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「飛行隊っていうもんだから、ずっと空の上を飛ぶもんだと思ってた」
「空の上ではあるでしょ。まぁ、前回と比べちゃうとね」
無線から届いた楠のぼやきに返事して、リュカはカーブした。ゆるく、低速で。
下に広がるのは緑の少ない荒野。そこから大体建物5階分ほどの高さをリュカは飛んでいた。
普段飛行艇なんかで過ごしているから麻痺しがちだが、別にここだって十分高い。しかし前回が高度1500メートルの青空とかいう飛行隊のイメージピッタリのような現場だったため、今回の現場は楠には少々拍子抜けのようだ。
そんな開けた平地に、それは圧倒的な威圧感を持って存在していた。
「小サイズ四肢動物型魔獣の鎮圧について確認する」
アレサンドロの事前確認無線が飛ぶ。間髪入れずに「は?」と楠の呟きが零れる。
そうだ、結局楠に魔獣サイズのことを教えるのを忘れていた。これではオルテンシアにまた怒られてしまう。しかし、今はそんな話をしている暇はない。件の魔獣はもうそこに迫っていた。
肩高約10メートル。その頭部に生えた角はいくつも枝分かれして、最早なにかの木のようだ。
きっと元から大きな動物なのだろう。だからあれだけ大きくても小サイズに分類された。
魔獣は魔力中毒を起こし暴走、巨大化した野生動物。その際、元の体躯からどれだけ大きくなったかの比率でサイズ分けが決まるのだ。
魔法陣隊のコンティ隊長から、鎮圧用魔法陣の設置予定時間が届いた。5分。前回より魔法陣を置きやすい地形だが、魔獣の大きさ分魔法陣も大きくなるためプラスマイナスゼロ、前回と同じ所要時間。
「陽動飛行隊。5分間の陽動飛行、それとこちらから合図があり次第の鎮圧用魔法陣への誘導を頼む」
「了解」
簡潔に答え、無線のマイク入力を切り替えた。ギルド北支部全体用から、陽動飛行隊用へ。
「シュガーは返事しなくてよかったの?」
からかうようにそう言えば、大きなため息が吹きかけられる。
「うるさい」
「ごめんって」
「入力分かれてるんでしょ。覚えてるよ」
「そうだね。マイクも最初から入れてたし」
魔獣の側面へ回るように、弧を描いて進んでいく。魔獣はその場で静かに佇んでいた。分厚い耳がぶるりと震え、後ろに倒れている。
アレサンドロの号令。
「総員配置についたな。今回も、皆に任せた」
「じゃあ、さっき言った通りに」
そう指示すると、視界の外で、楠が頷いた。気がした。
「魔獣鎮圧を開始する!」
号令を受け、リュカは魔獣目掛けて突き進む――ことはせず、低速のまま、魔獣から距離を取って周囲を回っていた。
リュカ達の任務は、魔獣を魔法陣隊の元へ近付かせないこと、それから町や人民の元へも近付かせないことだ。暴れまわる魔獣を引きつけ、行き先を誘導する。
ここで重要なのは、魔獣と鬼ごっこすることは陽動飛行隊の任務では無いということだ。
目の前の魔獣、その大きく真っ黒な目がジッとどこかを見ている。時折ビクリと身体が痙攣し、背筋の毛並みが波打つ。魔獣は、その場から一歩も動いていなかった。
それならわざわざ魔獣を刺激することもない。そのままこの平地に留まり続けて5分経つのなら、それで構わないのだ。
しかし油断してはならない。四肢動物型魔獣の大きな足は多くの物を踏み荒らす。荒野とはいえ地形破壊は褒められたものではないし、なによりここから少し逸れた先にはハイウェイがあった。ギルドによって周辺は移動規制がかけられているとはいえ、こういう道路を破壊されるのは避けたいものだ。
だからリュカはじっくりと様子を観察していた。ぐるりと首元の上を跨ぐように飛んで、正面に回り込む。高度を下げ、顔面を見上げた所で、状況が動いた。
