間話「災厄2」
アウラニースはファーミア大陸にやってきた。
大陸半分を支配する魔王アラストールが強力だという評判を聞きつけたからである。
「アラストール……知らんな。お前達は知っているか?」
アウラニースの質問にソフィアが答える。
「はい。アウラニース様と同格に数えられる一握りの存在です」
「ほう?」
アウラニースは欲しかったおもちゃを与えられた子供のように目を輝かせる。
「そんな奴がいたのか! ……しかしオレの記憶にはないぞ?」
首をひねる主人にアイリスが言う。
「アウラニース様が覚えているのはメリンダと私達くらいでは?」
「それもそうだな!」
アウラニースは大きく口を開けて豪快に笑う。
彼女はどうでもいい存在は決して覚えない。
恐らくつい最近始末したフォルネウスの事もそのうち忘れるだろう。
彼女ら三人が歩く前方で、モンスター達は決死の表情を浮かべて逃げ出している。
だから魔王アラストールもすぐに異変を察知した。
「どうやら魔王がこちらに向かっているらしいな」
そう言うと不敵に笑う。
人間を蹂躙するのも楽しいが、強敵もまた面白い。
同格の魔王に命乞いをさせるのはきっと愉快だろう。
アラストールのその態度は、部下の魔人達にとっては非常に心強かった。
「アラストール様の相手になればいいのですがね」
カブトムシの外見をした魔人ルガーノ。
「女なら俺達にも回していただきたいですね」
下品な笑みを浮かべたのはトロルの魔人セグンド。
「そもそも勝負になるのか? アラストール様は魔王だぞ」
疑問を投げかけたのはヒポグリフの魔人ガレアー。
彼らはアラストールを含め四名でファーミア大陸東方を絶望の底に陥れている。
支配地域に人類の集落は残っているが、わざと壊していないのだ。
人間が家畜を入れる建物を用意するのと同じようなものである。
「アラストール様の名は大陸全土に伝わっているだろうし、それでも向かって来るという事は、恐らくは同格の魔王でしょうな」
セグンドが己の意見を述べ、アラストールが首肯する。
「我が気配に怯えて逃げ出さぬとは感心な奴だ。しかし、そんな奴はたしてどれだけ残っていたかな?」
魔王はもちろん登りつめるまでが大変なのだが、大半はメリンダに滅ぼされたはずである。
むしろ力をつけて駆け上がったのかもしれないと思った。
「お、見えてきましたな」
ルガーノの声に皆の視線が一方に集中する。
見えてきたのは三つの影、そして三つの美貌だ。
ルガーノ、セグンド、ガレアーが下品な笑い声を上げる。
「すげえ。三人とも美女だ」
「特に真ん中がな」
「俺は左かなあ」
無遠慮に女達を視線で嘗め回し、評価を下していく。
そこまではいつも通りなのだが、アラストールが加わってこない。
不審に思った三人の視線が魔王に集中し、驚愕に変わる。
アラストールは顔を青ざめさせ、冷や汗を滝のように垂れ流し、ガクガクと震えていた。
「ば、ば、馬鹿な……何故いる……」
「あ、アラストール様?」
魔人達は主人の豹変した理由が理解出来ず困惑する。
アラストールは聞いていない。
ただ、うめき声を上げた。
「アウラニース!」
恐怖と嫌悪をこめて呼ばれたその名は、魔人達に対しても絶大な効果を発揮した。
三人の顔にそれぞれ驚愕が走り、思わず視線を美女達に向ける。
「あ、アウラニース……?」
「あれがアウラニース?」
「あ、アウラニースだと……?」
主人の恐怖が乗り移ったかのように三者は後ずさりする。
最強の魔王アウラニースは、強者と見れば魔王だろうが勇者だろうが戦いを挑み、気に入らない者を皆殺しにする苛烈な存在と認識されていた。
「お前がアラストールか?」
最上の美声というものが存在するとすれば、この声において他はないという程に美しく、しかし聞く者を魅了するどころか絶望に追いやる。
それがアウラニースの問いかけであるとアラストールは思う。
「そうだ」
辛うじて声を絞り出したアラストールを見て、最強の魔王は失望の表情を作った。
「オレと同格の猛者と聞いたが……ドラゴンの鼻息に怯える虫けらのようではないか。弱者を装っているならば、なかなかの演技力と褒めるべきだが」
アウラニースの紫の目が突き刺さる、少なくともアラストールはそう感じた。
「申し訳ございません、私の不手際のようで」
情報を提供したソフィアが目を伏せて謝る。
「よいよい、誰にでも失敗はあるからな」
アウラニースはアラストール達が目をむいて驚いたほど大らかに許した。
気に入った者に対しては寛大なのである。
「さて、アラストールとやら。オレの退屈しのぎに付き合う勇気はあるか?」
仮にも魔王相手にここまで不遜な言葉をかける事が出来るのは、きっとアウラニースくらいのものだ。
ルガーノはそう思ってアラストールの反応をうかがう。
アラストールは必死に首を横に振る。
「む、無理だ。あんたに勝てるはずもない」
アウラニースはただ鼻を鳴らしただけであった。
「ふん、邪魔したな」
興味を完全になくし、アラストール達に背を向けて歩き出す。
ソフィアとアイリスもそれに続く。
(無防備すぎるぞ間抜け!)
