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どういう意味だろうか。楠がすべてを感覚でこなしているのはリュカでも感じている。飛行魔法の説明がその良い例だ。楠の説明とアレサンドロの説明、比べて見れば、どちらが感覚派でどちらが理論派なのか一目瞭然である。
それが、アレサンドロには理論に見えるのだと言う。
「……どういうこと?」
そもそも、それが彼女の自己犠牲と何の関係があるのだろう。それも含めて尋ねる。
アレサンドロは置いたタブレットをつい、と操作した。ひっくり返し、リュカにある箇所を示す。先日の小サイズ四肢動物型魔獣鎮圧、その報告書。該当部分は魔法陣設置後の誘導時、楠ゆかり隊員の単独行動について。
「これ。楠が看板を守った部分」
楠ゆかり隊員が単独で後退。該当物こと看板に接触。看板下部の骨組み部分を潜り抜けた。隊員に怪我は無い。
「その際、ヘッドライトを上空に投擲……この光によって魔獣は看板上部を飛び越えたと推測される」
アレサンドロの読み上げに、リュカの眉根が寄っていく。
「まさか、理論ってそれのことを言ってるの?」
冗談じゃない。こんなの理論と言うものか。リュカは腕を腰に当て、ため息を吐いた。
確かに、最後の誘導時はこの光で魔獣をひきつけた。魔獣はヘッドライトを持つ楠を追いかけたわけで、楠がこの時取った行動はその経験を基にしたものだったのかもしれない。
あの時魔獣は光につられたから、こうして看板の上までヘッドライトを投げれば今回も魔獣はつられてライトの方に跳ぶかもしれない、と。
だからどうした。
「そんなの運が良かっただけだよ。偶々魔獣がつられてくれた、それだけ」
その光が魔獣の目に入っていなかったら?
どうでもいいものだと思われたら?
魔獣がそのまま突っ込んで、看板は骨組みごと真っ二つになっていただろう。そしたら当然楠だって今頃……考えたくもない。首を勢いよく振った。
楠は、何の根拠もなく思い通りに事が進むと思っているのだ。良く言えば天井知らずのポジティブ。悪く言えば短絡的。前回から分かっていたことである。
「そうじゃない」
しかし、アレサンドロは静かにそれを否定した。
「……偶々じゃないってこと?」
「あぁいや、そうでもない。実際この手段に再現性は無いしな。大分無茶をしたと思うし、リーダーとしては到底看過できる物じゃない」
「じゃあ」
「ただな。ほら、これ」
とん、とアレサンドロの指がタブレットを叩いた。その指先を覗き込む。文章の一部分だ。
ヘッドライトを上空に投擲。
「楠は看板の下を潜り抜けた。と、いうことは、この時こいつは高度を低くして飛んでいたか、もしくは下降していたってことになる」
そうだった気がする。確か、頭を下にして少しずつ下がっていっていたような。
……あれ? そうなると、何かがおかしい。
楠の姿を思い起こす。リュカより大分と背が低い。トレーニングや運動にはあまり縁が無かったような、筋肉の目立たない体格。
その上、あのヘッドライトは決して小さいわけでは無い。少なくとも楠は両手で持って飛んでいた。
「リュカ。その状態で楠は看板の上までヘッドライトを放り投げられると思うか?」
答えは否だ。
しかしリュカは言葉が出なかった。
楠がヘッドライトを投げたことは実際に起こった事実だ。楠自身がそう証言したし、上空で光るライトをリュカもこの目で見た。
楠の身体能力では絶対に成しえないことが起きている。それを可能にした力は間違いなく、魔法だ。
「恐らく、楠はこの時体内魔法で身体能力を強化したんだ。映像データが上がってきたらよく見てみろ。多分、この一瞬だけこいつは自由落下してる」
つまり、楠は一度飛行魔法を使うのをやめ、その分の魔力を回して強化した力でヘッドライトを投擲した。その直後再び飛行魔法に切り替え、無事生還した……と、アレサンドロは考えているらしい。
「……ありえない、と言いたい所だけど」
リュカはこめかみを押さえる。
「きみは魔法に一家言あるし、俺もアレサンドロを信じてるよ。シュガーがライトを投げた事実は変わらないし、その説明としてこれ以上ないとも思う」
だが、どうしても気になることがあった。
話を促すようにアレサンドロが手のひらを向けてくる。それならば、とリュカは遠慮なく口を開いた。
「でもさ、思い出してみてよ。シュガーは自分で飛行魔法以外の魔法を使えたことが無い、って言ってたんだよ」
「らしいな」
「報告書を書く時、当然シュガーにも話を聞いたけど。それらしいことは何も言ってなかった」
「そうだろうよ。自覚があったらこうして僕が推測することも無く、報告書に書いてある」
