六話「婚姻」
マリウスとバーラ、ロヴィーサの婚礼はフィラートの王都フィラートスで行われ、フィラート、ランレオ、セラエノ、ガリウス、ホルディア、ボルトナーの主だった人間が参加する壮大で華麗なものとなった。
まずは王都の街道でパレードを行い、次に教会で宣誓の儀、最後に王宮で披露宴である。
今日は無礼講という事で成人は皆酒を飲み、大いに盛り上がっていた。
ホルディア代表として出席したアステリアに鋭い目を向ける者もいたが、本人は平然としている。
もっとも必ずしも敵意を向ける者ばかりではなかった。
「いやー、アステリア陛下、実にお美しい」
容姿と地位に惹かれて群がる男も一人や二人ではない。
護衛代わりにいるミレーユとバネッサが目を光らせているが、彼女達の周囲にも男はいた。
彼女達全員が美しい独身女性である事と無縁ではないだろう。
このままでは「行き遅れ三羽烏」とでも呼ばれるかもしれないな、とアステリアは皮肉を込めて思う。
群がってくる男達から適当に見繕えば防げそうな事態ではあるが、彼女にはやりたい事、実現させたい事が山のようにあり、結婚している場合ではなかった。
パートナーと頼むに足りる男がいれば考慮の余地はあるが、そんな男はせいぜい今日の主役くらい、というのが彼女の意見である。
ミレーユとバネッサにつき合わせているつもりはないものの、彼女達も結婚しようとはしないし、アステリアも問いただすつもりはない。
主従関係であろうと立ち入るべきでない部分はあるのだ。
男どもをほどほどにあしらいつつ、白眼視してくる者達を無視しつつ、アステリアは本来の目的を果たそうとマリウスを探す。
彼女がやってきた目的は複数あるが、一番の理由は警告である。
フィラート、ランレオの両王に挟まれているマリウスを見つけ、アステリアはそっと近づく。
マリウスはすぐに察知し、他の王も直後に気づいた。
ベルンハルト三世には言いたい事が大陸が作れる程にあるのだが、この場で言う事ではない。
苦々しさを何とか隠しつつ挨拶を交し合う。
「歓迎されないのを承知で参上したのは、マリウス殿に忠告しておこうと思ってね」
「忠告?」
三人が異口同音に聞き返す。
アステリアは小さく頷き、
「まだ魔人の勢力は滅んではいない。そんな気がしてならないのだ」
マリウスをじっと見つめる。
二王は露骨なまでに不信の表情を作ったが、マリウスだけは考え込む。
情報系のスキルを持つらしいアステリアの読みは、笑うしかないくらいによく当たるのだ。
「気がする」程度でも他人のヤマカンなどよりは信頼出来ると考えた方がよいだろう。
「分かった。気にはとめておく」
「すまんな」
アステリアはしおらしく謝り、三人の男は驚いた。
「貴君も正義の為にも行動するのかな?」
ベルンハルト三世はつい皮肉を口にしてしまう。
「ふっ。少なくとも人の世には正義しか存在しないはずだが?」
アステリアは彼女にしては控えめな皮肉で返し、フィラート王もランレオ王も険しい顔をしたが、マリウスだけは何とも言いがたい表情になった。
元の世界で「正義は人の数だけ存在する」という説を聞いた覚えがあり、アステリアは同じ事を言った気がしたのである。
ホルディア王は更に言葉を続けた。
「後はアウラニースだな。魔人達が大暴れしたのに見つからなかったとなると、案外他の大陸で復活しているのかもしれぬ」
これは誰にも受け入れられなかった。
マリウスでも疑問が勝ったのである。
「頭ごなしに否定はしたくないが、それなら何故この大陸は平和なんだ?」
「そうだ、そこがこの説の問題でな」
マリウスの言葉にアステリアは思案する表情を作る。
まさかアウラニースが復活した時、戦いを楽しめそうな相手がいなかったからだとは誰も思わなかった。
結局捜索を続けていく事で結論となる。
