三話「意地」
「じゃあお別れですね」
ヴァユタの森の入り口に転移したマリウスは、恐縮する使者を魔法で移動させる。
さてと森の中を目指して歩き出そうとした時、強烈な圧力が発生したのを感じ取った。
(この感覚……アルベルト、フランクリンみたいだ)
恐らくは魔人の気配であろう。
しかもあの二人とは違い、見えない距離からでもはっきりと感じ取れる強大さにマリウスは嫌な予感がする。
魔人最強のルーベンス、あるいは既に魔王が復活したのかもしれない。
「【ディテクション】」
植物さえ探知出来ない魔法なのだが、数とおよその位置を把握するには信頼出来る。
ここより数キロ離れた場所に二つの生き物がいる。
単純に考えれば魔王と魔人だろうか。
行くしかない状況だ。
今後の事を考えるならば無詠唱よりも詠唱省略がいいだろう。
「【アタッチ】」
マリウスが転移した時、ちょうどルーベンスがブレスを吐くところだった。
バジリスクのブレス「デットリーポイズン」を強化した「ディザスターヴェノム」は、城砦をも砕く破壊力と魔人さえ致命的な劇毒を併せ持つ。
その直前で転移したマリウスは、脊髄反射で防御魔法を使っていた。
最強の防御結界「ディメンションシールド」である。
しかし紫色のブレスを浴びると軋み、マリウスに負荷を与える。
(マジか)
驚くマリウスに聞こえる程度ではあったが、音を立てて結界は破れ、ブレスが波及する。
「【リフレイン】<……全ての力を退けよ>【ディメンションシールド】」
無詠唱では防ぎきれないと判断し、「リフレイン」と神言の指輪の効果を使い、二重の結界を張る。
うち一枚も音を立てて砕け散り、最後の一枚が防いだところでブレスは消えた。
詠唱を省略すればするほど力は落ちるのだが、それでも防御結界を二枚も破られたのは初めての事である。
「マリウスか」
ルーベンスもブレス攻撃が全く通じなかったのは滅多にない体験だ。
自分の名を言い当てられ、さてはこいつがルーベンスかなとマリウスは思い、そのルーベンスが攻撃していた理由を知りたくて後ろを見る。
「間に合ったみたいだな」
賭けに勝ったと言わんばかりのアステリアに声をかけられる。
「何やってんのあんた」
考えるよりも先に口に出ていた。
魔法で探知した結果、周囲に生き物がいなかった以上、アステリアは一人でルーベンスと向き合っていたのは明らかで、しかもどう見ても状態異常攻撃を受けている。
一国の王にしては軽率と言わざるを得ない。
問い詰められたアステリアは軽く肩を竦める。
「話はここを切り抜けてからにしよう」
「それもそうだな」
マリウスは「キュアオール」で呪いを消し去り、ルーベンスに向き直る。
ルーベンスは警戒心むき出しでマリウスを睨んでいた。
彼のブレスを防ぎ切り、呪いも消し去る男など想像通りの恐ろしさだ。
「【コンゲラーティオ】」
魔王の封印地という点を考慮し、効果範囲に融通が利く「コンゲラーティオ」を選択して放つ。
ルーベンスはブレスで迎え撃ち、相殺に成功する。
周囲には毒と氷片が散らばって地面が部分的に腐り、あるいは凍りつく。
「舐めるなよ、小僧。そんな手加減した魔法でこのルーベンスをどうこう出来るものか」
ルーベンスの声には若干の怒りがあったが、それ以上に舌打ちしたい気持ちが優っている。
上級魔人を一蹴するマリウスの広範囲攻撃で、一挙にデカラビア復活といきたかったのだ。
マリウスも別にルーベンスの思惑を読んでいたわけではない。
ただ、ザガンが実は復活していたという例を覚えていて、今復活されたら面倒そうだからというだけであっだ。
