五話「一難去ったと思ったら……」
魔王デカラビアと魔人達は全滅し、ターリアント大陸から脅威は消えた。
人々はそう信じて疑わず、隣人知人友人と喜びを分かち合う。
「凄かったな。物凄い音がして、地面が何度も揺れてさ」
そう振り返るのはヴァユタの森の側の村から避難していたホルディア人である。
「この世の終わりかと思ったよ」
一緒に避難していた年寄りはそう感想を漏らす。
「でもでもこれで戦いは終わりだよね! 悪い奴は皆マリウスって人がやっつけたんだよね!」
子供の一人が目を輝かせながら言い、大人達の苦笑を誘う。
「そうね。そうだといいわね」
子供の母親が優しく微笑む。
魔人や国家同士の戦いに魔王。
人々はいい加減戦いの連続にうんざりし、平和を求め始めていた。
これはホルディア国内に限った話ではない。
だからマリウスの存在とその功は神の慈悲と映った。
もしアステリアが彼らの声を聞いていれば言っただろう。
世の中そんなに甘くないと。
魔王の脅威は去り、ヴァユタの森跡から温泉が湧き出るという珍事が起こったものの、外に目を向ければ問題はいっぱいだ。
ミスラ共和国ではリコールが起こってフレデリックは失脚し、戦争犯罪者として家族ともども投獄された。
バルシャークとヴェスターでは謀反が発生し、内乱が起こった。
いずれも王の愚かさを責め、責任を追及する為にである。
本来ならば鎮圧すべき軍はホルディアの地で壊滅した事もあり、王軍が劣勢であった。
それでもすぐに決着がつかない理由は、反乱軍が戦争の素人揃いである事、まだ近衛騎士が王家側として残っていた事、王都が要害と言える程度には堅固な事が挙げられる。
そう、魔の脅威が去った大陸西方では、人類同士が相争う事態へと発展していたのだ。
そんな有様をアステリアは冷ややかに見守っていたし、他国には怒りを込めて伝わっていった。
「いい加減にしろよ……」
その報せを聞いたマリウスはもう怒る気にもならなかった。
アステリアが言っていた事はこれかとは思っただけで。
マリウスが出て行けば鎮圧する事そのものは容易である。
しかしそれでは何の解決にもならないだろう。
今回の事態は国民の不満が爆発するという形で起こったのであり、マリウスにそれを解消する方法はない。
マリウスが王を倒しておしまい、では何にもならない。
世の中、力だけではどうにもならない事は数多く存在するのだ。
その為に国家や王家といったものがあるはずだが……。
分かっていたつもりでもいざ見せられるとやるせなさを感じる。
フィラートを始めとする三国に懲罰を検討していた国も、干渉する余裕はなかった。
早い話、ベルガンダ滅亡への対応に追われているのである。
「残念ながらよそに口を出す余裕はありません」
ロヴィーサは淡々とマリウスに言い聞かせる。
彼女は無情なようにも思えるが、情に流されず冷静に物事を判断出来るという強みを持つ。
王家としては不可欠な素質だろう。
「わたくし達に出来る事を一つずつやっていきましょう」
そう言ったのはバーラである。
彼女とロヴィーサ、エマ、そしてマリウスは結婚式の打ち合わせという名目で集められていた。
バーラが言った「自分達に出来る事」というのは、結婚を発表して人心を安定させる事である。
過半数の人々は、王女と英雄の結婚に胸を躍らせ、国に未来があると確信してくれるのだ。
マリウスの正式な地位や肩書はまだ定まっていないが、第一妃はバーラ、第二妃にロヴィーサという事は決まっている。
やはりフィラートの人間がフィラートの王女を第一妃に、というのは問題があったのだ。
ロヴィーサ本人が黙って受け入れた為に揉め事は起こらず、それを知ったフィラート国民は「さすがだ」と褒め、ランレオ国民に自慢した。
何かとフィラートに突っかかるお国柄のランレオの人々は、自国の王女が当代の英雄と結婚するというだけで誇らしく、フィラートの自慢を聞き流すゆとりがあった。
こんな風に両国の人間達にはささやかな変化が見られ始めている。
それだけでも今回の婚姻には意義があったと言えよう。
世話役というものを命じられたエマは、いつも通り職務をこなす。