マリウスはこの後すぐ、新妻二人を連れて宴を抜けた。
引き止める輩はいなかったが、もしいれば「野暮の極み」と謗られただろう。
マリウス達が充分この場から離れたと確信出来る程度時間が経過してからアステリアは口を開く。
「フィラート王もご苦労な事だ。周辺国から嫉視反感を買わぬ為に娘を第二妃にせざるを得ないのだから」
同情と言うには鋭すぎ、また毒がこもりすぎている。
少なくともベルンハルト三世はそう思った。
「当然だ。我が国は他国と助け合っていかねばならんのだからな」
胸を張って答えるが本心ではない。
周辺国の反発を食らって孤立し、マリウスの力でもどうにもならない展開になるのだけは避けたかったのだ。
「娘よりも国か。父としての正義はないのかな?」
アステリアは嘲弄する。
先ほどの意趣返しであろう事は想像にかたくはない。
フィラート王は反論出来ず歯軋りをし、見かねたランレオ王がとりなすように言う。
「そう言うなホルディア王よ。一国の王たる者、家族より国を優先せざるをえないのは、同じ王たる貴公ならば理解出来よう?」
つまらない嫌がらせは止めろというわけだが、アステリアは更に嘲った。
「ふっ。何かを犠牲にし、言い訳を重ねる。それが貴公らの正義か。いちいち庇護せねばならぬものが果たして正しいのかな?」
せっかくの祝勝の雰囲気を大いに盛り下げ更に評判を落としたホルディアの女王は、散々毒を撒き散らして満足げに引き上げた。
「何しに来たのだあの女は」「何で呼んだのだ」という怒声が飛び交った。
周囲から気を使われた三人は結婚後ベルガンダへの移住が決まっていたが、新居はまだ完成していないという理由でフィラートスにあるトゥーバン邸に滞在していた。
「だったらもうちょっと広い方がよかったかな」
婚礼を終えて戻ってきたマリウスは軽く後悔する。
自分一人ならば広すぎる屋敷も、王女二人と侍女達も滞在するとなれば手狭だとしか思えなかった。
不満を感じるのではと危惧された二人の女性の反応はというと、
「いいじゃないですか、愛があれば」
バーラは輝くような笑顔でそう言い放ち
「妾は初めから承知の上ですし」
ロヴィーサはクールに答えた。
三人はエマが淹れたレモン茶を飲み、焼いたパイに舌鼓をうっている。
二人とも「もっと豪奢な屋敷を」と注文したりしなかった事に民衆は安心し、「無欲で立派な王女」だと褒めるのだが、王女達の実体を把握しているとは言いがたい。
バーラは魔法面、ロヴィーサはフィラート全体の益に関しては貪欲で、妥協させるのは一苦労な相手なのである。
民衆は「王女はとにかく金がかかるもの」という幻想を抱いていて、それをよい意味で破壊されたから感心したにすぎない。
二人とも一般的な物欲とは無縁で、だからこそマリウスとの結婚に波風が立たなかったのだろう、とエマは思う。
マリウスだって絶対的な力を持つ割に欲や野心とは無縁だ。
ごく一般的な男がマリウス並みの力を持ったと仮定すれば、まず王女と土地、そして権力と財産、時には王位さえも要求するであろう。
強い者は厚遇されるのだから当たり前である。
魔王や魔人は滅んだとしてもまだまだ強力なモンスターはいるし、他の大陸からやってくるかもしれない。
つまり需要は尽きないのだ。
(まあマリウス様がその気になればなくしてしまえるかもしれないけれど、多分それはないわね)
これはエマに限らずフィラート全体の認識である。
マリウスは力に溺れる事もなく威張る事もなく、力の限界を見切っているような人物だ。
庶民出身としては驚異であり、エマは尊敬すらしている。
もちろん手放しで褒める事は出来ない。
きちんと将来の設計図を描く事がいい男の条件だとすれば、マリウスは一考の余地もなく落第である。
