二話「誰が呼んだか」
「ヒヒイロ鉱石の錬成なら、我が国のイザベラが出来る」
ホルディアからそう通達を受けたマリウスは悩んだ。
果たしてあのアステリアからの申し出を、単なる好意として受け取っても大丈夫なのだろうか。
夕食、妻達が揃ったので意見を訊いてみた。
「反対です」
バーラは魚の切り身を飲み込んでからきっぱりと言う。
「イザベラなる者自身は信用出来たとしても、裏にいるのはあの女王です。一体何を企んでいるのか、油断はなりません」
これはマリウスも頷ける意見である。
次にロヴィーサが口を開いた。
「妾は賛成ですね。ゾフィ、アル、エルらに監視してもらえれば、イザベラが何を企もうと防げるでしょう。それに、ヒヒイロ鉱石の錬成法を学ぶよい機会にもなりえます」
そこで薔薇水を飲み、続きを言う。
「ただ、アステリア王もそれくらいの事は織り込み済みでしょう。何かあるとすれば、監視されるのを前提したものかと」
これまた一理ありそうに思えた。
マリウスが次に意見を求めたのはエルである。
「うーん。意外と純粋な好意かもしれませんよ。作れないと比喩抜きで大陸の危機ですし。それか、イザベラが来る事そのものが狙いかもしれませんね」
「その心は?」
エルは肩を竦めて曰く
「ハーレム増員」
と言った。
「それはないでしょう……多分」
ロヴィーサがチラリとマリウスを見る。
「それはないでしょうね、恐らくは」
バーラが夫の方を意味ありげに見る。
「さすがにそれはな」
ゾフィが主人の事を半信半疑と言った風に見る。
「いやいや、これ以上増やす気ないよ?」
マリウスはそう弁明を試みる。
「妾達は信じていますよ」
ロヴィーサは優しく言う。
「でも、人がどう思っているかは、また別の話ですので……」
バーラもどこか申し訳なさそうに続く。
(俺ってただの女好きに見えるのか?)
波風が立つのを最小限に抑えられるよう、二人の王女と結婚した。
そして魔人と淫魔を寝返らせて召喚獣としたし、アウラニース一派を抑え込む事にも成功している。
世の為人の為、と言うといささか大げさだし、下心は全くなかったと言えば嘘になるのだが、それでもただの好色男と見られるのは心外である。
だが、エマやアイナらまで似たような表情だとすると、デタラメを言っているわけではないのだろう。
しばらく時間が経過し、マリウスは気を取り直してアウラニースに尋ねてみる。
「一応聞くけど、アウラニースは?」
「一応って何だ」
アウラニースは律儀にむくれて見せた後、特に悩まず意見を言った。
「不埒な真似をしたら殺す。それでどうだ?」
「短絡的すぎるわ」
マリウスは即却下する。
「実際、考えすぎでは?」
黙って聞いていたソフィアが口を開き、皆の視線を集めた。
しかし、ソフィアはそれっきり何も言おうとせず、アウラニースが代弁する。
「オレ達もいると言うのに、何を企む余地がある? ひねり潰してくれるわ」
「……味方なら頼もしいな。うん、そう思う事にしよう」
気炎を吐くアウラニースが頼もしいのは事実だ。
周囲への被害を考えて行動してくれるならば、最強の味方であろう。
考えてくれないと最悪の味方になってしまうのだが。
「よし、決めた」
マリウスは腹をくくった。
「オリハルコン探しを先にしよう」
「ええっ?」
全員につっこまれた領主マリウスだった。
バーラとロヴィーサは、夫の背中が痩せこけて煤けているように思えてならず、二人で相談して気分転換してもらう事にした。
「それで、デートか」
「はい」
バーラは夫に腕を絡めながらそう微笑む。
マリウスは普段ローブをまとってフードを被っているので、平民達と同じ格好をするだけで意外とバレない。
隣の妻の方は容姿だけでも充分有名だから、マリウスの幻覚魔法で見た目を変えている。
見破れそうな者達は何名かいるが、全員がお忍びデートの事を知っているので問題ないだろう。
ロヴィーサとは午後からデートで、ゾフィ達は今頃アウラニースにしごかれているはずである。
「そ、そんなご無体なっ?」
ゾフィは死にそうな顔をしていたが、アウラニースは興味を持った者を殺したりはしない。
そしてマリウスとは違って、本気を出す必要もないだろう。
比較的常識のあるソフィアに、やりすぎたら止めるように頼んでおいたので問題ないと思っている。
(……多分な)
ゾフィと一緒に死にそうな顔をしていたアルとエル、ゾフィを含めて三人に同情的だったソフィアとアイリスに気づかないフリをしたマリウスだった。
マリウスとバーラがデートしているのは、領地内の街である。
特産品もなく、景色のいい場所でもなく、美味しい食べものを出す店でもない、ただの街だ。
「ねえ、あなた。街の人の顔をご覧になって下さいな」
バーラが耳元で甘く囁く。
はた目から見れば、仲のよい新婚夫婦にしか見えない。
マリウスは二十歳前後、妻は十代後半といった年代ではあるが、この世界ではありふれた組み合わせなのである。
現に誰も二人に注意を払っていなかった。
それだけに、マリウスも妻の言葉を忠実に実行出来る。
街行く人の表情はまちまちだが、活力は感じた。
「魔王が復活して、数百万の魔軍に土地が蹂躙されて、国が滅ぼされて、それでも民が暗い表情をしていないのは、あなたのおかげなのですよ」
バーラは夫の手を握り、熱を込めて言う。
「あなたこそが希望なのです。決して代わりがいない存在なのです。あなたは何もかもソツなくこなせる器用な方ではありませんが、あまりご自分を卑下するのはお止め下さい」
