七話「百魔行」
「ふっふっふ、馬鹿が馬鹿騒ぎしているわ」
メルゲンはヴェスターやバルシャークで内乱が起こっているのを知り、悪意を込めて笑う。
元人間のメルゲンから見ても、人間は実に滑稽で愚かな生き物だ。
正義や皆の為と称して同胞を殺すくせに、自分達が殺されたら怒る矛盾を抱えていて、しかもそれに気づかない。
だからこそ真に偉大な自分は人間を見捨てたのだ、とメルゲンは思う。
自分に見捨てられた人間とは哀れな種だとも。
彼はホルディアからフィラート、ミスラ、ガリウスを通過してボルトナーに入る。
それからベルガンダ、ランレオ、セラエノと渡っていく。
彼はネクロマンサーとしてある目的があり、それが叶った事に満足した。
「さてさて馬鹿どもめ、この偉大なるメルゲンの役に立つ時が来たぞ。このメルゲンこそが真の魔王だという事を知らしめてやろう」
彼は決起の地をどこにするか迷った。
どうせマリウスとの対決になるのだから、少しでも地の利がある方がよい。
「バルシャークかヴェスターにしようか」
内乱真っ只中で毎日のように死者が出ている国は、ネクロマンサーにとって最高の環境なのだ。
ガスタークは数百万の死者を操って複数の国を攻めたようだが、メルゲンに言わせれば二流の限界である。
一流のネクロマンサーの恐ろしさを教えてやるつもりであった。
バルシャーク王ジェシカは頭を抱えていた。
こんなはずではなかったという思いが胸を去来する。
東方へ援軍を送らなかったのは別に私利私欲ではない。
ホルディアに信頼出来る将と精兵を送ってしまった為、魔軍との戦いに耐えられそうにもない者達しかいなかったのだ。
すぐに引き返させたところで時間がかかるのは避けられない、ならばいっその事……という思いがあったのは否定出来ないが。
それにしてもあっという間に戦いを終わらせるとは、マリウスはつくづく常識を超えている。
(我が軍が駆け付けるまで戦っていてくれればよいものを)
と身勝手な怒りを抱いたりはしたが。
現在の情勢は最悪に近く、王城を反乱軍五十万に包囲されている。
国王軍は近衛騎士三千、警備兵一万、正規兵と予備兵合わせて十万前後だ。
五倍の兵力差にも関わらず要害とは言えない王城が落ちないのは、単純に反乱軍の指揮系統も戦術もデタラメだからだ。
兵の士気こそ高いものの、皆が好き勝手に突撃する有様で、だからこそ何とか防げているのである。
国王軍は練度こそ上回っているが、数は多くないし国民相手という事で士気はあまり高くない。
ホルディア軍に惨敗した事実が尾を引いてもいる。
持久戦になったら負ける、と思う割には反乱軍が酷すぎるが、それでもどうなるかは分からない。
今は弓や魔法の応酬ではなく言葉が飛び交っていた。
「国王の味方なんてするな! 皆馬鹿王のせいで死んだんだ!」
「そうだ、そうだ! それに周辺国も敵になっちまったぞ!」
「魔人撃退より侵略を優先するなんて何考えてるんだ!」
反乱軍の原動力は主に国王への怒りである。
親兄弟恋人を虚しく死なせたばかりか、敵国家を増やしてしまった。
何らかの責任を取るべきなのに、一言謝意を表明しただけである。
戦死者の遺族への保障は、財政難を理由に先送りにされているのも許せない。
一方国王軍の方も黙ってはいなかった。
「結果が出てから最善な事は誰だって言えるんだよ!」
「その場その場で判断を求められる難しさを知らん愚民どもが!」
そう罵り返す。
もっとも国民に教育を施さないのは国家の方針なのだから、必ずしも国民だけを糾弾しているとは言えないのだが、誰もその事に気づいてはいない。
この日も小競り合いを繰り返しただけで決着はつかず、日没を迎え翌日に持ち越しとなった。
厳しい訓練を積んでいる正規兵ならばともかく、元が一般人の反乱軍に夜間戦闘は無謀すぎるのである。
もっとも国王軍にはそこを突くべきだという声もある。
「陛下、謀反人は民ではありませんぞ。皆殺しにして見せしめにしてやりましょう」
将の一人がそう息巻き、ジェシカの顔をしかめさせた。
