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肉塊

作者: 柑橘みかん
掲載日:2026/08/11

視た。


その認識を持ってしまったら、その人はターゲットになる。

最初にその坂で人が死んだのは、六月の終わりだった。


大型ショッピングモールの裏手にある、長い坂道だった。

ショッピングモールは丘の上に建っている。駐車場から下へ伸びる坂は幅も広く、歩道も整備されていた。近隣の住民が駅へ向かうときにも使う、ごく普通の道だ。


だから、最初はただの事故だと思われた。

坂の途中で、男性が一人倒れているのが見つかった。

外傷はほとんどなかった。

しかし、顔だけがおかしかった。


頬が左右から押し潰されたように歪み、輪郭そのものが四角く変形していた。

顔の中央には、さらに奇妙な跡があった。


真四角。


そこだけ皮膚が焼け焦げ、ただれ、炭のように黒くなっていた。

警察は事件性を疑った。

だが、凶器も犯人も見つからなかった。


次に二人目が死んだ。


その三日後には三人目。


さらに一人。


同じだった。


顔だけが、まるで同じ型に押し込まれたように四角く変形している。

中央には、焼けただれた真四角の跡。

誰も原因を説明できなかった。


そして五人目が死んだ翌朝、坂道は封鎖された。

それでも原因は分からなかった。


監視カメラには、被害者が突然立ち止まり、何かを見上げる姿しか残っていなかった。

その数秒後。


画面の中で、その人間が倒れる。

何も映っていないのに。

まるで、そこに何かがいるように。


事件発生から八日目。

警察は大規模な捜索を行った。


坂の上から下まで。


周囲の林。

ショッピングモールの屋上。

駐車場。

使われていない倉庫。


あらゆる場所を調べた。


そして、坂の頂上に差しかかったとき。

先頭の警察官が立ち止まった。


その人間が何を見たのか、後ろにいた者たちには分からなかった。

ただ、しばらくして全員が同じ方向を見た。


そして――


見つけた。


坂の頂上に、三体の巨大なものが立っていた。


高さは四メートルを超えていた。


遠目には、人間のように見えた。


肩幅が広い。

腕が長い。

胸板が厚い。

男性の身体を、そのまま何倍にも引き伸ばしたような姿。


しかし、腰から下は人間ではなかった。


両脚の代わりに、巨大なタイヤがついている。

戦車のような車輪。

それが何のためについているのか、誰にも分からない。


そして顔。

それだけは、人間の形をしていなかった。

異常に大きな四角形。

古いテレビの画面のような頭部。

目も鼻もない。

口もない。


ただ、中央だけが、真四角に焼けていた。

皮膚とも肉ともつかないものが、黒く溶けている。

それが三体。


並んで立っていた。

誰も撃たなかった。

撃てなかった。


見ているだけで、本能が「近づくな」と叫んでいた。

そのとき。

三体の首が動いた。

一体目が正面を向く。


二体目が右を向く。


三体目が左を向く。


そして、そのままゆっくりと回り始めた。

三体が同時に、周囲を見渡している。


三百六十度。


死角がない。

その動きが止まった。


一瞬の静寂。

次の瞬間。

三体が、同時に走り出した。


タイヤが地面を削る。

坂を下る。


あまりにも速かった。


警察官たちが散る。


だが、三体は迷わなかった。

一体が一人。


もう一体が一人。

そして最後の一体が、一人。

三人に向かって一直線に突っ込んでいく。


その顔から、青い光が放たれた。

光を受けた三人は、その場で硬直した。

倒れた。

死んでいた。

顔は、これまでの死体と同じだった。

四角く潰れ。

中央だけが、焼けただれていた。

それから坂は完全に封鎖された。


誰も近づかなくなった。

それでも、原因を知らないわけにはいかなかった。




俺が警察に呼ばれたのは、その数日後だった。


俺は昔から、幽霊が見えた。

人には見えないものが見える。

だから事件を担当していた警察官のおじさんが、もしかしたら何か分かるかもしれないと思ったらしい。

「怖かったら無理しなくていい」

そう言われた。

「ただ、一度だけ現場を見てもらいたい」

俺は頷いた。



高台のショッピングモールに着いたとき、まず驚いたのは、警察の規模だった。


巨大な駐車場の一角が完全に封鎖されていた。

テント。

通信機器。

発電機。

警察車両。

特殊部隊。

狙撃班。

救急車。


何十人もの警察官が、坂を見ながら息を潜めている。


まるで、巨大な獣を狩るための軍隊だった。


駐車場の周囲には大きな布が張られていた。

外から中が見えないようにするためだという。

