7
「まぁ、やることは分かりました」
「あれっ」
リュカは目を丸くする。楠が目を逸らし小さく嘆息するのを見て、彼は数度瞬きをした。
「それだけですか?」
「もっと全力で嫌がってほしかったんですか?」
「あぁ、いや、ほしかったってわけじゃないですけど」
うーん、とリュカは唸る。
リュカが歩くのに合わせ、彼の隊服に取り付けられたマントがひらめく。そのほつれを目で追って、楠は口を開いた。
「一応自分で雇われに来てるんで。投げ出しませんよ。雇用条件、今の所最悪ですけど」
少しの沈黙。見上げると、リュカは眉尻を下げた表情でこちらを見ていた。
「なにか」
「……頼りがいのある優秀な人材が参加してくれて、隊長として安心している所です」
「……そうですか」
ここで一つ、咳払い。
「それで、肝心の足のことですけど」
「足? あぁ、陽動手段のこと」
「なんとなく、分かる気もしてますけど。私たちは何で魔獣とやり合うんですか」
大きくて暴れて危険な魔獣と追いかけっこをするのに、まさか徒歩ではあるまい。それでは視界にすら入らない可能性だってあるだろう。
アレサンドロの言葉。きみのような魔法使いを探していた。
そしてこの部隊の名前。陽動飛行隊。
ここからなんとなく分かる。きっとこの部隊では……。
「丁度、到着しましたね」
ぴたっ、と、リュカが足を止める。
合わせて立ち止まった楠は、目の前のドアを見た。
歩いてきた廊下にあった他のドアと、見た目はほとんど変わらない。唯一の違いは掲げられたプレート。小綺麗なスライドドアの横に「陽動飛行隊」とプレートが掲げられている。
「きみの答えはこの中にありますよ」
手袋に包まれたリュカの指が、ドアに添えられた。
グッと力を籠め、ドアがスライドされる。
「ここが陽動飛行隊です」
開けた視界に最初に入ってきたのはシャッターだった。
真正面の壁全体が大きなシャッターになっている。左右の壁には棚が設置されていて、その上に何かがのっていた。機材だろうか。楠にはまだわからない。視線をずらすと、傍の壁にハンガーがそのままの姿でかけられていた。
全体的にだだっ広い印象の部屋だ。部屋の広さの割には空間が開いている。
楠が部屋を見渡していると、リュカは部屋に入り、真っ直ぐシャッターの方へと歩みを進めた。少しざらついたこの床も、部屋としてはあまり見かけない。
どちらかというと、これは部屋というより、ガレージだ。
「そして、この子が俺のハニー」
リュカはシャッターの前で立ち止まる。そして、その指で愛おし気に、そこに停められた一台のバイクを撫でて見せた。
「バイク……」
「飛行バイクです。最も、一般的に郵送業などで使用されているものとはまた違います。ギルド用に調整された特別製です」
言われてまじまじと見てみるも、楠には違いがよく分からない。
「乗ったことは?」
「ないです」
「じゃあ逆に扱いやすいかもしれないですね」
リュカは顔をあげる。彼が手で指したのはシャッターだ。
「ここのシャッター、開けられるのはリーダーだけです。誤作動でも起きたら大変ですからね」
脳裏に、先程窓から見た真っ青な空が過ぎる。
なんの用意もなくこの空に放り出されてしまえば、魔法使いといえど無事では済まない。楠のように飛べれば話は別だが、それでも多分、焦りが生じる。
「魔獣の接近に伴ってこのシャッターが開けられます。そしたら飛行バイクに乗って、ここから飛び降りる」
「飛び降りる……」
「そうして飛行バイクで空を飛んで、魔獣を陽動する。だから陽動、飛行隊」
言い切ると、リュカは楠を振り返った。
「予想は当たりました?」
「……予想外です」
楠の予想は外れていた。てっきり自らの身体一つで空を飛び、魔獣とやり合うものだとばかり思っていたのだ。
そう伝えると、リュカは困ったように眉を下げた。
「流石にそんな危険極まりない労働環境ではありませんよ」
「それもそうか……いや、むきだしのバイクっていうのも中々危険だと思いますけど」
「じゃあやめておきます?」
リュカは笑って小首を傾げる。その試すような口ぶりに、楠は表情を変えず淡々と返事をした。
「何度も言いますけど、やめませんよ」
「あはは、すみません」
リュカは両手を上げる。そして小さく首を左右に振った。
「いえね。こんな仕事ですから。あまり生半可な覚悟で臨まれても、と思いまして」
「自分で雇われに来てるのに?」
「だからこそですよ。こんなに危険だとは思わなかった、ただ魔法をぶつければいいと思っていた、もっと簡単なことだと思っていた……そう言って去っていく人なんて数えきれないですからね」
それに関しては、楠も同意を示すところである。
こんなことになるなんて思いもしなかった。思っていたよりずっと前線に出る必要があるし。突然バディだとか言って隊長と組まされるし。そのバディがなんかヤバそうだし。
1つ目はよく確認しなかった楠も悪い。ただその他に関しては、こんなつもりではなかった、と、そう言ってやりたい気持ちが確かにあった。
だが楠はそれらを全て飲み込んだ上でここにいる。
「それでも、私がやれることはやりますから」
陽動飛行隊の仕事を完全に理解できたとは言わないが、何もせず立ち去るつもりもない。
しかしそんな楠にも2つほど心配な要素があった。
それについてどう切り出そうかと考えていると、リュカがピン、と指を1本立てた。
「じゃあ、そんな将来有望な新人さんに、もう1つ」
「今度はなんですか? 思っているより飛行バイクは乗り心地が悪い?」
「それに関しては乗ってからのお楽しみです」
キザにウインクするリュカを目線で急かす。リュカは息を吐き肩をすくめた。
「陽動飛行は基本的に飛行バイクで行います。ですが何事にも、もしもの時、というものがありますよね」
もしもの時。つまりは陽動飛行隊がこれ以上任務を遂行できなくなるほどに魔獣が暴れたり、手を付けられなくなったりするような非常時のことだろう。
「そんな非常時になってしまったら、俺たちは飛行バイクを捨てなきゃならない。そして空中にダイブするんです」
「……スカイダイビング?」
「まぁそういうことです」
リュカはあっさりしているが、ここにきて中々にとんでもないことを言われた。眉に皺が寄る。今日だけでここに皺が刻み込まれてしまいそうだ。
だがこれで納得した。飛行魔法使いを探していた理由はこれだったのだ。
いくら緊急用のパラシュートやなんやを装備していたとしても、飛行魔法を使えるに越したことはない。それだけで致命傷を避けられる可能性はグッと上がるだろう。……多分。
「勿論、訓練はあります。急にぶっつけ本番でやってもらうなんてことはありません」
「それなら良かったです。丁度、私も言わなきゃいけないと思っていたので」
「ん? なにがですか」
「私、店の天井の電球より高く飛んだことないんです」