「そうなると、シュガーは完全に無自覚でその魔法を使ったってことになるよね」
「あぁ分かった。ようするにおまえはこう言いたいんだな」
アレサンドロは立てた人差し指をリュカの目の前で振りながら、
「それは結局、楠が根拠無しに動く感覚的な人間だという話になるんじゃないか、って」
「そこまでは言ってないけど……」
「思ってはいそうだな」
にやぁと意地悪く笑う。リュカは咳払いで誤魔化し、腕を組んだ。
「でも今の所全く理論が見えないよ。シュガーが天才なことくらいしか分からない」
「そうだな。何度も言うようだけど、僕もあいつは本当に天才だと思う」
「それは面白いとかって意味じゃなくて?」
「おいおい、僕のことなんだと思ってる?」
「よく言うよ。笑いながら言ってたくせに」
「あぁ、そうだそうだ。その時」
すると、思い出したようにアレサンドロがパッと顔を上げる。
「その時?」
「体内魔法の話、しただろ。覚えてるか?」
「飛行魔法の……」
「その前。体内魔法自体の話だよ」
「あぁ、確か」
リュカは少し考えて視線をうろつかせた。斜め上を見ながら、記憶を掘り起こす。
「体内魔法ってどういうものかを話して、それできみが、単純なことだって」
「僕が単純って言ったのは理屈のこと。実践は難しいとも言ったはずだぞ」
そうだったそうだった。小さく数度頷いて、だからなんだと眉を顰めた。
アレサンドロは「言葉通りだよ」と言い、片腕を上げた。肘を曲げ、筋肉を示すようなポーズ。
「体内魔法の実践は難しいんだ。魔力の流し方や反応させる身体の部位、そういったものをなにも理解せずにふと使えるものじゃない」
隊服に包まれたその二の腕をもう片方の手で叩く。そのまま肘まで、指先でなぞっていく。
「逆に言えば。どこに、どの程度、どういう動きで魔力を流すかを全部理論立てれば、理屈上は体内魔法が使える」
もっとも、それで誰でも簡単に体内魔法が使えるというものでもない。理論通りに魔力を扱うのには十分な鍛錬が必要になる。それも込みで、体内魔法の実践は難しい。
だから楠ゆかりは天才なのだ。
「楠は自分の中にちゃんとした理論ができてるんだよ。でもそれを上手く説明できない。だから自分では全部感覚でやってると思い込んでる」
自ら理論を筋道立てて、即座にそれを実行できる天性の才能。
すべて自己完結するそれこそが彼女の天才性の正体だ。
何も言えずにいるリュカを、アレサンドロは優し気な眼差しで見つめる。
「この時だってそうだよ。楠の頭の中じゃあ、絶対に守れるって理屈が出来上がってて、だから飛び出したんだ」
「……そんなの、全部きみの想像じゃんか」
ようやく出たのはそんな往生際の悪い言葉だった。
そんな逃げ道すらアレサンドロがすべて閉ざしていく。
「楠な。魔法訓練の後、僕の所に来たよ」
「え?」
初耳だった。わざわざアレサンドロに何の用があったのだろう。楠は彼を苦手としているし、よほどのことが無ければ近寄らないような気もするけれど。
「今から、あいつの言葉を一言一句違わず再現する」
そう前置かれて告げられたのはまるで、目が眩むような――
楠は言った。
「魔法陣は使えない」。「でも、それで陽動飛行に使える手が減るのは困る」。
「なにかできることを教えてもらえませんか」。
「できることが増えるのは、私にとっても、リュカにとっても良いはずだから」
以上、と〆て、アレサンドロは背凭れに身体を預けた。スプリングが静かに彼の体重を受け止める。その微かな音すら大きく聞こえる気がするくらい、聴覚が鋭敏に研ぎ澄まされていた。
「アレサンドロは、なんて答えたの?」
「とにかく飛行魔法を鍛えろって言ったよ。リュカがおまえの飛行魔法の実力を信頼して、一切遠慮のない作戦を考えることが一番効率的な陽動飛行になるから、って」
だから楠の飛行はあんなに速くなっていたのか。焦るリュカにすら追いつく程に、速く。
もしかしたら、リュカの知らない間に自ら速度も計っていたのかもしれない。だから彼女は自分なら絶対に魔獣が看板を壊す前に間に合うと信じて飛んだ。
結果、全てがすくわれた。
看板は壊れなかった。魔獣も鎮圧できた。楠も怪我をしなかった。
リュカの心も焦げ付かなかった。
楠には知る由もないけれど、看板も魔獣も楠も、全てが無事だと分かったあの時。リュカは確かに思ったのだ。
(俺の幸運のせいで、なにかを壊さなくてよかった)、と。
「あいつはどうもおまえと飛び続ける気満々みたいだぞ、リュカ」
アレサンドロは、リュカの表情変化を見逃さんと言わんばかりにじっくりとこちらを見る。そして言った。
「おまえの見解はどうだ? おまえから見て、あいつは陽動飛行隊隊員足り得る存在か?」