不意に魔獣が姿勢を下げる。それを確認した瞬間、リュカはギアを上げた。今にも駆け出しそうな魔獣に、飛行バイクをふかせて突進する。ぶおん、と一際大きな音が鳴った。
大きな音は魔獣の警戒心を引き上げる。
警戒しろ。意識しろ。危険な存在だと認識しろ。そうしてリュカしか見れなくなればいい。
魔獣の顔がこちらを向く。と、思えば首が動いた。咄嗟に前輪を上げ緊急回避的に上昇すれば、びゅん。リュカの進む先の空間を横一文字に切り裂いていく角。一瞬リュカの方に向いた切っ先が鋭い尖りを見せていた。
咄嗟の行動だったとはいえ都合が良い。そのまま大袈裟にエンジン音を立てながら顔の傍を駆け上がる。そして耳元スレスレを掠っていった。
流し目で魔獣の様子を見ながら呟く。
「ごめんね、許してほしいとは言わないけど」
跳び上がるように魔獣が踵を踏み鳴らした。その一蹴りで、ドォン、と地響きのように鈍い音が響く。
魔獣は巨体を器用に捻って方向を変え、逃走の姿勢を見せた。急角度で高度を上げた直後の飛行バイクではすぐに方向転換できず、魔獣の前方に回るのが間に合わない。こうなればもう魔獣が走り出すのは仕方がない、大回りでカーブして後を追い、そこから逃走先を誘導する。……今までなら、そうしていた。
遥か上空から強襲する人影。
「だめだよ」
楠が、猛烈な速度で降ってくる。スライダーの如く魔獣の目の前に滑り込み、鼻先で大きく宙返りしてみせた。魔獣は思わずと言ったように顔を引き、たたらを踏む。
1分。
脳内で数えつつリュカは呆れたため息を吐く。
「そこまでしろとは言ってないな」
眼下では、魔獣の顔の周りを楠が飛び回っていた。一度飛び上がり、角の根元から顎までを螺旋状に舞い降りる。纏わりつく邪魔ものを振り払おうと魔獣が顔を上下に振れば、衝撃で大木のような角が襲い来る。危ない、と思った時には楠は空中を一蹴り、軌道を曲げて角の射程から逃れていた。
「あんたの指示通りですけどね」
不意に楠から反応が返ってくる。まだ陽動飛行に慣れない中であれだけ激しく動きながら、よく聞き取ったものだ。
しかし指示通りとは語弊がある。リュカは決して、あんなに魔獣に接触しろ、とは言っていない。
飛行艇を出てから改めて指示しなおした内容は、こうだ。
魔獣が逃げようとした時に最初に気を引くのはリュカ。これは魔獣に脅威を感じさせるための爆音が出せるのが飛行バイクしか無いから。
楠は初めにとことん上空に配置する。そうして上から魔獣の様子を見て、その場から逃げそうな気配を察知したら降りてきてそれを咎めてほしい。
それからもう1つ。時に上手く連携しよう。
「あっぶな」
いい加減絡まれるのも鬱陶しかったのだろう、不意に魔獣がいななき、後ろ足で立ち上がった。大きく振りかぶった前足の硬い蹄が楠を押し潰さんと降ってくる。楠は小さく声を漏らしながら、後方にひらりと跳躍した。魔獣は足を下ろす。そして威嚇するように、ぶるる、と鼻から息を吹き出した。
「えっ、わっ」
「シュガー!」
「平気!」
その勢いに楠の小柄な身体は簡単に押し流される。返答に安心したのも束の間、魔獣が一気に駆け出した。
「こら、そっち行くな!」
ハイウェイまでは絶対に行かせられない。リュカはこの間に下げていた高度のまま、下方から魔獣を追った。
はち切れそうな脚だ。肥大化した筋細胞が身体に馴染んでいない。自分の物とも思えないそれをきっと本能だけで動かしている。元々はしなやかで、綺麗な筋肉がついた逞しい脚だったのだろう。
「早く落ち着かせないと」
2分。
リュカは身体を傾けハンドルを切った。