彼女はロヴィーサが結婚すれば役目を解かれる事が決まっている。
マリウスも彼女の主人も残念がったのだが、生憎と彼女は既に十九歳だ。
貴族の令嬢という事を考慮すれば、そろそろ結婚を考えねばならない。
「畏れ多くも妹のように思っていたロヴィーサ様がご結婚となりますと、私の役目もようやく終わります」
晴れ晴れとした表情を見せた彼女に翻意を促すのは、ロヴィーサもマリウスも困難であった。
いつか来ると分かってはいても、寂しさを感じずにはいられない。
ロヴィーサにとってもマリウスにとっても彼女は日常の一部となっていたのである。
「結婚なさったら私もお呼び下さいね」
厚かましいという解釈も成り立つような事を言って、何の違和感もなく受け入れられるというのは間違いなくバーラの強みであろう。
エマには二つ返事で了解を得た。
「しかしエマさんが退任ってなったら後任は誰になるんだ?」
マリウスにしてみればそれが問題に思えた。
エマはロヴィーサのよき理解者であり、マリウスも結構お世話になった相手である。
「エマさんを泣かせたら魔法をぶち込む」というのはいささかでしゃばりすぎかもしれないが、幸せになってほしいと思う。
それだけの存在だけに、後任探しは大変ではないだろうか。
「アイナかレミカだと思いますけど」
エマはしれっとして言い放ち、マリウスを驚かせる。
彼女達と知り合い交流を持ったのは、そういう意味での顔合わせもあったかららしい。
「いや。私直属の侍女ですよ?」
「夫婦直属となれば問題ありませんね」
エマが冷静に述べてロヴィーサとバーラが頷く。
このあたりは大らかと言ってよいのだろうか。
マリウスの疑問を察したらしいロヴィーサが言う。
「財産の共有という概念があるのです。あくまでも夫婦が同意した場合に限っての事ですし、使用人の場合は当事者の同意も必要ですが」
強制だと家屋や財産が乗っ取られる危険が高いからだ。
使用人も主人の結婚を機に実家に帰ったり、他の職場に移ったり、主人に合わせるように結婚したりする場合が多い点を考慮されている。
特に侍女は貴族の一員であったり、そうでなくとも立派な身元な者しかなれない。
そんな者達を粗略に扱ったら人望を底まで落とすだけである。
「財産」呼ばわりするのはあくまでも形式上にすぎない。
それに面識のある者の方が好まれる場合も珍しくはなかった。
もっとも一人で世話出来るはずもないので、何人か連れて行く事になるだろうが。
マリウスはなるほどと思いながら、ある点に気づいた。
「財産の共有、ですよね? 私達が結婚した場合はどうなるのですか?」
フィラート王家もランレオ王家も後継者が他にいるので、「持参金は国」という事にはならないだろうが、それでも何もないという事はないだろう。
それにマリウスはまだ自覚を持ったばかりだが、広大な領地を有する貴族である。
そのあたりはどうなるのだろうか。
マリウスには「乗っ取られる」という危機感はなく、「お助け要員」が増えるかもという期待感に満ちている。
そうと察した三人の女性は口元を綻ばせ、ロヴィーサが教師のような表情と口調で言った。
「まずマリウス様は王族に叙せられます。そして王位継承権は与えられません」
これは予想していた事なので頷く。
王女と結婚しても王族にはならない、などという主張を通すには駆け落ちでもするしかないだろう。
「ただ私達の子供には与えられます。揉めない為には妾の子はフィラート、バーラ様の子はランレオしか継げないと予め定めておくべきでしょう」
「どっちも継がないという選択肢は?」
マリウスの疑問にロヴィーサは柳眉を寄せた。
「賢明とは言えませんね。王位争いを起こさぬ為にある程度人員を絞り、明確に序列を定めておくべきでしょうが、少なすぎてもいざという時に不安です」
言葉足らずになりかねないと思ったエマが捕捉をする。
「継承権は一度失ったら最後です。剥奪された者も更生すれば再度与えてもよいと、そんな解釈を持ち出す不逞の輩が現れないとは限りませんから」
これには頷けた。