「これ以上死者を増やせるか、愚か者め」
そう言って意見を退ける。
ホルディアに攻め入ったのも、東方への援軍を断ったのも、遺族への保障が手厚くないのも、全てジェシカの本意ではない。
しかし「自分は悪くない」と開き直るのは、彼女の矜持が許さなかった。
働き盛りの者数十万も失ったバルシャークは国力が傾いている。
今こそ全ての国民が一丸となって再建に取り組まねばならないのに、民は王の過ちを責めるだけだし、将兵は民を殺せばよいと思っている。
有能な者は皆ホルディアで散ったので、今残っているのは小粒な輩ばかりであった。
こぼれた水をコップの中に戻す事は出来ない。
何とか国家を保つ為、打開策をひねり出さねばならないのだが……。
「申し上げます」
一人の兵士が駆け込んでくる。
「たった今、一人の魔法使いが現れまして、陛下に知恵を授けたいと。この戦いをすぐにでも終わらせる方法を知っているとか」
皆の頭に一つの名前が浮かぶ。
最も強大な力を持ち、出来れば今は会いたくない男だ。
「その者の名は……? マリウス・ヴォン・トゥーバンか?」
ジェシカの声には隠しきれぬ畏怖の響きがある。
己の判断が必ずしも愚かだったとは思っていないが、糾弾されたら非常にまずい事くらいは分かっていた。
「いえ、ルゲンという者で」
「聞かぬ名だな」
魔人メルゲンの偽名という事を疑う者はいなかった。
魔人が偽名とは言え堂々と名乗って正面から城に乗り込んでくるなど、彼らの想像を絶していたのである。
「そ、それが供にオーガを連れておりまして」
「何、オーガを?」
女王は目をみはり、他の者も驚きの声を上げる。
オーガは鬼族最強種であり、グリフォンなどと同列に扱われる上級モンスターだ。
それを従えているとなれば魔法使いとしての力量は証明されている。
「陛下、聞くだけ聞いてみてはいかがでしょうか」
宮廷書記官の一人が提案し、ジェシカは頷いた。
「そうだな。聞いてみるだけ聞いてみるか」
ジェシカは面会の許可を出す。
チャンドラー、ジャスパー、マークら主要戦力となりうる人材全てを失ってしまい藁にもすがる思いだったのだが、彼女が愚王として歴史で語られる事が決まった瞬間でもあった。
ローブをまとった一人の男がオーガを引き連れて歩いてくる。
その姿にマリウスを連想した者は多いが、ジェシカはルゲンなる男がマリウスと違って謙る姿勢がない事を見抜き、不快感を持った。
助勢を願うのは確かに自分達の方ではあるが、それでも最低限守るべきものがあるではないか。
そんな女王の気持ちをメルゲンは内心で嘲笑いながら、一礼してみせる。
「初めまして」
無礼な態度にざわめきが大きくなる。
一国の王に拝謁するというのに、見知らぬ他人に道端で会ったかのような挨拶と態度は許されるものではない。
宰相が顔を真っ赤にして口を開いた瞬間、ジェシカはそれを目で制する。
この王を王と思わぬ態度はそれだけ自信があるからだと解釈したのだ。
圧倒的強さを持ちながら温厚で礼節を守る、あのマリウスのような存在は滅多にいない事くらい、ジェシカは知っている。
実力があるならばある程度は目こぼしすべきであろう。
「何でもよき案があるそうだな」
腹の探り合いどころか前置きすらしない王をメルゲンは哀れみさえ感じた。
「ええ飛び切りの一手がございますよ」
「何だそれは?」
即答されて身を乗り出したジェシカに、メルゲンは「レーザー」で頭を撃ち抜く。
「お前達が生贄になればよいのだ」
人々が目の前で何が起こったか理解するよりも早く、メルゲンとオーガは殺戮を開始する。
と言っても「レーザー」を乱れ撃つだけであっさりと全滅してしまった。
「いくら何でも弱すぎるな。……もっともだからこそ、俺と簡単に会ったわけかな」
「な、何をする……」
まだ絶命していなかった一人が、倒れたままメルゲンを睨み付ける。
ジェシカにメルゲンに会うよう提案した男であった。
「何だお前、死ななかったのか?」
適当に撃っただけでは取りこぼしもあるかと思い、メルゲンは再度攻撃を加えようとした。
