第3話 小さな村
第3話です。
森で目覚めたシン=アルバートが、初めて“人の生活”に触れます。
何気ない日常の中にこそ、風のような小さな奇跡がある――そんなお話です。
どうぞお楽しみください。
老夫婦の家での生活が始まって、三日目の朝だった。
「シンさん、朝ごはんができましたよ。」
声の主はエマ婆さん。村の薬草師で、優しいが口うるさい。
「はいはい、今行きます。」
シン=アルバートは寝台から起き上がり、木の扉を開けた。
朝霧が村を包み、煙突の煙がまっすぐ空に伸びている。
そこに漂う香り――焼きたてのパンとスープの匂い。
「食べたら畑を手伝っておくれ。」
「了解です。……と、言いつつ、俺は畑仕事が苦手なんですよね。」
「文句を言わずに動く!」
「はいはい、風のように働きますよ。」
エマ婆さんは鼻を鳴らし、隣の爺さん――レオ老人が笑った。
「まぁまぁ、若いの。風が吹けば畑も乾く。お前の“風”も役に立つじゃろ。」
「……どうかな。」
朝食の後、シンは村の畑に出た。
小麦と豆が植えられている小さな段々畑。
土を掘り返す老人たちの手つきは慣れたものだが、
乾いた風と日照りで作物は元気がない。
「水が足りないな。」
レオ老人がぼやく。
「今年は雨が少ないんです。井戸の水も底をつきかけてます。」
若い村娘が水桶を運びながら答えた。
シンはその光景を見つめ、少し考えた。
「風で雲を動かせたら……雨も呼べるのか?」
試しに、そっと掌を空に向ける。
空気の流れが手の中で踊った。
しかし――風は強すぎる。
砂が舞い、村人たちが目を覆う。
「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ、洗濯物が!」
「悪い! 調整が難しくて……」
笑いが起こる。
エマ婆さんが腰に手を当てて怒鳴った。
「まったく! あんたの風は働き者すぎるんだから!」
村の子どもたちは大喜びで走り回り、
「すげぇ! シン兄ちゃんの風だ!」と叫んでいた。
その日、風は村中を駆け回り、
埃を払い、干していた穀物を乾かした。
「ま、これも“仕事した”ってことにしておこう。」
そう呟くと、レオ老人が微笑んだ。
「風は見えんが、確かにお前の働きは感じたぞ。」
その言葉に、シンは少し照れくさそうに頭をかいた。
⸻
夕暮れ。
村の広場では、焚き火が焚かれていた。
子どもたちが木の笛を吹き、村人が歌を口ずさむ。
シンは少し離れた場所で、パンの欠片を齧っていた。
「賑やかですね。」
「今日は収穫祝いじゃよ。」レオ老人が答える。
「雨は降らんかったが、風が吹いた。あれが村を助けたんじゃ。」
「俺の風が?」
「違う。お前が“動いた”から風が生まれたんじゃ。」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
会社時代、何をしても“無駄”に思えていた日々。
だがこの村では、小さな行動ひとつが意味を持つ。
――風通しが良ければ、人も生きる。
そんな当たり前のことを、ここでようやく理解し始めていた。
ふと、夜空を見上げると星が瞬いていた。
その合間を、柔らかな風が通り抜けていく。
「……こういうの、悪くないな。」
シンは笑い、焚き火の火を見つめた。
その横顔を、エマ婆さんがそっと見守っていた。
「お前さん、ほんに不思議な風じゃねぇ。」
「そうですか?」
「ええ。吹いていく先々で、誰かを少しだけ元気にしていく。」
風がふっと頬を撫でた。
その温かさに、彼はそっと目を閉じた。
⸻
夜半、静けさの中で、遠くの森がざわめいた。
風が、何かを告げるように流れていく。
――嵐の前の静けさ。
その風の匂いを、シンは確かに感じ取っていた。
お読みいただきありがとうございます。
第3話では、初めて“人の営み”と“風の働き”が重なりました。
日常の中で起こる小さな奇跡を描けたらと思います。
次回、第4話「旅立ち」――風は再び動き出します。
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