マリウスには到底理解出来ない感覚だが、王家に限らず名門の継承者の地位や財産をめぐって肉親が骨肉の争いを繰り広げるのは決して珍しくはない。
地位はともかく財産に興味を感じないあたり、昔の自分とは随分変わったものだと思う。
少なくともかつては金銭には関心を持っていたはずだ。
懐かしさやほろ苦さをこめて前の生を振り返る。
「誰もマリウス様の領地を乗っ取ろうと企まないと思いますけどね」
エマが首をかしげ、ロヴィーサが同意する。
「ええ。マリウス様がその気になれば国の一つや二つ簡単でしょうし。魔王や魔軍を一蹴する方に盾突く愚か者はいないでしょう」
バーラが続けた。
こちらは目を年頃の少女のように輝かせている。
「いるとすればマリウス様のお力を利用しようと思う者達でしょうね。ある意味で私達も同類ですが……」
一転して自虐的な言い方になり、マリウスはつい擁護したくなった。
「あ、でも面倒事を全部丸投げ出来るのはありがたいです」
英雄扱いされ称えられるのが気持ちよくないと言えば嘘になるが、付随するのはよい事ばかりではない。
むしろ煩わしさを感じる事の方が多かった。
三人は意味ありげに顔を見合わせる。
ロヴィーサが説明再開の口火を切った。
「領地に関してですが、妾とバーラ様はそれぞれ自領を持ちます」
王家直属領土というものはあるだろうし、とすると王族個人の領地があってもさほどおかしくはない。
「先程申し上げたように共有するか個人で所有したままにするか選べますが」
「個別でいいんじゃないでしょうか」
領地が増えても責任も増えるのは堪らない、という心の声を言葉にこめて三人を苦笑させる。
領地は飛び地になってしまうが、この場合に関しては問題ないだろう。
そこでロヴィーサが小首をかしげた。
「しかしマリウス様は旧ベルガンダを引き継ぐわけですから、むしろ人材を集めるお手伝いをした方がよいかもしれませんね」
「叶うならばぜひともお願いしたいです」
マリウスは即答する。
彼が分かるのはせいぜい信用に値するか否かだけで、有能かどうかなど判断出来るはずもない。
そのあたりは王家を頼るしかないし、力を借りれるならばありがたい。
「国家運営に支障がない範囲で引き抜きですか……マリウス様の下で働きたいという者を探すだけならば難しくないでしょうけどね」
エマの言葉はもっともで、マリウスの民からの評判は天井知らずに上がっている。
王女達との結婚となればなおさらであろう。
ただ有用な人材でなくても人員が減れば経済に支障が出るのは避けられないだろう。
どちらも成り立つように、というのは骨が折れる作業になりそうであった。
「……ますます戦う場合じゃないですよね」
マリウスが珍しく不快げに吐き捨てる。
西方の混乱の事を言っているのは、誰の目にも明らかだ。
「そうですね。しかし武力では解決出来ませんし、かと言って特別に許すわけにもいきません。彼らへの罰は混乱が収まってからでしょうね」
ロヴィーサがきっぱりと答える。
魔軍が出たら協力しろというルールのようなものは存在しない。
するのが常識という感覚を大多数の者が共有しているからだ。
メリンダ・ギルフォードが出現する前の時代を「暗黒時代」「魔王跋扈時代」「人類総畜生時代」などと形容する。
表現から察しがつくように昔の人類は、魔に怯え見つからないよう少人数で隠れ住む生活を強いられていた。
それを終わらせたからこそ、メリンダは常に英雄の筆頭として数えられるのだ。
マリウスという新たな伝説が現れても、その功績は色あせるものではない。
「しかし罰するにもまず支援をしなきゃいけなくなってきてるような」
バーラが困り声でぼやく。
罰する為にまず助けるという本末転倒な話であるが、見捨てるわけにもいかない。
民衆の意思で政治が行われるミスラは、滅んだところで民衆の愚かさ故だと割り切る事も出来るが、ヴェスターとバルシャークの民はとばっちりでしかない。
国家存亡の危機がひたひたと近づいているのに何をやっているのだ、という思いはなくもないが、毎日生きる事で精一杯の民衆にそれに気づけというのも酷な話だ。