それを察したアステリアは笑いを堪えつつ、邪魔しない為にマジックアイテムで避難する。
「【スマッシュ】【コンゲラーティオ】」
重負荷をかけて敵を圧し潰す土系一級魔法「スマッシュ」をルーベンスは回避し、「コンゲラーティオ」はブレスで相殺する。
瞬く間に周辺が更地へと化していく。
ルーベンスが睨むだけでマリウスは呪い状態になる。
アステリア達と違い即座に行動不能にならないのは、「賢者」が呪いにも耐性を持っているからだ。
それでも放置しすぎると問題になるので隙を見て「キュアオール」で打ち消す。
「キュアオール」は光系の状態異常回復魔法である。
ゲームならばどんな状態異常をも消せたが、現実では術者の魔力に依存すると考えるべきだろう。
状況は拮抗している。
あまり派手な広範囲攻撃を使いたくはないマリウス、防御に回らざるを得ないルーベンス。
両者ともに決め手を欠いているようにも見えた、マリウスは早くも開き直っていた。
(長引いたら結局復活させてしまいそうだしな)
どうせ復活されるならば、いっその事ある程度ダメージを与えられるような、高火力攻撃をするべきかもしれない。
アステリアがさっさと避難して巻き込む危険がなくなったという事実が後押しする。
一方のルーベンスはマリウスにとても敵わないという境地に達していた。
致命傷を避けるだけで精一杯なのである。
しかし魔王復活の悲願を捨てる事も出来ない。
かくなる上はとある決断をした。
「<……蹂躙せよ>【エクスハラティオ】」
白く眩い炎が森の約半分を包み込む。
「ぐぬぬ」
ルーベンスは人間形態に戻って大きく距離を取ったが、炎の広がりは刹那の速さで、とても回避出来なかった。
魔人達を即死させてきた業火は、森の木々を蒸発させ、ルーベンスに大きなダメージと激しい苦痛を与える。
離れていてもほとんど意味がないとしか思えぬ程の威力であった。
致命傷とならなかったのは、ドラゴンの上級魔人の生命力のおかげだろう。
だが生き残ったのならばルーベンスの負けではない。
すぐ後ろから魔王独特の感覚を感じる。
だからルーベンスはそこへ目がけて「ディザスターヴェノム」を放つ。
上級魔人は人間形態でも真の姿と同じ芸当が可能なのだ。
威力は大きく落ちるが、魔王を無理矢理叩き起こすには充分である。
そして自分の心臓を手で貫く。
「デ、デカラビア様……後は……」
言葉は最後まで続けられなかった。
デカラビアのスキル「ライフドレイン」が発動し、ルーベンスはデカラビアに接収されてしまったのである。
マリウスが追いついた時は既に遅く、ルーベンスの命を代償に魔王デカラビアは力を取り戻した状態で復活した。
「お前の想い、このデカラビアが受け取ったぞ!」
重々しく威厳がある声が聞こえてくる。
「我は魔王デカラビア。魔を統べて天地を蹂躙する者」
地響きがし、大地が揺れる。
そして少しずつマリウスへと近づいてくる。
「我が民草を虐げし人間よ、報いを受けよ」
魔王デカラビアはマリウスが大きく見上げなければならない程巨大で、青い胴体を持つスライムだった。
「スライムが魔王……?」
さすがにこれは予想してなかったとマリウスは目を丸くする。
思い返せばゴブリンの魔人レーベラという前例があったのだが。
そんなマリウスをデカラビアはじろりと黒い目で睨む。
「種族でワシの力を見誤る痴れ者。散れい!」
デカラビアは「ローリングクラッシュ」を繰り出す。
言ってみれば転がって体当たりするスライムの攻撃手段なのだが、その速さと破壊力はアルベルトの比ではない。
(重戦車が戦闘機の速さで突進してくるようなもんか?)