「ここまでやっても、まだ撃てないんだ」

俺が言うと、おじさんは苦笑した。


「撃てないというより、撃つタイミングがない」


布の隙間から坂を見る。

「今は坂の途中にいる。三体とも、こちらの方向を見ている時間が長い。だから近づけない」

「何か分かった?」


おじさんは少し黙ってから答えた。

「いくつかある」

声を落とした。

「あいつらは、こちらを見つける」

「それは分かる」

「違う」

おじさんは首を横に振った。


「あいつらが、こちらを見ていることが分かるんだ」

俺は意味が分からず、黙った。

「顔に目はない。どこを見ているのかも分からない。それなのに、見られている人間は全員、自分がターゲットになったことを理解している」


「……見られたら、分かる?」


「そうだ」


おじさんは坂を見た。

「そして、ターゲットを決めると一直線に来る」

「逃げられないの?」

「距離による。ただ、逃げるだけじゃ無理だ」

おじさんは木々の向こうを指した。

「視界から完全に隠れれば、攻撃は止まる」


「完全に?」


「身体の一部でも出ていたら駄目だ。頭だけ隠しても、足が見えていれば狙われる。車の陰に入るなら、車体の向こう側まで完全に隠れる必要がある」


俺は思った。


かくれんぼみたいだ。

ただし、鬼に見つかったら死ぬ。

しかも鬼は、三体同時に周囲を見渡す。


「今、警察は何してるの?」

「隠れながら距離を詰めてる。攻撃するには近づかなきゃいけない。でも近づけば見つかる」


そのとき。


ズン。


地面が揺れた。


一度。


ズン。


もう一度。


遠くから、何かが地面を踏み潰している。


そして、音がした。


「……正面を確認」

俺は顔を上げた。

「今の、何?」

おじさんは首を傾げた。

「何が?」

「声」

「聞こえなかった」


俺は布の隙間から外を覗いた。

いた。

三体が坂の下を見ている。

背中しか見えない。


それでも、気持ち悪かった。


人間の男性のような身体。


太い腕。


広い背中。


だが、そこには皮膚の色をした部分がほとんどない。

黒ずんだ何かが全身にこびりついていた。

赤黒い。

錆びた鉄のような色。

その臭いが、風に乗ってこちらまで届いた。


腐った肉。


血。


鉄。


俺は思わず口元を押さえた。


「……臭い」


「何?」


「こいつら、臭い」


おじさんは何も感じていないようだった。


俺はもう一度、怪物を見た。

「三時方向を確認」

声がした。

今度ははっきり聞こえた。

「……」

「正面、確認」


三体がゆっくり動く。


「九時方向、確認」


俺は息を呑んだ。

「おじさん」

「何だ?」

「あいつら、喋ってる」


おじさんの表情が変わった。


「何て言ってる?」

「見てる方向」

「……本当に?」

「うん」


俺は耳を澄ませた。


「正面」


三体が正面を向く。


「三時」


右を向く。


「六時」


背後を向く。


「九時」


左。


その順番で、三体は周囲を確認していた。


俺は確信した。

「見てるタイミングが分かる」


おじさんを見る。

「その声に合わせて、背後から攻撃すればいいんじゃない?」

おじさんは何も言わなかった。

ただ、無線を手に取った。

それから数分後。

作戦が始まった。


俺は布の隙間から怪物を見ながら、声を聞いた。


「正面確認」

「今」


俺が言う。


警察官が動く。


「三時方向確認」

「今」


別の部隊が移動する。


「六時方向確認」


俺は息を吸った。

「……今」


銃口が上がった。


一斉射撃。


乾いた銃声が駐車場に響いた。


弾丸が一体の後頭部へ集中する。


巨大な身体が揺れた。


黒い肉が崩れる。


そして、一体が消えた。


「やった!」


誰かが叫んだ。


俺も思わず息を吐いた。


だが。


残った二体が、同時にこちらを向いた。

動きが違った。

さっきまでとは比べものにならない。


首が跳ねる。


タイヤが地面を削る。

そして――


青い光。


「伏せて!」


叫んだ瞬間、何かが目の前を横切った。


木が消えた。


土が吹き飛ぶ。


悲鳴。


一人の警察官が物陰から飛び出した。


その瞬間、二体の顔がそちらへ向いた。


青い光。


悲鳴が途切れた。


「隠れろ!」


おじさんが叫ぶ。


俺は地面に伏せた。


耳元を風が通り過ぎる。


心臓がうるさい。


怖い。


今まで幽霊を何度も見てきた。


だが、これは違う。


幽霊なら、こちらを見つけることはない。


こいつらは違う。


こっちが見ていることそのものを、知っている。


そのとき。


声が聞こえた。


「対象確認」


俺は顔を上げた。




 