「王と大統領を民が罰した事で罪は減殺、が現実的な落としどころではないしょうか」
エマが自らの予想を述べる。
「問題は国王軍が勝利した場合よね」
王が負けて捕えられた場合、愚か者は民によって裁かれたとしてもよい。
あまりやりすぎては自らの身にも返ってくるのだ。
だがそうはいかないのが現実というものであり、その場合も想定しておく必要がある。
「その場合は私が行って捕えてきましょうか」
本当は今すぐ行って捕えてやりたいのだが、それは国政干渉に当たる。
やれば後で強烈なしっぺ返しが来るだろう。
マリウスがいれば実力で返り討ちだが、マリウスがいないところでされる分はどうするのか。
そのあたりを考慮すれば、どうしても力ずくというのはためらわれる。
結婚を控えているのに自分さえよければよいという振る舞いは慎むべきだろう。
三人の女性はまたも互いの顔を見合わせ、エマが答える。
「それでしたら問題はないかと」
王が勝った場合、東方諸国が連名で糾弾し、使者としてマリウスを送り込めばよい。
さぞ震え上がるだろう。
ならば最初から馬鹿な真似はするなと言いたいマリウスであった。
もっともこれはどの国も似たような感想を抱いているに違いない。
時は少々遡り、アステリアがイザベラの涙に撃沈された日の深夜、ホルディアとバルシャークの国境にて。
「【リインカーネーション】」
おどろおどろしい声が響き、一つの影が沸いて出た。
「やれやれ酷い目にあった」
ヴリドラ達に倒されたはずのメルゲンである。
転生魔法「リインカーネーション」は、術者をリッチという怪物として復活させる、禁呪に指定されている魔法だ。
この術の特徴は死ぬ前にかけておくという点にある。
「ふふ、見事に成功したようだ」
魔人でも有効なのか一抹の不安はあったが、見事に賭けに勝ったのだ。
ヴリドラという格上に遭遇しても逃げなかったのは、事前に転生魔法を使っていたからである。
元々は対マリウスを想定したのだが。
自分の体をすみずみまで精査し、リッチとなった事によって身体能力も魔力量も大きく強化されている事を確認し満足する。
メルゲンにとって誤算だったのは、一気に中級魔人レベルまで強化されていた点だ。
「さてと、間抜けで邪魔なルーベンスはどうなったのか? さっさとくたばっていてくれればありがたいが」
ミレーユに執拗な質問をしたのは、ルーベンスが死んだかもしれないという期待の裏返しであったのだ。
のろのろと歩き始め、すぐに足を止める。
「地獄の奥底より、悪鬼を招来せん【サモンオーガ】」
邪悪な魔力が渦巻き、黒い肌を持ち額から角を生やした大きな異形が現れる。
地獄に住み、他の鬼族を食らって成長するという伝承を持つ、鬼族最強種「オーガ」であった。
「お前みたいな雑魚でも盾代わりにはなる。光栄に思うがよい」
最強の鬼であっても魔人よりは格下にすぎない。
ルーベンスが生きているならば、何かと言い訳が必要だ。
リッチになったくらいではあの魔人に戦闘力で対抗する事など敵わない。
ただ、魔王が復活している割には静か過ぎるように思えるし、メルゲンは密かに期待している。
「彷徨う亡者達よ。我が意思に従え【ゴーストコントロール】」
メルゲンのネクロマンサーとしての力量は、ガスタークを遥かに凌ぐ。
彷徨う霊を支配し、諜報代わりに使う事など造作もない事であった。
「さあさあ可愛い死霊達、私の知りたい事を教えておくれ」
死霊達は青い火玉となってホルディア各地へ飛んでいき、数十分かけて戻ってくる。
各地の死霊から集めた情報をメルゲンへと伝えた。
「ふはははははは!」
メルゲンは願ってもない展開に大きな声で笑ってしまう。
魔人ルーベンス、ゲーリック、そして魔王デカラビアはいずれも死亡。
彼にとって最高の結果であった。
「ついに私の時代が来るな」
多くの者は誤解しているが、ネクロマンシーは単に死霊を操ったりするだけの底の浅い魔法ではない。
真の力、真の恐ろしさを教えてやろうとメルゲンは意気込む。
アステリアの懸念は当たっていたのである。
彼女が確信を持てなかったのは、転生魔法に関しての知識がなかったからだ。