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いい湯だね

作者: 鈴成



 明日は休みだ。今夜は湯船にゆっくり浸かってリラックスするのだと前々から決めていた。この異常な暑さでかいた汗を早く流してしまいたい。

 夕食を終え諸々の家事を済ませて浴槽にお湯を溜める。その間に戸締りの確認をしておいた。以前に窓の鍵を開けたままお風呂に入ってしまったことがあったからだ。そのときは何事もなかったけれど。女の一人暮らしで気をつけすぎて悪いということはないだろう。

 うちのお風呂には追い焚き機能なんかついていない。自分でお湯の熱さをいい感じに調整してから自分でタイマーをセットしなければいけなかった。

 お風呂の栓だってボタン一つで開閉できるような仕組みにはなっていないので、毎回チェーンのついたゴム栓を自分の手ではめる必要があった。

 昔に比べれば考えられないくらい便利になっているんだろうけれど、最新のものからすれば手間がかかると言わざるをえない。これがうちのお風呂事情だ。

 お湯の温度調整を間違えてある時はアツアツの、そしてまたある時はぬるい湯船に浸かることになった。タイマーをセットし忘れてお湯が浴槽から溢れたこともある。何度もある。

 しかし今夜はそんなミスもせず、無事お湯は肩まで浸かれる高さまで溜まった。お湯が冷めないように蛇口の部分だけ開けていた風呂蓋を完全に開く。すると蓋に邪魔されていた湯気が一斉に立ち昇った。

 すかさず熱すぎずぬるすぎない理想的な温度のお湯に貰い物の入浴剤を入れる。瞬間的に梅の香りが浴槽内に広がった。お湯は白濁し、ほんのりとピンク色に染まっている。入浴剤がお湯に混ざりきった頃には梅の匂いはほとんど感じられなくなってしまった。もう鼻が匂いに慣れてしまったのだろうか?

 疑問に思いつつ、脱衣所に戻って服を脱ぐ。そして改めて浴室に足を踏み入れた。梅の匂いはもう分からなくなっていた。

 これで後は髪と体を洗ってしまえば湯船に浸かることができる。程よい温度のお湯に包み込まれる心地よさを思い浮かべただけで少し眠たくなってきてしまった。気が緩みすぎている。でもそれだけ疲れているのだから仕方がない。



◼︎◼︎◼︎



「……ねてた?」


 湯船に入って、結局は眠気に負けてしまったらしい。浴槽の縁を枕にして、ぼーっとする頭で天井を見上げる。

 何だか寒い。ような気がする。特に足先が。上半身はまだ顎の辺りまで温かい……というよりはぬるいけれど、足先よりはマシだ。

 お湯に入ったときは体の芯までしっかりと温まるくらいだったのに。どうしてだろう。そんなに寝ていたのだろうか? 仕方ないで済まされないほど疲れていたのかもしれない。

 とか何とか考えている間にもますます冷たくなっている。とりあえずお風呂から上がった方が良さそうだ。

 視線を戻し、浴槽の両サイドの縁を掴んだ。あれ。おかしいな。どうして水面が近いんだろう。肩よりもだいぶ高くなっている? それどころか浴槽からお湯が溢れてしまっている。

 目覚めるのがもう少し遅かったら溺れてしまっていたかもしれない。でもどうして。こんなにお湯を溜めた覚えはない。お湯を出しっ放しにもしていない。

 死への恐怖心が脳のスイッチを切り替えたのか、急に意識がはっきりしてくる。すると気づいた。白濁の水面からシャワーホースが伸びている。浴槽の底に沈んだシャワーから勢いよく水が出ていた。足の甲に水流を感じる。足先が冷たいのは水を噴き出すシャワーヘッドに近いからだ。

 いや、でも、どうして。自分はこんなことはしていない。ゴム栓に繋がるチェーンを手探りで探す。指先に小さな鉄の玉の繋がった紐が触れた。チェーンだ。思い切り引っ張るがゴム栓は抜けない。何で。また引く。ゴム栓はびくともしなかった。

 呼吸が苦しくなってくる。ぬるま湯が唇に迫ってくる。だめだ。苦しい。怖い。もういい。早く上がろう。ゴム栓なんか放っておこう。早く早く早く。

 両腕に力を込めて体を持ち上げる。肩が水面から脱したところで大きな手のひらに掴まれた。ぶよぶよしている。腕は枯れ枝のように細い。手のひら? 腕? どういうこと?

 顔を上げる。誰かがいた。浴槽の隣に立っている。髪は真っ黒。さらさら。顔に染みも皺もはないのにお婆さんとしか思えない。黄ばんだ歯を剥き出しにして笑っていた。


「いい湯だね」


 大きい手のひらに強く押し戻される。もうぬるま湯とも呼べない水のたっぷり溜まった浴槽へ。

 あ。おわりだ。くるしいな。











読んでくださってありがとうございました!

「水」のホラーとして形になっていたら嬉しいです

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