をここまでかわされたのも、初めてな気がするよ」
マリウスの方も、ソフィアに驚きを隠せなかった。
攻撃がここまで当たらないのは、記憶にない事である。
アウラニースは単に防御や回避をしなかった、という可能性はあるのだが。
そしてそれらを見守る者達の間でも、反応は分かれた。
「やはりこうなったか」
アウラニースは満足そうに笑っている。
彼女はたとえ自分で戦えなくても、レベルの高い戦いを見ればそれなりには満足するのだ。
「マリウス、やっぱり強いんですね」
アイリスはマリウスの力を見て感心している。
ソフィアの実力の方は知っているので、今更驚いたりはしなかったが。
ゾフィ、アル、エル、バーラにとっては、天の上過ぎて何が何だか理解出来ない、というところだ。
「よーし、そろそろ交代するか?」
アウラニースがそう提案する。
これはあくまでも手合せなので、別に決着をつける必要はないのだ。
「では、次が最後の一撃という事でいかがですか?」
「そうしよう」
マリウスとソフィアは、同時に攻撃をする。
「【ラディウス】」
マリウスが使ったのは光系の一級魔法だった。
ソフィアがこれをどう回避するのかを見たかったのである。
「ツンドラ」
ソフィアが放ったのは彼女最大の攻撃だ。
アウラニースと戦って死なないマリウスならば、この攻撃にも耐えられるだろう、と判断したのである。
ソフィアはラディウスをシャドウフォームで難なくかわす。
別に他の手段でもかわせたのだが、そこまで見せる気にはならなかった。
アウラニースの気まぐれな性格を考えると、今後マリウスが敵にならない可能性がゼロとは思えない。
この程度の攻撃ならば、シャドウフォームでかわせると見せるだけにとどめたのである。
そしてマリウスは、ソフィアが放った「ツンドラ」は「エクスハラティオ」で蒸発させた。
結局、両者は一撃も被弾する事なく終える事になったのである。
「引き分けか」
「引き分けですね」
どちらも淡々としていた。
マリウスはアウラニース達の様子を観察し、聖人になった事には気づかれなかったようだ、と安心する。
「凄すぎて参考になりません」
バーラがため息をつきながら言うと、淫魔達も同調する。
「確かにな。ご主人様の攻撃があそこまで当たらんとは」
「ご主人様ってまず回避が凄いんですね。全部紙一重で避けてます」
「あれだけ戦って平然としている、持久力を忘れてはいけませんね」
各々が自分なりに分析していた。
そこにマリウスとソフィアが戻ってくる。
「ソフィアって、ヴァンパイアはヴァンパイアでもヴァンパイアロード……それか、始祖ヴァンパイアだろ?」
マリウスがそう話しかけると、ソフィアは黙殺した。
が、アウラニースがあっさりばらしてしまう。
「おう。ソフィアは始祖ヴァンパイアだぞ。オレが殺し切れなかった、唯一の相手だ」
「……始祖ヴァンパイアが滅んだのってお前のせいかよ」
「まず、勝手にばらさないで下さい」
マリウスとソフィアに呆れまじりの言葉を投げつけられても、アウラニースはからからと笑っている。
モンスターには世代が進むにつれ、強くなる種族と劣化してしまう種族が存在するのだが、ヴァンパイアはその後者だ。
始祖ヴァンパイアは多種多様なスキル、魔眼を使い分ける事が出来、生命力も桁外れだが、ヴァンパイアロードになるとだいぶ落ちる。
「じゃあ次はオレとゾフィ達だな。手加減してやるから、まとめてかかってこい」
「アウラニースって手加減出来るのか?」
一番大切な事をマリウスは尋ねる。
ゾフィ達も似たような事を考えていたのだと、表情で分かった。
「失礼な、オレはちゃんと出来るぞ。やらなかっただけで」
アウラニースはむくれたが、マリウスとしては簡単に信じる事は出来ない。
アイリスとソフィアが保障してくれたので、やっと信じる気になった。
「何だよー。何でオレよりアイリスやソフィアを信じるんだよー」
アウラニースの抗議をマリウスは聞こえないフリをし、嫁と召喚獣に向き直った。
「危なくなったら手を出すから、とりあえずやってみてくれ」
「……いい加減しないとオレ、怒るぞコラ」
声が低くなり、迫力が出てきたのは危険な兆候だ。
マリウスは慌ててなだめにかかる。
「いやいや、こいつらの単に緊張をほぐそうとしただけだから。お前の事は信じているから。じゃなきゃ、戦わせたりしないから」
「……ん? まあ、オレが怖いのは許してやるか、人間や淫魔だしな」
アウラニースはあっさり納得してしまう。
それでいいのかと他の全員が思ったが、誰も突っ込まなかった。
密かに上級魔人並みにパワーアップしたゾフィ、魔人並みになったアルとエル、そして人類最強クラスのバーラ。
彼女らに囲まれても、アウラニースはアリが四匹程度にも感じない。
「まず、お前らの戦い方を見てやる。オレの顔に一発入れてみろ」
ゾフィ、アル、エルが一斉に地を蹴る。
三人がアウラニースに迫った瞬間、彼女の眼前に大きな火の玉が出現した。
バーラの攻撃魔法である。
アウラニースは片手で散らしたが、直後にゾフィが頭上から、アルが右から、エルが左から襲う。