ワープで上空に避難したマリウスの体には、衝撃がわずかに残っている。
物理防御力もある「煉獄のローブ」を纏っていて、直撃しなかったにも関わらず。
もしまともに食らったのならば魔法使いの肉体では即死するしかないだろう。
デカラビアはマリウスを見つけると今度はブレスを吐く。
スライムが何度も進化を繰り返して身につける「アシッドブレス」だ。
洪水のような酸性の液体がマリウスを目がけて撃ち出される。
「<……退けよ>【ディメンションシールド】【リフレイン】」
避けた方が周囲への被害が大きくなると判断し、防御魔法で受ける。
ルーベンス戦を考慮して二枚張ったのだが、二枚ともあっさり砕け散った。
ただしブレスも無力化され、マリウスは反撃に転じる。
「<……蹂躙せよ>【エクスハラティオ】【リフレイン】<……眠る>【コンゲラーティオ】【リフレイン】」
魔王が相手という事で一級魔法の四連発である。
まず「エクスハラティオ」二発で焼き払い、「コンゲラーティオ」二発で凍りつかせる。
ヴァユタの森は既に「元・森」というしかない惨状になっていた。
氷が砕け散った時、デカラビアは健在でマリウスを睨んでいる。
「なるほど、やるなぁ。しかし、その程度ではワシは倒せんのぉ」
デカラビアはしわがれた笑い声を立てると「ライフドレイン」を使い、回復してしまう。
この環境で発動するという事は、植物の根や微生物あたりから吸収しているのだろうか。
「周囲がこんな有様では回復出来んとでも思うたか? 甘すぎじゃのぉ」
デカラビアは驚きを隠せないマリウスに勝ち誇り、「ワープ」でその目の前に移動する。
そして近距離から「アシッドブレス」を吐く。
「<楯よ。災いをかの者に写し変えよ>【リフレクション】」
酸性のブレスは瞬時に展開された鏡のような結界に反射され、デカラビアに襲いかかる。
楯は砕け散ったものの、マリウスにダメージはない。
「ぬ!?」
酸性のブレスを浴びたというのにデカラビアは単に驚いただけであった。
自身の攻撃でダメージを受ける間抜けではないのか。
マリウスは地上にワープした後そう思いながら、次の詠唱に入る。
「<……無に返せ>【アニヒレーション】」
空へ回避したのは最強の禁呪を使う布石に過ぎない。
空まで追って来なければ、その時は空から魔法の雨を降らせるまで。
今、禁断の黒き滅びの風が吹き荒れ、デカラビアの巨体を飲み込む。
黒い風が消え去った時、デカラビアはまだ滅んでいなかった。
「ぐおおお……き、禁呪まで使うとは」
三回りほど体が小さくなり、至る所で黒ずんでいたが、それでもまだ生きている。
「“アニヒレーション”を食らっても死なないとは、さすが魔王だな」
マリウスも連続で魔法を使用し、最後に禁呪を使った事で息をつく必要があった。
デカラビアはマリウスの目の前に転移してくる。
そして即座に「ライフドレイン」を発動した。
マリウスは反射的に「ワープ」で回避したが、完璧には逃れられず少しだけ魔力を奪われる。
「自惚れすぎだのぉ……」
デカラビアにはそれで充分だった。
「たかが禁呪の一撃くらいで、このデカラビアが死ぬとでも思ったか?」
自己回復スキルも備えているのか、少しずつ回復していく。
「【ハイヒール】」
人間の治癒魔法を唱え、マリウスを愕然とさせる。
「ワシのスキルは“ラーニング”よ。敵の魔法やスキルを学習し、耐性をつけ、会得する。このスキルでワシは魔王まで上り詰めたのだ」
デカラビアは威厳に満ちた笑い声を立てる。
「貴様の魔法は覚えつつある。貴様の勝率はどんどん下がっているのだ」
「なるほど、だから俺の魔法にも耐えられたのか」
完全復活には至っていないはずの魔王が、マリウスの連続魔法攻撃を耐え抜けた疑問が氷解した。
「ラーニング」は一度食らった攻撃への耐性を得て、二度目以降は受けるダメージや効果を軽減させる効果を持つスキルである。
会得可能の効果まではなかったが、それはゲームとの差異であろう。
「“アニヒレーション”に耐えたのは、俺の魔力をラーニングしつつあるという事か?」
「話が早いな、その通りだ。不完全体でいきなり浴びていれば耐えられなかったであろうな」
デカラビアは朗らかに笑う。
まずは小手調べと思ったマリウスが愚かだったのだ。
そしてわずかだが「ライフドレイン」を受けてしまった事も。
ザガンが弱すぎた弊害が出たと言えるが、言い訳だとマリウスは己を戒める。
このデカラビアを倒さねば人の世に未来はないのだから。