「う、うん」
根が単純なマリウスには強烈に効く一言だった。
二人は仲よく腕を組んで街を歩き、様々な露天を冷やかして回る。
そして昼になるとロヴィーサと合流した。
さすがに男一人、女二人という組み合わせになると、時折興味ありげな視線を向けられるようになる。
バーラは周囲に意識されにくくなる、軽微な幻覚魔法を使う。
こういった繊細さ、巧緻さに関してはマリウスよりもバーラの方がずっと上なのだ。
マリウスも練習はしているものの、なかなか埋まらない差がある。
三人は店に入って料理を注文したのだが、はっきりと好みが分かれた。
マリウスは肉、野菜、果物をバランスよく、ロヴィーサは主に野菜、バーラは牛肉に魚料理が中心である。
「そんなに野菜ばかりだとガリガリになるわよ?」
「そんな脂ぎったものばかりだとお肉が恐ろしい事になるわよ?」
二人は微笑みながら、お互いを小さく刺す。
酷くなるとマリウスの「いい加減にしろ」が発動するので、咎められないような程度の低さである。
マリウスにしても、完全には防げない以上、目の前で「ガス抜き」をしてもらった方がまだマシ、という意識だった。
彼らのテーブルの様子に気づいた人達が、小声で「修羅場?」「三角関係?」「何て男だ」と噂しあっている。
マリウスは気づいているが、妻達は気づいていない。
料理の食べ方も対照的で、ロヴィーサは上品に少しずつ食べるのに対し、バーラは外見や肩書きにそぐわぬ豪快さがある。
「夫の前でくらい、本性をお見せになったらいかが?」
「夫の前で獣になるなんて、はしたないとは思わないのかしら?」
バーラが皮肉るとロヴィーサがやり返す。
周囲にすれば、見えぬ剣戟の嵐が吹き荒れているように思えているだろう。
しかし、マリウスはこれがじゃれあいに近いものだと知っている。
知っているからこそ、のん気に肉を平らげ、紅茶を味わい、果物に舌鼓を打っていた。
いつの間にか彼の精神力も成長したようである。
人として正しいかはさておき。
そんなマリウスを見て、周囲の人々はまたひそひそと話し合う。
「あいつ、修羅場なのに平然としているよなあ」
「まるで性王マリウス様のような、図太さだな」
マリウスは反射的に「今、何て言った?」と問い質したくなった。
その欲求は水を飲み干す事で辛うじてこらえたが、むせかえってしまう。
バーラとロヴィーサはそれに気づき、お互いの顔を見合わせた。
彼女達にしてみれば今更だったのである。
世間の人は敬意を込めて「不世出の大英雄」と称えているが、男達の間では憧れとやっかみを混じりに「性王」と呼んでいるらしい。
その事を聞かされた全マリウスが泣いた。
濡れ衣だと言いたかったのか、それとも反論出来なかったからなのか。
こればかりは当人にしか分からない。
午後になり、心なしか午前以上にへこんだマリウスを連れて、ロヴィーサは小さな丘の上へと行った。
名も知らぬ草木が生えている以外、何もない丘の上である。
「妾はあなたが立派な方だと知っていますから」
慰める妻についマリウスは弱音を吐く。
「そうだね。俺って立派な種馬、あるいは女の敵だよな」
全てが本心という訳ではなく、妻への甘えのようなものもあった。
そうと察知しているロヴィーサは、嫌な顔をせずに夫を包み込む。
「別にいいじゃありませんか。あなたほどの方、次の世代を残す事も務めになりますよ」
「そうだな。俺もそう納得していたんだけどなぁ」
ぼやく夫にそっと頬を寄せる。
「そういったところが、あなたの一番素敵なところだと思います」
甘い声で囁く。
耐性は出来ているはずなのに、マリウスがつい照れてしまった破壊力があった。
「そ、そうかな?」
ロヴィーサは頬をかく夫の手を握り、目を見据えて頷く。
「はい。だってあなたは二種類の劇毒に耐えていますから。圧倒的な強さという劇毒、そして権力者という劇毒に。これはなかなか出来る事はないと思います」
歴史を紐解けば腐敗した権力者、簒奪を目論んだ実力者は枚挙に暇がない、とロヴィーサは語る。
「もちろん、そうではない立派な方も存在しますけどね。でも、そういった方が“立派”だと称えられるというのが現実です」
「俺はそんなに立派じゃないけどな」
単に面倒事が嫌いなだけだと言い、寝転がる。
ロヴィーサは黙って太ももでマリウスの頭を受け止めた。
「いいえ。立派な自制心をお持ちだと思います。妾達王族は、一通りそういった教育を受けていますが、それはつまるところ権力の毒に負けぬように、といった側面もあると思うのです」
「王族たる者、国家に尽くせ」というのがロヴィーサが受けた教えだし、その事について疑問に思った事はない。
王族が国家に尽くさず、利己の欲求を満たす事だけを考えるようになった時、民は苦しみ、やがて国家は終焉を迎えるであろう。
「それを避ける為の保身行為とも解釈出来ますが」
皮肉と嘲りを込めて笑う妻を、マリウスはそんな事はないと否定する。
「少なくともロヴィーサがそうだとは思わないな」
「妾も、少なくともあなたは立派だと思うのです。それでよろしいではありませんか?」
マリウスは反論出来なかったので、黙り込んで妻の膝枕を楽しむ事にする。
そんな夫の態度をロヴィーサは嬉しく思う。
弱い自分をさらけ出してもらえるのも、甘えてもらえるのも、妻の特権なのだから。
そして夫に人並みの「弱さ」があるのも支え甲斐があって嬉しかった。
男は何かにつけて格好をつけたがるものだが、妻にくらいは弱い部分を見せてよいと思うのだ。