しかしそれがかえって「血の通う人間」だと思わせる事になり、親近感を覚える者がいるのが現実だ。
完璧な人間がいるはずもなく、またいたところで好かれるのは困難だろう。
エマも「完璧侍女」「超人侍女」と言われているが、他の侍女より出来る事が多いだけで、一つ一つを見れば彼女を上回る人間はいる。
後任に決まったレミカやアイナだって得意分野ではエマより達者なのだ。
(ロヴィーサ様とのお別れもそろそろね)
エマはロヴィーサ達とマリウスの結婚を見届けた後、ミスラへと嫁ぐ予定である。
正確には婚約する予定が決まっただけなのだが、覆る事はないだろう。
ミスラではフレデリックが強制的に失脚し混乱が起こっているという。
それを早期に収める為にも「マリウスの妻、ロヴィーサの元侍女」という駒が求められ、エマの実家とフィラート王家は応じたのだ。
エマ自身の意見が聞かれた事はなく、実家が決定を通達してきただけであるが、彼女に否という感情はない。
育ててもらった家に恩を返し、国家に奉仕するのがフィラート貴族に生まれた女の義務だ。
ただ、ロヴィーサとすごす日々に終わりが来る事に寂しさがある事もまた否定出来ない。
彼女の身分からすれば「畏れ多いにも程がある」が、姉妹のように仲よくしてもらえたと思う。
そんな王女もとうとう結婚するのだ。
相手は頼りない部分が目立つものの、強さにおいては比類がなく、善良さにおいても信頼に値するマリウス・ヴォン・トゥーバン侯爵。
近いうちに公爵になる事が決まっている。
「王女の結婚相手が侯爵などあってはならない」というランレオの主張を容れての事だ。
また公爵ではなく大公の方がいいのではないかという声もある。
(どこまで栄達するのかしら?)
皆忘れているようだが、マリウスがフィラートに迎え入れられてからまだ半年も経っていない。
驚きや呆れを超越した速度だ。
恐ろしいと思わないのは、マリウス自身の人柄をエマが知っているからだろう。
「エマさん特製のパイ、本当に美味しいわね」
バーラは幸せそうに頬張る。
「全くだな」
マリウスはお茶を飲みつつ賛成する。
これからは夫婦という事で互いに敬語はなしにしよう、という話し合いが三人の間でなされたのだった。
「それもそろそろ食べ収めかしらね」
ロヴィーサがぽつりとつぶやく。
主君である彼女にはある程度の情報が入ってくる。
エマがミスラに嫁入りすれば、会う事すら難しくなるであろう。
しんみりとした空気が漂いかけエマは殊更明るく言った。
「結婚しても時々遊びに来れると思います。その際、ロヴィーサ様とバーラ様の手料理も頂きたいですわ」
「え……」
「え……」
エマの発言にロヴィーサとバーラは固まる。
生まれて以来一度も包丁を持った事がないのだから当たり前だ。
そんな二人を見てエマは悪戯っぽく笑う。
「手料理の一つくらい出来た方が殿方の心を掴みやすいですよ」
そこまで言ってからマリウスを見る。
「ねえマリウス様。料理が出来る女と出来ない女がいるとすれば、出来る女の方がいいでしょう?」
「ああ。そのどちらかなら」
マリウスはエマの意図が把握出来ず、馬鹿正直に答えた。
それを聞いたロヴィーサとバーラに軽く動揺が走る。
「でも王女が料理した事ないのは当たり前だよな」
すぐに気づきエマの狙いを理解していないだけにすかさずフォローをする。
二人が安堵しかけたところにエマはぼそっとつぶやく。
「でもキャサリン様はお上手らしいですよ」
「え?」
今度はマリウスも一緒に聞き返していた。
エマは女教師のような表情で言う。
「何でもボルトナー王家は狩猟を覚えるのが慣わしで、キャサリン様は獲物を捌いて調理する事が出来るそうです」
意外ではあったが、ボルトナーならやりかねない事でもあった。
マリウスも「何を教えてるのやら」と思う。
