十話「アウラニース」
「マリウスだ」
しらばっくれても無駄な気がしたので、マリウスは正直に答える。
最悪なタイミングで最悪な奴が来た、というのが本音だ。
魔力を解放し、アニヒレーションでメルゲンを仕留めた疲労がある。
魔力自体は既に回復しているが、果たして消耗した状態で勝てる相手なのか。
「ほう」
アウラニースは紫の目を子供のように輝かせて笑う。
「オレはお前を探しに来たのだ。……何だか覇気が今一つだな」
一転して怪訝そうな表情になり、きょろきょろと周囲を見回す。
そしてポンと手を打った。
「なるほど、さっきまで誰かと戦っていたんだな?」
アウラニースは周辺に漂う魔力の残滓が、マリウスのものと一致する事を見て取り、結論を出したのである。
マリウスにしてみれば困惑を隠せない。
自分を探していた、という割に戦おうとしないアウラニースの真意が読めないのだ。
いつでも魔法を発動出来るよう、心づもりはして口を開く。
「そうだ。お前も俺と戦いにきたんじゃないのか?」
他に探す理由など、思いつかない。
案の定アウラニースはこくりと頷いたが、表情は不本意そうだった。
「当然そのつもりだ。しかし、お前がまさか他の誰かと戦って消耗しているとはな」
鼻を鳴らし、腕を組んで考え込んでしまう。
「あいにく、俺は回復系は苦手なのだ。アイリスとソフィアはどうだ?」
左右を固める美女達にふると、それぞれが反応する。
赤い髪のアイリスがまず答えた。
「苦手です」
次に青い髪のソフィアが答える。
「可能ですが、一度噛む必要がありますよ?」
牙を見せアウラニースが微妙な顔をする。
ヴァンパイアか、とソフィアの正体を察したマリウスをアウラニースが見る。
「ソフィアに噛まれたら、恐らくヴァンパイアになってしまうが構わないか?」
「もちろん断る」
マリウスがきっぱり言ってもアウラニースは驚かない。
ソフィアとアイリスも苦笑しただけだった。
「それはそうだろうな。仕方ない、回復するまで待とう」
そう言ってマリウスを驚かせる。
「いいのか?」
アウラニースの真意を汲もうとするが、分かったのはアウラニースがロヴィーサにも引けを取らない美貌の持ち主だという事くらいだ。
「構わないさ。オレはお前を殺しに来たのではない。戦いに来たのだ」
その一言でマリウスは「こいつ、ただの戦闘マニアか」と気づく。
ならば何とかなるかもしれない。
「そうだな、じゃあ明日以降でもいいか?」
「回復するのに一日かかるのか?」
アウラニースは首をかしげる。
「こいつ、貧弱なのか」と少々意外そうな顔だ。
「万全を期す為だ」
しかしマリウスがそう言うと、納得した顔になる。
「なるほど、オレ相手だから、と言うならば分からんでもない」
にこりと笑った顔は、同性すら魂を抜かれてしまいそうなほど美しかったが、マリウスは全く感銘を受けなかった。
悪魔の邪笑にしか見えなかったのである。
「一日くらいならば待ってやる」
マリウスは礼を言うのも変な話だな、と思いながら家へ帰還した。
それを見届けたアウラニースは嬉しそうに語る。
「見たか? あいつ、アラストールよりずっと強そうだったぞ! 今回は当たりだな!」
「おめでとうございます」
ソフィアとアイリスが交互に祝いを述べる。
内心で「本当にめでたいのはこの大陸だけど」などと思いながら。
マリウスがどこにいるか聞かなかったのは問題ない。
アウラニースのスキル「シックスセンス」ならばすぐに見つけられるだろう。
ピンポイントでマリウスがいるところに来れたように。
「アウラニース様、明日までどうしますか?」
尋ねられたアウラニースは考え込む。
「そうだな……とりあえず腹ごしらえをしておくか。アイリス、オレは魚が食いたい」
「かしこまりました」
要望という形の命令を受けたアイリスは、波打ち際まで歩き、両手を無造作に突き出す。
白くて細い腕の輪郭がぼやけ、無数の吸盤がついた赤い触手へと変わる。
触手はいくつにも分かれ、海の中へと伸びていく。
そして引き戻した時、何尾もの大きな魚を抱えていた。
「さすが海の女王、いつでも大漁だな」
アイリスに魚を差し出され、アウラニースは舌なめずりをしながら賞賛する。
「恐縮です」
アイリスは黙って一礼する。
アウラニースが選んだのは、両手を広げたほどに大きな魚で、黒い鱗を持ち、鼻の先が鋭利に尖っている、スピアフィッシュという名だ。
彼女はまだ跳ねている魚を左手だけで掴んで持ち上げ、頭をかじる。
血が噴き出て、口周りや服をを汚したが気にも留めない。