ゾフィのかかと落としを右の掌で、アルの膝蹴りを肘で防ぎ、エルの拳を左手で止めた。
アウラニースは三人の動きを見ていたわけではない。
勘だけで防いでしまったのだ。
「訂正しよう。オレの体に一撃を入れるか、この場から一歩でも動かしてみろ」
そう言い直したところにバーラが「ラーヴァショット」を撃ち込む。
五つの溶岩弾がアウラニースに迫ったが、アウラニースは口から魔力弾を吐き出して相殺してしまう。
「今のお前らじゃ、それも不可能に近そうだしな」
呆然とする四人にアウラニースはそう言ってのけた。
淫魔達はバーラの側に移動し、顔を寄せて作戦会議をする。
「どうする? あの化け物、勘だけで攻撃を止めてしまうぞ」
ゾフィがそう言うとバーラがひそひそ声で言い返す。
「当てるか動かすかだから、物量攻撃をしかけるのが一番だと思うわ」
「でも、アウラニースは魔力弾の物量攻撃も出来るよね」
アルが首をひねるとエルが口を開いた。
「アウラニースは私達が死ぬ、あるいは重傷を負う攻撃は出来ないって制約があるからね。そこをつくなら何とでもなるよ。ただ、それじゃ無意味だけど」
アウラニースに一撃を入れるのが目的ではない。
一撃を入れられるだけの実力を身に着けるのが目的なのだ。
エルはそう指摘するが、バーラは反対する。
「そうだけど、まずは次の段階に進む事が大切じゃないかしら? 一撃入れたら修行は終わりって訳じゃないんだし」
「もっともだな」
ゾフィはバーラに賛成した。
「手加減されまくっている状態なら、一撃は入れられる。それを示さないと鍛える気にもならないって事ではないか?」
「ですが」
エルは懐疑的な態度を崩さないが、何かに気づいたのか短く叫ぶ。
視線を集中させてくる味方達に
「私が考えすぎていたのかもしれません。少なくともアウラニースはそこまで考えてはいないっていうのはありえると思いました」
「だってアウラニースだしな」
ゾフィが頷くとバーラとアルも賛成した。
「アウラニースだもんね」
「そうね。そうなるとやりようがある事になるのだけど……」
バーラは何か思いついたらしい。
「作戦会議終わったかー?」
能天気な声をかけてくるアウラニースに一泡吹かせようと四人は意気込み、散開する。
「大地の怒り、地上に具現せよ【ヴォルケーノ】」
先陣を切ったのはバーラで、炎と土の系統を合成する二級魔法を繰り出す。
「二級魔法っていつの間に」
マリウスが驚いたのも無理はない。
バーラは人目を忍び、こっそりと鍛錬を続けていたのだから。
もっとも、アウラニースにとっては脅威になりえない。
「ヴォルケーノ」を使えたのか、と思った程度である。
彼女にしてみればバーラの魔法は、片手で握り潰せる威力だ。
体に一撃、という約束なので魔力弾で迎撃する。
見事なまでに相殺した時、ゾフィ、アル、エルが一斉に「レーザー」を放つ。
ゾフィが約八十、アルとエルが約五十の本数である。
アウラニースの体に着弾する、その直前に彼女の全身から「レーザー」が放たれ、これまた見事なまでに綺麗に相殺してしまう。
ゾフィ達の攻撃がどれくらいの威力で、どれくらいの攻撃をぶつければいいのか、完璧に見切っている証である。
「本気で当たると思っているなら、オレを舐めすぎだな」
アウラニースがそう笑った時、ゾフィは彼女の真後ろにいた。
自力で移動したのではなく、バーラが魔法で転移させたのである。
「お前がな」
ゾフィはそう言いながら後頭部に蹴りを入れる。
入ると確信した瞬間、蹴りはアウラニースの右手で止められていた。
「残念」
アウラニースはそう言った瞬間、その場にしゃがむ。
頭があった場所にアルとエルが激突する。
「外れだ」
アルとエルの転移さえもかわし、マリウスが「いくら何でも避けすぎだ」と突っ込みを入れようとした時、バーラの次の魔法が発動していた。
アウラニースの足元で植物が生まれ、絡み付こうとしたのである。
しゃがむという行動を取っていたアウラニースは、ほんの一瞬だけ反応が遅れてしまった。
魔力をぶつけて無理矢理植物を消滅させたが、葉が一枚、アウラニースの足首にかする。
「あああ?」
アウラニースは叫び、自身の負けを認める。
「オレをしゃがませる、それが目的だったのか」
アウラニースは悔しそうに言いつつバーラを見ると、殊勲者は膝をつきながら肩で息をしていた。
アウラニースの反応が後手に回るほどの速さで魔法を使い続けていたのだから、無理もない。
枯渇状態にまで陥らなかったのが、バーラも成長している証と言えるだろう。
「アウラニース様に一撃入れましたね……」
「いくら手加減しまくっていたからって……」
ソフィアとアイリスの二人は、信じがたいという表情で言った。
バーラ達への賛辞がなかなか出てこない限り、かなり本気で驚いている。
マリウスはそう判断したし、彼女らには共感出来た。
(俺も割と苦労したんだけどなぁ)
臨戦態勢だったか、稽古をつけているだけか、という違いは大きいだろうが、それでも妻や召喚獣達の頑張りは、マリウスにとって衝撃だった。
誇らしさもあるのだが、「うかうかしていられない」という気持ちも湧いてくる。