「お二人とも宜しければ私がお教えしましょう」
エマが微笑むと釣られたかのように二人の王女は頷いた。
「あまり時間を取れないでしょうから厳しくいたします。お覚悟を」
「エマ基準で厳しいの……」
ロヴィーサは顔を青ざめさせ、それを見てバーラも唾を飲み込む。
愁嘆場に近かった空気はどこかに行ってしまった。
(もしかして)
マリウスはエマの意図が少し分かった気がしたが、口にはしなかった。
言わぬが花、という言葉が頭に浮かんだのだ。
その時ちょうど扉がノックされ、アイナが入ってくる。
「失礼いたします。準備が整いました」
彼女は同僚達と共に「初夜」の準備を行っていたのだ。
三人が寝るベッドに新品のシーツや布団を用意し、花を花瓶に活け、香を炊く。
マリウスには大仰としか思えない事だが、それが王女が初夜に臨むにあたってやらねばならない風習だという。
元の世界のゲン担ぎに等しいもので、これをやらないと子に恵まれないと信じられているのだ。
(まあ子作りしなきゃいけないわけだし)
マリウスは黙って受け入れた。
部屋に入ると芳しい香りで満ちていて、気分が落ち着かされる。
アイナが一礼して下がるとバーラとロヴィーサは二人ともマリウスの目の前でドレスを脱ぎ始めた。
「え?」
マリウスが驚いて声を出したのをおかまいなしに、妻二人は薄いネグリジェを着る。
体つきがはっきり分かるだけではなく、下着も透けて見えるような過激なものであった。
「見て脱がせていいのはあなた様だけです」
ロヴィーサが珍しく目を伏せ、頬を紅潮させ、しどろもどろになりながら言う。
「私達はあなた様だけのものです」
バーラも全く似たような様子で、声を上ずらせつっかえつっかえ述べる。
この二人も「妻の誓い」を照れたり恥ずかしがったりせずに言うのは無理らしい。
普段とのギャップにマリウスは興奮せずにはいられない。
「えーとじゃ、ロヴィーサから」
「は、はい。優しくして下さい」
ロヴィーサは全てが強張っていて、ベッドまで歩くのもぎこちなかった。
そんな彼女をマリウスは優しく抱きしめる。
「大丈夫だから」
耳元でそっとささやくと、ロヴィーサの体から少しずつ力が抜ける。
充分にリラックス出来たと見てからそっとベッドの上に押し倒した。
レミカが仕事を終えて廊下を歩いていると、淫魔三人組が扉の前でしょんぼりと落ち込んでいるのを発見した。
「どうかしたの?」
小さな声で話しかけるとゾフィが納得いかないという顔で答える。
「いや、処女二人同時相手は大変だろうから、手伝いつつ女達に床指南をしようとしたんだが、ご主人様に叱られてな」
アルが続けて言う。
「空気を読めって部屋から追い出されちゃったの」
レミカは当たり前だと思ったが、淫魔達の感覚では不思議らしい。
説明しようと口を開いたらエルが先んじた。
「処女二人じゃご主人様の相手は無理だと思うけどね。かえって不満が溜まるだけじゃないのかしら?」
「あ~……」
そこまで言われるとまだ生娘のレミカにも何となく理解が出来た。
何故追い出された彼女達が部屋のすぐそばで待機しているのかも。
男という生き物は一回出して終わるとは限らない。
マリウスは何度も出来るタイプなのだろう。
耳年増な同僚が言っていた「絶倫」というやつだ。
「大丈夫じゃない? マリウス様、経験結構あるみたいだし」
レミカはそう言ったが、願望がこもっている事は否定しきれない。
そしてどういう願望なのか、レミカ自身よく分かっていなかった。
「まあ我々は警護も兼ねて待機しているさ」
ゾフィがそう言う。
およそ最も無防備になる瞬間というものがあり、マリウスでさえ例外ではなく、その時を自分達が守るというのだ。
(さすが本職……)
レミカはそれ以上の事は考えないように努め、自分に割り当てられた部屋へと戻った。