「うん、やはり魚は生きたやつを頭から食うに限るな」
そう言って満足げに笑うと、ソフィアとアイリスに食べるように目で合図を出した。
ソフィアは魚の腹部に噛みつき、血を吸い上げる。
アイリスは主人のように頭から丸かじりに。
三人の美女が粗野に魚を貪ると言う、奇妙な光景があった。
「ひ、ひいいい、ば、化け物」
突如沸いた声に、三対の視線が集中する。
漁師風の壮年の男が、腰を抜かしていた。
彼の眼はアイリスの両手を捉えている。
「そう言えば、戻してませんでした」
アイリスはうっかりしていたと、触手を人間の腕に戻す。
「漁師のようですね」
ソフィアが言い、アウラニースは興味がなさそうな顔をした。
「弱そうだな、つまらん。オレ達はお前の言う化け物だからさっさと逃げろ」
魚にかぶりつきながら、犬を追い払うように手を振る。
漁師は命からがら逃げだしたが、誰も追わない。
ソフィアもアイリスも、アウラニースが興味を持たない事に興味がないのだ。
食事を終えた三人は残骸を集めて燃やす。
海にゴミを捨てるのはいけない行為なのだ。
「ごちそうさまでした」
アウラニースは灰と海に向かって一礼する。
ソフィアとアイリスもそれに倣う。
「さて。腹は膨れたけど、明日まで暇だな。マリウス以外に強い奴いないか?」
アウラニースの疑問にソフィアがそっけなく答えた。
「いてもマリウスが倒してしまっているでしょう」
「残っているとすれば、問題ない程度の輩でしょうね」
アイリスもソフィアに同調し、アウラニースは口を尖らせる。
「分からんぞ。メリンダだって、召喚獣を使役していたではないか。この大陸の者だって、同じ事をしているかもしれないぞ」
ありえなくはない、とアイリスは思ったが、ソフィアは懐疑的だった。
「ならばマリウスが一人でここにいた理由が分かりません。マリウスが消耗するほどの敵、戦える者がいれば連れてきていたはずです。そうしなかったのは足手まといになる者しかいないからでは?」
「ぐぬぬぬ……」
アウラニースは反論出来ず、悔しそうに唸る。
そんな主人をアイリスがなだめにかかった。
「まあまあ、この大陸も久しぶりなんですし、どんな生き物がいるのか見て回ればいいのでは? もしかしたら未来の強者がいるかもしれませんよ?」
そう言われたアウラニースは、たちまち機嫌を直す。
「そうだな! 大切な事は未来だよな!」
ソフィアはもう何も言わなかった。
マリウスは帰還すると朝食を摂りに行く。
出迎えたのは二人の新妻、三人の召喚獣で、エマ、アイナ、レミカの侍女三人は忙しそうに動き回っている。
「お帰りなさいませ」
五人の美女、美少女に迎え入れられ、マリウスは人心地がついた気分になった。
マリウスに気づいたエマが、慌てず急がず小走り、という器用な芸当を披露して寄ってくる。
「お帰りなさいませ。申し訳ありません、今しばらくお待ち下さい」
恐縮した顔で詫びる侍女に、マリウスは鷹揚に手を振った。
「構わないよ。思ったより早く帰れたのは確かだし」
そう言えばフレデリックに挨拶するのを忘れたな、と思ったが、まあいいかと思い直した。
このあたり、すっかり感覚が麻痺してきていると言える。
「何かあったのですか?」
マリウスがいつもと若干違う様子に、ロヴィーサが気がつく。
「うん、少し。……よく分かったね」
驚くマリウスに対して、ロヴィーサは少し誇らしげになる。
「それなりのお付き合いですから」
そして意味ありげにバーラを見ると、バーラは悔しそうにしていた。
女の戦いは既に始まっているようだ。
マリウスは、バーラの顔を見て何となく察する。
(ロヴィーサってこんな性格だったのかなぁ?)
デレたとたん嫉妬深くなったりするキャラ、というのはフィクションではしばしば見かけたが、実物を見たのは初めてだった。
するとエルがとことこと近寄ってきて、耳元で囁きかける。
「心配なら私が監視してますよ?」
そしてにこりと笑う。
「気が利く私って偉いでしょう?」と言いたげな目と、尻尾が何かに期待しているかのように動く。
マリウスは苦笑し、エルの頭を撫でてやる。
「任せた。悪化する前に仲裁しておいてくれ」
「はい」
撫でられたエルは嬉しそうに返事をした。
ゾフィとアルは何の事か分かっていないが、エルに出し抜かれた事だけは理解して唇をかみ、エルの後頭部を睨みつける。
こちらでも闘いが始まりそうで、マリウスはげんなりした気分になった。
(ハーレムって苦労の方が大きいんじゃないか?)
