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ものすごく、物言いたげな目線がリュカを突き刺している。それを無視して隊服にマントを纏わせた。
「じゃあ、そういう感じで」
「……あのさぁ」
「きみは今俺が言ったみたいに飛んでくれればいいから」
陽動飛行隊室の中を横切って、シャッター前で待つ飛行バイクの元へ向かう。後頭部を視線でジリジリと焼かれていたが、やっぱりそれも無視し続けた。
ヘルメットを手に取る。もう話すことも無い、さっさと準備を終えよう。ヘルメットを被るべく頭を下げると、視界の端に靴先が入って来た。
隣に気配。
「…………なん、ですか」
そのまま無言で黙ったままの彼女に、つい言葉が口をついて出た。留め具を付けて、一瞬だけ横を向く。
「あんた、この間言ったこともう忘れたの」
楠が真っ直ぐこちらを見上げている。
「この間、って、なんのことかな」
リュカは飛行バイクのクラッチを軽く触りながら返事をした。
「喧嘩するのが嫌ならいつでも辞められるよって話?」
「辞めないって」
「それじゃあ魔法の訓練する気が無いなら辞めればって話の方だ」
「あんたそれ言ってないでしょ」
「そうだったかな」
「というかさ、そうじゃなくて」
「あぁ、分かった。きみは飛ばなくていいって話」
「リュカ」
痺れを切らしたように名前を呼ばれて押し黙る。
きっと楠にはバレている。リュカが、分かっていて話を逸らし続けていたと。そして彼女はそれを許す気が無い。
「私たち2人で飛んでるんだって言ったよね」
あぁ、早くポイントに着かないかな。早く任務が始まって、この話題がうやむやになればいい。
そんなリュカの願いも虚しく、ヘルメットの無線機からアレサンドロの指示が飛んでくる気配は微塵も無かった。代わりに楠の追求が続く。
「なのに何、今の指示は」
「ちゃんと2人体制用の指示だったと思うけど?」
「どの口が。あんたの指示じゃあ要るのは1人だけじゃん」
「そうかな。2人居るよ」
「あんたまた1人で魔獣の相手するつもり?」
ギルド北支部の優秀な研究部隊出現予測班、その予測網に先程魔獣がかかった。飛行艇は現在、鎮圧用魔法陣を設置するポイントまで急速に飛ばしている。
リュカが陽動飛行隊室に入室した時には、既に楠は中で待っていた。そうして揃って準備をしながら、この数日で考えてきた2人体制用の陽動飛行指示を話した所、この反応である。
リュカが考えた指示は至ってシンプルだ。
基本的にリュカが魔獣を陽動し、楠は離れた所からそれを追いかける。それだけ。
リュカの指示無しで勝手に近付いてはいけないし、もし魔獣に寄る事があるならそれはリュカが十分魔獣から離れた時だけ。そしてリュカの指示で絶対に魔獣からすぐ離れること。そうして徹底的に2人が近くで飛ぶことの無いように定めたのだ。
そしたら、案の定これだ。
こうなることは予想していた。どうせ揉めるだろうなとは。でも楠はリュカの行動理念を認めてくれていたわけだし、少しだけ、受け入れてくれないかなとも思っていたのだ。それでもこうして楠が反発したということは、リュカの提示したこの指示は、あの空の上での喧嘩の基になった部分――楠が認められない部分ということだ。
リュカは楠に背を向け、しゃがみこんだ。決して彼女を拒絶したわけでは無い。飛行バイクの点検のための行為だった。しかし、どうもそれが楠の目には気に入らない態度に映ったらしい。
「いつまで私のこと無視する気なの」
「無視なんてしてないよ。こうして返事してるし」
「そういう話じゃない」
「じゃあなに」
「あんたがいつまで経っても私の話、聞こうとしないから言ってるの」
「聞いてるでしょ」
「聞いてない」
「聞いてるって」
「聞いてないって言ってるの」
ギュッ、と強く目を瞑った。
終わりの見えない水掛け論だ。普段なら流すこともできるが、今回に関しては分が悪い。なにせ楠が怒ると分かって提案したのはこちらだ。自分の意見がないがしろにされているのだから、彼女が怒るのも無理はない。
