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「うん、問題ないな」
アレサンドロは頷き、電子ペンでタブレットにサラサラとサインを書き付けた。ペンをしまい、タブレットを持ち上げる。
「陽動飛行隊の報告書はこれで良し。あとはいつも通り頼むよ」
しかし、陽動飛行隊隊長ことリュカは中々それを受け取らない。黙ったままじっと何を見るでもなく俯くリュカに、アレサンドロは肩をすくめてタブレットを卓上に置き直した。
「最近のおまえ、やたら僕と話したがるな」
「……ごめん」
「いいや? 僕は話すの好きだから嬉しいよ」
笑ってアレサンドロは足を組みなおす。リュカの顔色はきっと途轍もなく暗いだろう。そんなリュカを見上げたアレサンドロの目元が柔らかく緩む。
「楠のことは、おまえが悪いわけじゃないよ」
ドキリ、と心臓が大きく音を立てる。
何も言っていないのに、やはりアレサンドロには全部お見通しのようだ。いや、もしかしたらリュカが分かりやすすぎるだけなのかも。だってリュカの考えはどうにも相手にバレやすい。たった1か月弱過ごしただけの彼女にすら見透かされるくらいには。
そうして脳内に彼女の姿が浮かび、リュカは頭を抱えてしまった。アレサンドロの言葉は続く。
「あれがあいつの性質ってだけ。おまえがどうあれ、楠はああしたよ」
「性質……」
「そう。おまえも見てきただろ。あいつがどういう奴か」
脳内の彼女、楠が言う。
「守りたいものがあるから飛ぶ」。「それは自己犠牲ではない」と。
大嘘吐きだ。
店や河合を守りたい? 嘘吐き。自己犠牲じゃない? 嘘吐き!
だったらなんであんなこと……!
「もう無理だ」
「ん?」
「もう無理。絶対に。俺はもうあの子とは飛べない!!」
「……あー、またそこに戻るか」
叫ぶリュカに、アレサンドロは乾いた笑いを零した。
「だってあんなっ、あんなに危なっかしいなんて思わなかった!」
まぁ座れ、との誘いにも乗らず、リュカは立ったままアレサンドロに詰め寄った。ずい、と顔を寄せると、すっ、と引かれる。落ち着かせるようにアレサンドロがリュカの肩に手を置いた。
「まぁまぁ。でもほら、無事だっただろ」
「そういう問題じゃない!」
しかしリュカは止まらない。
無事だったから良いとかそういう話ではないのだ。もっと根本的な問題がある。
「あの場面でっ、看板を守りに行こうと思うのが問題なんだよ!」
あの後。
魔法陣隊が魔法陣を起動するのを背後に感じながら、茫然自失のまま飛行バイクを繰っていた。ぐるりと回って向きを変え、光る魔法陣上の魔獣を目にする。そこでようやく(戻らないと)と思った。
ギアペダルに足をかける。そうして加速しようとしたリュカの頭上から、声が降って来たのだ。
「お疲れ」
なんでもないような声色だった。
何事も無かったように楠はリュカの隣まで降りてきた。ぽかん、と口を開くリュカに、楠は布切れを差し出す。それを確認する前に、リュカはざっと楠の全身を見回した。
目立った大きな怪我は無い。腕も、足も、自然に動いている。
それからようやくリュカは差し出された物を見た。布切れ。それが自分のマントだと気付いた時、身体が震えるのを感じた。
「なん、で」
「ん?」
「まさか、そんなもののために」
舌がまごついて上手く動かない。
だって、そんなことあってはいけなかった。こんなもの全部自分の身代わりのための物なのに。いつかどこかで無くなる前提で、そんなもののために彼女がかけがえのない命を張るなんてことあっちゃいけない。
だから、
「違うよ」
という言葉が返ってきた時、リュカはかなりホッとした。しかし、その次には疑問が浮かぶ。
「じゃあ、なんで戻ったの?」
それをそのまま口に出した。マントを受け取ろうと手を伸ばすリュカに、楠はいつも通りの表情で言った。
「看板が壊れるなって思ったから」
「は?」
「だから、看板。あのまま魔獣が突っ込んだら壊れてたでしょ」
ここ数日で、もう何度目かの絶句。
力が抜け、掴み損ねたマントがひらりと風に舞って飛んでいく。「あ」と呟いて、楠が飛び上がった。マントを追い、掴む。
「危ないな。折角ついでに回収したんだから」
楠はそうぼやいてリュカの手にマントを握らせた。されるがままリュカは指を折る。
そんなことどうだってよかった。信じられない。今なんて言った? 考えが及ばなかった。
そんな、看板が壊れるから戻ったなんて。
「結局あの子は目の前の物全部守ろうとしてる、とんだ自己犠牲の無謀者だったんだ」
ぐっ、とデスクに付いた手の平に力が籠る。眉間には強く皺が寄っていた。
軽くリュカの肩を叩き、アレサンドロの手が離れていく。
「目の前の物、ねぇ……」
アレサンドロは呟き、デスクで手を組む。それを視界に映すリュカには、彼がどんな表情をしているかまでは分からなかった。
「そんな子とは絶対に飛べない。俺の心臓がいくつあっても足りない!」
叫び終え、はぁっ、と荒く息を吐いた。暫しの静寂。
あぁ、またやらかした。
何と言えばいいのか、気まずさに視線が泳ぐ。
「……まぁ、俺の心臓は止まらないけど。どうせ」
「こら。そういうジョークはやめろ」
事実なのにな。口角を下げるリュカに、アレサンドロはひらりと手を振った。
「あのさ、少し考えたんだけど」
「なに? シュガーの自己犠牲を辞めさせる方法なら喜んで聞くけど」
「残念だけど、そういう意味じゃ寧ろ逆かもな」
むっ、と唇を噛む。
「逆、っていうと?」
「あいつ、楠はさ。大分感覚派に見えるけど、僕はそうじゃないと思うんだよ。あいつの行動は実はとんでもなく理論に基づいてるんじゃないかって、そう思うね」
リュカはきょとん、と瞬くしかできなかった。