ハーレムを維持するのはそれなりに大変、と言われるのを見聞きした事はある。
その時は「そんなものかな」「得な方が多いんじゃないか」としか思っていなかったのだが、どうやらそう単純なものではないらしい。
「とりあえず、争う奴は後回しだから」
はっきりとくぎを刺しておく。
何を、と言わなくても、女性陣達には理解の光が浮かんだ。
「私達、仲よしですよね」
「ええ」
バーラとロヴィーサはぎこちなく、微笑みあう。
「私達もだよな、アル、エル」
ゾフィが言うとアルは慌てて頷いたが、エルはニヤリと笑う。
「さて。ゾフィ様とアルの出方次第ですね」
「こ、こいつ……」
にじみ出る黒さにゾフィは睨むが、エルは平然としている。
「この場合、ゾフィ様が悪者になりますよ?」
「こ、この……」
ゾフィは理不尽さに絶句してしまう。
「調子に乗るな」
そんなエルの頭をマリウスがはたく。
「今の場合はエルが悪者だ」
ゾフィとアルはほっとし、エルは神妙に頷いた。
分かっていなかったのではなく、マリウスが怒るあたりを探っているのだが、態度には出さない。
もっとも一番したたかで腹黒なのは誰か、マリウスは気づいている。
そしてマリウスに嘘やごまかしが通じない事をエルは知っていた。
だから大事にはならないだろう、とマリウスは思う。
「ところでま、マリウス」
ロヴィーサが照れながら、再度話しかけてくる。
「結局、何があったのか、教えていただいてませんが」
マリウスはごまかせなかったか、と頬をかいて目を逸らす。
この態度には他の女性達もまなじりをつりあげる。
「ど、どういう事でしょう。ま、ま、マリウス」
バーラがどもったのはロヴィーサより純真だからではない、多分。
ゾフィ達は何も言わないが、打ち明けて欲しそうな表情をしている。
マリウスは別に隠す事でもないかと思いつつ、どんな反応をされるのか、心構えだけはしながら、言ってみた。
「アウラニースに会った」
効果は劇的だった。
新妻二人、召喚獣三人のみならず、給仕の為に動いていた三人の侍女達の時間ですら凍りつく。
マリウスが何度も後悔したほどの時間が経過し、最初に立ち直ったのはゾフィだった。
「あ、あ、アウラニース……アウラニースですか?」
次にバーラがうめく。
「あ、アウラニースとは……あのアウラニースでしょうか」
次にゾフィが目に恐怖を浮かべ、口ずさむように言う。
「戦いの権化、無軌道な災厄、出会ったら絶望、その名はアウラニース……」
予想を超えた反応にマリウスはこんなものかと思った。
アウラニースは運営が用意した設定も豊富だった。
太古、モンスターが跋扈する以前の地上の覇者タイラントという種族であり、モンスターが登場し、同胞がドラゴンら上級モンスターに食い殺される中、唯一上級モンスター達を返り討ちにし続け、最古の魔人、そして初代の魔王となった存在。
頂点に座り続ける者、それがアウラニースである。
人類側は長い歳月頂点に君臨し続ける魔王に、畏敬を込めてこう呼んだ。
「悠久の覇者アウラニース」
と。
「何ですか、その呼び方?」
女性陣が首をかしげたように、この世界では通用しないようだが。
「いや、何でもない。明日戦う約束をしている」
「そ、そんな……」
聞いた者全員の表情から血の気が失せる。
「ご、ご主人様。アウラニースの強さ、ご存じではないのでは……?」
ゾフィが泣きそうな顔で縋りつく。
それを見ても、他の女性達には嫉妬する余裕がない。
「知ってるよ」
マリウスは穏やかに答える。
「他の魔王が雑魚ばかりで退屈して、俺を探したとか言ってた。つまり、魔王を雑魚のように倒してしまうくらいの強さって事だろう」
魔王がただの雑魚。
それがどれほど恐ろしい事なのか、一同は想像する事しか出来ない。
「アウラニースを倒せば、今度こそ平和になるだろう。そうすれば、甘い時間を過ごす余裕も生まれるはずだ」
そう言い、ゾフィ、ロヴィーサ、バーラ、アル、エルの髪を順番に優しく撫でる。
マリウスがいつも通りで、全く緊張していないのを見て、女性陣にようやく少し落ち着きが戻った。
「勝算がおありなのね?」
ロヴィーサの問いにマリウスは頷く。
それを見て、やっと女達の顔に生気が戻ってきた。
マリウスとしては頷くしかなかったのだが、言わぬが花であろう。
アウラニースとの対決前日、マリウスは従来通りの日を過ごした。