だが任務にまでこの空気を持ち込むわけにはいかなかった。ここは一先ず、なんとか彼女に納得してもらわないと。
車体に添えた手を握り締めた。できるだけ軽く聞こえるように、笑いながら言う。
「本当に聞いてるよ。だからきみが飛行魔法以外の魔法を使えないのも知ってるし、なのに俺と飛ぶ気なのも知ってる」
「いちいち言い方が鼻につくなぁ」
「だから、これが一番良いんだよ。きみの力も活かしてる。できるだけ危険からも遠い。だから」
その時。
ふ、と影が落ちた。そして、
「ねえ」
声と共に、シートとグリップに手が置かれる。思わず顔を上げた。
目と鼻の位置に、上下逆さまの楠の顔がある。
なんだこれ、なにこの体勢。なんで楠に覆い被さられてるんだ。なんで楠にこんな至近距離で見下ろされてる。
あまりに予想外で思考が止まる。ついでに口も止まった。そこに楠が突っ込んでくる。
「ちゃんとこっち見て」
見てるよ、と咄嗟に返せなかったくらいには頭が回っていなかった。ただただ楠の顔に釘付けにされる。
楠はまっすぐリュカの目を見ていた。照明で陰った顔の中、その黒い瞳に吸い込まれそうな錯覚。
「いい加減はっきりさせるよ」
「な……に、を」
「あんた、私にどうしてほしいの」
ドクン、と心臓が大きな音を立てる。
なんとか言わないと。しかし、楠は逃がしてくれない。
「最初は遠ざけられてると思ってた。今みたいなことが多かったから」
「今……」
「言葉にするのは難しいけど、聞いてるようで聞いてないような感じ。なにを言っても受け入れられてないような、私の言葉が届いてないような」
瞬きを忘れた目がじわりと痛んだ。反射で瞼が震える。
楠の目に映る自分はどんな顔をしている?
「でもそれなのにさ、突き放すことはしないじゃん。河合の件だって、なんでか私の思ってること知りたがってたし」
遠ざけたいならそんなの興味ないはずだ、と楠は続ける。
「しかもさぁ、あんた、気付いてる? 一回も、辞めろ、って言い方してないの」
気付いてない。今気が付いた。
楠がギルドに所属してから、この短い間に何度も言ってきた。「辞める?」「辞めておく?」「辞められるよ」……それらは全て彼女に選択を委ねる様な聞き方ばかり。リュカは、ただの一度も自分の意志を出していなかったのだ。
いや、違う。その聞き方こそがリュカの意志だった。
「どうも辞めてほしくなさそうだよね、私に」
あー、もう。
駄目だこれ。
「なのにずっと私の話だけは聞かないし、意味分かんないんだよ」
「……うん」
「私は、こんな状況をこれからずっと続けてなんてられない」
「……うん」
「だからはっきりして。あんたは、私に、どうしてほしいの」
リュカは静かに深呼吸した。詰まりそうな喉に力を籠める。俯きかけて、それは駄目だと踏み止まった。
震える唇を噛む。
その全てを楠は目を逸らさずにずっと見ていた。
「俺は」
こうまで言ってくれる人相手に、もう逃げられない。
「ギルドが好きなんだよ」
「うん」
「ここは俺の居場所だから」
ぽつ、ぽつと言葉を紡ぐ。
問いの答えになっていないような語り始めなのに、楠は口を挟まず、時折相槌を入れつつリュカの話を聞いていた。彼女のそんな姿勢が、リュカの口をより素直に動かす。
「俺は、運が良い」
いつ頃からだったか、もう覚えていない。
気付いた時には危ない所を運良く救われていた。それは良い。命の危機なんて避けられた方が良いに決まっている。
そんな高頻度というわけではないが、ヒヤッとする出来事が起こる度、リュカはなにかしらのラッキーに見舞われた。
足がもつれて転ぶ。少し先の地面に鉢が落ちてくる。頭に当たっていたら危なかった。転んでラッキーだ。擦りむいたけれど。
太陽の光が眩しくて立ち止まる。その一歩後ろは下りの階段である。落ちていたら危なかった。立ち止まってラッキーだ。追っていたボールは窓ガラスを割ったけれど。