違和感。


さっきまでと何かが違う。


「対象確認」


二体の声が重なっている。


「対象確認」


俺は怪物を見る。


一体が、俺のいる方向を向いた。


俺は息を止めた。


だが。


すぐに別の方向へ向いた。


俺は気づいた。


「……違う」


おじさんが振り向く。


「どうした?」

「こいつら……三体で一つなんだ」


「何?」


「一体が消えたから、残りの二体が急に動き始めた」

俺は怪物を見た。

「たぶん、三体で周囲を全部見てる」


「だから?」


「一体がいなくなったから、見えてない場所が増えた」

俺は息を整えた。


「残り二体が、その穴を埋めようとしてる」


おじさんはすぐに無線へ向かって話し始めた。 

俺は怪物の声を聞いた。


「正面確認」


二体が正面を見る。


「三時方向確認」

二体が右を見る。

「六時方向確認」

二体が背後を見る。


「九時方向確認」

左。


同じだった。


一体減っても。

二体で一つの目を作っている。


なら。


その「目」を使えばいい。

「次、俺が合図するまで誰も撃たないで」


俺は言った。

「撃ったら、こっちを見る」

おじさんが頷く。

俺は怪物の声を聞いた。


「正面確認」


「まだ」


「三時方向確認」


「まだ」


「六時方向確認」


二体が背後を向く。


「今!」


銃声。


背後から撃たれた一体がよろめく。

もう一体が振り向く。

だが、その瞬間には別の場所へ警察官が移動していた。


「右!」


射撃。


「左!」


射撃。


怪物が振り向くたび、別の方向から弾丸が飛んでくる。

まるで、怪物自身に見せられている視界を利用するように。

やがて一体が崩れた。

残り一体。

静かになった。

俺は息を吐いた。

だが、おじさんが叫んだ。


「まだだ!」


最後の一体が、こちらを向いていた。


俺は動けなかった。


見られている。


いや。


違う。


俺は見ている。


怪物は、俺が見ていることを知っている。


怪物が走り出した。


速い。


あまりにも速い。


俺は走った。


駐車場を横切る。


車の陰へ。


だが、足音が止まらない。


「対象確認」


声が近づいてくる。


「対象移動」


俺は大型トラックの陰へ飛び込んだ。


身体を完全に隠す。


静寂。


怪物が止まった。


俺は息を殺した。


数秒。


十秒。


二十秒。


何も起こらない。


やがて。


「対象……」


声が途切れた。


俺はゆっくり目を開けた。


怪物が、トラックの向こうに立っている。


顔をこちらへ向けている。


見えていないはずなのに。


まるで、いる場所を知っているようだった。


俺は震える手でスマートフォンを取り出した。


カメラを起動する。


画面越しに怪物を見る。


その瞬間。


怪物の頭が動いた。


俺は確信した。


「やっぱり……」


こいつは、見るものを探している。


人間そのものではない。


「認識」を探している。


なら。


スマートフォンの画面を、トラックの外へ滑らせた。


怪物が動いた。


青い光。


スマートフォンが消し飛ぶ。


その瞬間、俺は叫んだ。


「今!」


銃声。


一発。


二発。


三発。


数えきれないほどの銃弾が、怪物へ集中する。


身体が揺れる。


黒い肉が剥がれる。


四角い顔がひび割れる。


そして最後に。


顔の中央にある、真四角の焼け跡が大きく割れた。


怪物は音もなく崩れた。


肉の塊になった。


それから、煙のように消えた。


誰も喋らなかった。


長い沈黙のあと、誰かが小さく笑った。


助かった。


終わった。






そう思ったのだろう。


俺は笑えなかった。




鼻の奥に、まだあの臭いが残っていた。

腐敗臭。

鉄の臭い。

そして、あの声。

俺は坂の頂上を見る。

何もない。

三体が立っていた場所には、黒い焦げ跡だけが残っている。



「終わったな」

おじさんが言った。



俺は頷かなかった。

「……おじさん」

「ん?」

「さっき、最後のやつが言ってた」

「何を?」

俺は答えた。

「対象確認」

「それが?」

「俺じゃなかった」



おじさんの顔から笑みが消えた。


俺はゆっくり振り返った。



駐車場の向こうには、ショッピングモールがある。

何百枚ものガラス窓。


その一枚に、俺たちの姿が映っている。

警察官。

車。

テント。

そして俺。

その背後。

ガラスに映った俺のすぐ後ろに。





何かが立っていた。

巨大だった。


四角い。

顔の中央だけが、真四角に焼けただれている。

俺は振り返らなかった。

振り返ってはいけないと思った。


けれど、ガラスの中のそれは、ゆっくりと顔を上げた。

そして。

声が聞こえた。

今までとは違う。

一体ではない。

二体でもない。


もっとたくさんの声が重なっている。


「「「「対象確認」」」」


俺はガラスを見た。

そこに映っているのは、俺だけではなかった。

ショッピングモールの中。

窓。

鏡。

車のボディ。

スマートフォンの画面。


あらゆる場所に、四角い顔が映っている。


一つ。

二つ。

十。


もっと。


その全てが、こちらを向いていた。

俺はようやく理解した。

あの三体は、最初から三体ではなかった。

俺たちは三体しか見ていなかっただけだ。


視えるものしか、存在しないと思っていた。

だから、見つけたと思った。

倒したと思った。


でも違った。


あれは、ただの一部だった。

俺は目を閉じた。

けれど遅かった。

もう、知ってしまった。

視てしまった。

その認識を持ってしまった。

だから。

次のターゲットは――


俺だった。


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