壮年の男は必死の形相で叫ぶ。
「ま、待て。俺はティンダロス教徒だぞ」
「ん?」
メルゲンは一瞬動きが止まる。
ティンダロス教徒とは確かルーベンスの工作で生まれた、ティンダロス復活を目論む人類達の集団のはずだ。
つまり立場的には味方という事になる。
「何だ、実在していたのか?」
メルゲンは名前しか知らなかったのだ。
「そ、そうだ。早く助けてくれ、同志よ」
「断る。ティンダロスが復活したら、俺が王になれないからな」
「な、何?」
メルゲンの言葉を聞いて目を限界まで見開いた男の頭を「レーザー」で撃ち抜く。
「神に頼らなくても世界を獲れるこの俺が、何故神を復活させねばならないのだ?」
男へ嘲笑を投げ、唾を吐きかけ、頭を蹴る。
そして生贄を集める作業をオーガにやらせる。
生贄にすると言っても大層な儀式が必要なわけではない。
新鮮な死体があればそれでよいのだ。
「冥府に繋がれし魂よ、ここに捧げし血肉を代償に我が下僕として舞い戻れ【リビングデッド】」
禁呪「リビングデッド」はアンデッド生成魔法の一種だが、ネクロマンシーと違って肉体が滅んだ者すら復活させて使役する事が出来る。
新鮮な死体を用意する必要があるが、その点を除けば非常に強力と言えるだろう。
「久しぶりだな、惨めな姿になったルーベンス」
メルゲンは己の魔法で復活させた、バジリスクのアンデッドに嘲弄を投げかける。
このように己より強力な者すらも自我を奪って従える事が可能なのだから。
自我がない故に本来の能力を十全に発揮する事は出来ないが、ゾンビよりもずっと強い。
「さて、邪神復活の詳細を聞こうか?」
おまけに記憶も残っている。
ルーベンスが話す邪神復活方法にメルゲンは驚きを隠せなかった。
「まさか……そんなふざけた方法だったとはな」
仲間思いだったはずのルーベンスの意外な一面を見た気がする。
少なくとも表裏がない種類の生き物だと思っていたのだが……。
(まあいい。俺が新しい魔王、新しい神として君臨するだけだしな)
その為には既に復活しているらしいアウラニースを屈服させねばならない。
最強の呼び声が高い「災厄の魔王」アウラニースを従えてこそ、メルゲンの野望は完成するのだ。
(それにふふふ……アウラニースは地上のどんな女よりも美しいらしいしな)
最も強くて最も美しい女に傅かれる事を想像しただけで欲望が滾る。
「永遠の女帝」なる異名もある魔王を得るにはまだまだ準備が必要だ。
王城を囲んでいる者達を生贄とし、魔王達を復活させねばならないだろう。
魔王デカラビアと魔王ザガン、それに死んでいった魔人達。
彼らを全部使役し、更にメルゲンのスキルを使って初めてアウラニースを倒しうる陣容になる。
(まあ準備運動がてら、マリウスとやらを倒すとするか)
魔人軍団を蹴散らし、魔王を倒せる力を持っているのだから、死体にして操れば対アウラニース戦でいい駒になりそうであった。
もっとも魔法は使えなくなってしまうので、過剰な期待は禁物だが。
(正直マリウスなんていくら強くても魔法使いとしては二流だけどな)
能ある魔法使いはみだりに目立たないというのがメルゲンのポリシーである。
目立つとマリウスのようにゴミが群がってくるからだ。
真の一流とは自分のような者だ、とメルゲンは考える。
事を起こす時までひたすら目立たず、決して力を悟られない。
だからこそ目的を成就する事が出来るのだ。
マリウスなどただの力馬鹿にすぎないというのがメルゲンの意見である。
的外れではないのだが、蔑視ではない感情が混ざっている事を本人も気づいてはいなかった。
バルシャーク壊滅と引き換えに魔人達は復活した。
「さて、行こうか? 我が下僕達よ」
メルゲンはアンデッドとして復活した魔王ザガン、デカラビア、魔人ルーベンス、ゲーリック、アルベルト、フランクリン、パル、レーベラ、ラーム、ザムエル、ガスタークを引き連れてフィラートを目指している。
「ああ、そうだ。景気づけにミスラには消えてもらおうか?」
幼児が食べたいものを選ぶようにメルゲンは思案する。