いくらアウラニースが強くても、魔王たる己が無防備なところを背後から不意打ちすれば倒せる。
アラストールはそう信じていたし、必殺の一撃を繰り出した。
その一撃はアウラニースの心臓を貫通する……と思っていたのは甘美な幻想であり、現実は甘くなかった。
アウラニースは振り向きざまに片手で止めて見せたのである。
それも面倒くさそうな顔をして。
「あ、ありえない……」
魔王アラストールにしてみれば気配を完全に殺して必殺技を出す事くらい、造作もないのだ。
何故背後からそれを察知して、しかも簡単に止める事が出来たのか。
「き、貴様、背後に目があるのか……?」
アウラニースは質問に答えず、表情に怒りを浮かべた。
「魔王たる者がこそこそ背後から不意打ちか。貴様に誇りはないのか」
アウラニースに掴まれている手の骨が軋み、激痛が走る。
「弱い者イジメは性に合わんが、嫌いな奴を見逃すほど寛容ではないぞ?」
アラストールの手が砕け散り、みっともない苦悶の声が口から漏れる。
「愚か者。くだらぬ真似をせねば生きていられたものを」
ソフィアが発した言葉は呆れであり、哀れみであった。
アイリスも似たような表情を浮かべている。
黙って震えていれば死なずにすんだのに、アラストールは己の愚行によって死期を早めてしまったのだ。
「か、かかれ! 皆でかかれ!」
部下達に必死で号令をかける。
命を受けた者達は唾を飲み込み、それでもアラストールの為に戦おうとした。
文字通りしただけであった。
彼らは戦闘態勢に入った瞬間、心臓を穿ち抜かれていたのである。
「どこまでも卑怯な奴」
実行した者はソフィアであった。
一瞬で三人の魔人を葬り去った彼女は、手についた血を舌で舐める。
その時、鋭くとがった牙がちらりと見え、アラストールは正体に思い至った。
「ヴァンパイアがっ」
名前を告げようとした時、アラストールの心臓も貫かれていた。
てっきりアウラニースだと彼は思ったのだが、手を突き出しているのはアイリスであった。
「死ね卑怯者の魔王」
「き、貴様らは……」
アラストールは口から血を吐きながら、何事か言おうとした。
彼が正確に捉えられない速さで心臓を貫き、また魔人達を葬り去る強さ。
「多分正解だろう」
アウラニースはそう答え、アラストールの頭を潰す。
そして鼻を鳴らす。
「弱い脆いそして間抜け。これが魔王か」
穏やかながらも隠し切れぬ怒りがあった。
「こんな奴らが魔王を名乗れる時代なのか?」
まずいとソフィアとアイリスは直感する。
アウラニースの機嫌が徐々に悪化してきているのだ。
弱い者イジメを嫌い、無闇に殺すのも好まない主人も怒りが頂点に達した場合は別である。
「災厄の魔王」という名は魔王級に無軌道に戦いを挑むからついたのではない。
「何かいい案はないか、ソフィア?」
アイリスの問いかけにソフィアは考え込む。
あると言えばあるのだが、不確かな情報だ。
また外れると更にアウラニースの機嫌は悪くなるだろう。
決して自分達に八つ当たりはしないので、そういう意味で悪い主人ではないのだが……。
「あると言えばあるわね」
ソフィアがそう言うと、アイリスよりも早くアウラニースが反応する。
「何? どんな案だ?」
ご飯にありつく野良犬のような表情で問いかけてくる主人にソフィアは苦笑し、「不正確ですが」と前置きをして答えた。
「ターリアント大陸にて魔王と魔人が人間に滅ぼされているようです」
「ほう?」
アウラニースは笑みを深める。
「メリンダという例もあるしな、人間には期待出来るぞ。して、どんな魔王を滅ぼしたのだ?」
「ザガンとデカラビア。いずれもアウラニース様の下にいた事がある者達ですよ」
そう言われてもアウラニースは思い出せず、首をひねった。
「誰だそれ? どれくらい強いのだ?」
「ザガンはフォルネウスよりも強いはずですよ」
アイリスがそう言い、ソフィアも頷く。
それを見たアウラニースは嬉しそうな顔になる。
「ふむ、人間でそれくらいなら期待は出来るな。人間は基本的に伸びしろがある種族だし、ダメでも成長を待てばいいしな!」
「では次の目標をターリアント大陸にしますか?」
アウラニースが頷き、彼女達の指針は決定された。
「ところでそいつの名前は? 何て言うんだ?」
「マリウス・トゥーバンというらしいですよ」
「ほう、覚えやすくていい名だ。マリウスか、どれくらい強いかな……フォルネウスより強いと嬉しいな」
アウラニースは全身から「わくわくおーら」を発し、スキップをしながら歩く。
そんな主人をアイリスとソフィアは微笑ましく見守りながら後を追う。
ターリアント大陸に魔の巨頭が向かおうとしている。