「フィラートへの通り道だし、ついでにやろうか。【ネクロマンシー】」
メルゲンは無数のゾンビ達を作り出し、進軍に加える。
別にマリウスにゾンビをけしかける気はない。
ガスターク達が敗れさった事から、マリウスにはゾンビの大群など無意味だと予想は出来る。
それでもメルゲンがやったのには理由はあった。
「伝説の百魔行、偉大なるこのメルゲンが再現してやる」
メルゲンはすっかり魔王気取りでだらしない笑みを浮かべる。
百魔行とは百の魔王と魔人が行進し、大陸を蹂躙しまくった、人類にとっては悪夢でしかない祭の事だ。
メルゲンは己の力でそれの再現を試みようとしているのである。
メリンダによって多くの魔王と魔人が滅ぼされている今、足りない部分はアンデッドで埋めようという魂胆なのだ。
ミスラ国境砦が見えてきた時、ザガンに命令を出す。
「ザガンよ。お前の力を見せてみろ」
自分よりも遥かに強い存在に命令出来るのがネクロマンサーの醍醐味の一つである。
自らの指令に反応して攻撃動作に入ったザガンを見てそう思う。
ヘカトンケイルの魔王ザガンは五十の頭と百の腕を持つ、人が建てた城砦を見下ろせる程の巨体である。
腕力に任せた一撃は、同格の魔王すら致命的打撃を与えるという。
その風評が誇張でない事をザガンは証明した。
「何だ、ありゃ?」
メルゲン一行に気づいたミスラ兵は訝しげな声を上げたが、それが最後の言葉となった。
ザガンの必殺技「コズミッククラッシャー」は天まで届くような轟音を立ててミスラ国境砦を粉々にし、中にいた生き物と存在していた物質を木っ端微塵にし、物理的に吹き飛ばしたのである。
おまけに五十の腕しか使っておらず、メルゲンの想像を超えた力を見せ付けた。
メルゲンが支配するアンデッドとなってこれなのだから、生前ははたしてどれだけの威力を誇ったのだろうか。
「す、素晴らしいぞ、ザガン。さすが俺のしもべだ」
メルゲンは狂喜し小躍りする。
褒められたザガンは何も言わず、反対の五十の腕を振り下ろした。
今度は轟音は発生しなかったが、暴風は発生して遠方へと吹きぬける。
メルゲンの視力では何がどうなったのか分からなかったが、遥か先にあった一つの街が国境砦のように消え去った。
「コズミッククラッシャー」の遠距離攻撃版、「コズミックウェーブ」である。
これがかつて複数の大陸を絶望の底へ落としこんだ魔王ザガンの力なのだ。
マリウスが倒せたのは運が良かっただけだ、とメルゲンは思う。
「さあ人の世を終わらせてやろうではないか!」
メルゲンの宣言に従い、アンデッドとゾンビの群れがミスラを蹂躙する。
百魔行出現の報を最初に掴んだのはホルディアであった。
指示を求めてくる軍にアステリアは冷徹とも言える断を下す。
「無視しろ」
一瞬空白で宮廷内が塗り潰され、次に悲鳴に近い問いが宰相から発せられた。
「み、見捨てるのですか?」
人でなしを見るような、そうであって欲しくないと願うような複雑な色があるが、アステリアはそれに怯んだり惑わされたりしない。
「そうだ。十万で行けば十万、百万で行けば百万が死ぬだけだ」
女王の言う事は間違っていない、と皆頭では分かっている。
それでも何の躊躇もなく見殺しを選択するアステリアには、嫌悪に近い畏怖の念を抱く。
「兵を無駄死にさせるわけにはいかん、理解しろ」
そう言われると反論が困難になる。
「フィラートに知らせてやれ」
マリウスに押し付けたと見るべきか、無謀な事は慎んだ賢明な判断と見るべきか判断が分かれるところだ。
前者の方が多かったのは、きっとアステリアの人となりのせいであろう。
(人類が団結していれば被害は減らせただろうがな)
ゾンビは大量の死体がないと威力を発揮しないし、その上位体は生者を捧げて儀式をせねばならない。
防ぐのは困難でも犠牲を減らす道はあったはずである。
高望みだと分かっていてもアステリアは無念だった。
「ホルディア軍が出撃するのはマリウスが敗れた後だ。その場合は死を覚悟してもらわねばならん」
女王の威をまとう声に一同は平伏した。