通学カバンの紐が引っ掛かる。目の前の路地に車が飛び出してくる。轢かれていたら危なかった。カバンが引っ掛かってラッキーだ。紐は取れたけれど。
脚立から足を踏み外し横向きに倒れる。脚立の上に荷物が落ちてきて背後の棚まで雪崩れていく。堅い棚に頭をぶつけていたら危なかった。登る前に倒れてラッキーだ。身体を強く打ち付けたけれど。
そういったことが続いて、続いて、続きすぎて、流石に何かがおかしいと感じ始めた。
確かにラッキーだ。運が良い。しかし、そうして死を回避する度、リュカの身辺はボロボロになっていく。
乱暴すぎる。まるで幸運という物に自我があって、リュカが生きてさえいればそれ以外はどうでもいいかのように。
当然ながらそんなファンタジーはありえない。リュカが周囲を切り捨てて自分の命を救うのに、特に理由は無い。そこにリュカの意志も存在しない。つまり、どうしようもないのだ。
「どうしたって周囲を傷つける。そんな自分勝手な奴、1人きりで当然だ」
せめて巻き込むなら自分だけにするべきだ。そう分かっているものの、心の底でずっと燻っているものがあった。
単純明快。リュカは寂しかった。
その焦げ付いた思いに慣れかけた時、リュカはアレサンドロに出会った。そしてそのまま、ギルドに。
「そんな俺が、ここなら役に立つんだよ」
周囲を傷つけるだけだった幸運を活かして、周囲を助けることができる。それだけじゃない。
リュカはギルドに居る限り、誰かと同じ方向を向いて、同じ場所に居られる。
「ここなら、俺は人の中に居られる。そんなの、絶対大事にしたい。手放せない」
だから。
「だから……」
楠とリュカの目が交差する。像を結び、楠の瞳の中に自分の姿が見えた。
なんとも情けない、頼りなさげな表情。
「一度、誰かと飛ぶことを覚えちゃったら、手放せなくなるよ」
脳内で冷めた自分が呟いた。子供かよ、まったく。
うるさい、うるさいな。分かってるよ。だから言わなかったのに。でもさ、目の前のこの子が言うんだ。どうしてほしいかはっきりしろって。
「辞めないで欲しい。俺は、きみが陽動飛行隊に入ってくれて、嬉しかったんだ」
大きく、楠の目が見開かれた。リュカはそれをどこか諦めたような心地で見つめていた。
「でも駄目なんだよ」
「……なにが」
「俺の幸運はきみを傷つけるから」
リュカがギルドに居られるのは、1人で飛んでいるからだ。これなら巻き込むのは自分だけのまま、幸運を活かして人々を救うことができる。
危ない現場には常にリュカ1人。あと魔獣。
そこに誰かが居てはいけなかったのに。
なのに楠が現れた。
彼女はリュカが何を言っても決して折れることなくしがみついてきて、どれだけ脅しても逃げようとしなかった。仕方なく、今回きりだからと何事もないことを願い、無事に事は済んだはずなのに、何故だかまだリュカの隣にいる。
一度だけならどうにでもなった。そもそもリュカに命の危機が訪れなければ良いのだから。
でもこれが二度、三度と続けば?
暴れる魔獣と相対する任務な以上、どこかで危ない場面は発生する。そしてその時、リュカの近くを、身一つで、身を守る術もない彼女が飛んでいたら。
リュカは楠を犠牲にしてしまう。
その後のことは火を見るより明らかだ。自分を害する相手なんて、好意的であれるわけがない。二度と近寄りたくもない。傍になんて居られない。
「きみは俺を嫌いになる。そしてここを辞めるんだ」
リュカは力なく笑った。
視界いっぱいに映る楠に、ぼんやりと未来の彼女が重なる。嫌悪を丸出しにした冷たい目つきでこちらを睨む楠。このまま飛べば、もうすぐ近いうちに来たる未来だ。
「だから、それならその前に……いっそ、嫌われる前に辞めてくれたら、って……」
だからリュカは彼女を遠ざけた。どうか自分の意志で辞めてくれ、と心にもないことを望みながら。どうせ、本当に辞めたら悲しむくせに。それでも傷つけるよりマシだった。
数々の発言は、リュカの自己防衛だったのだ。
「それが無理なら、絶対に嫌われないように、きみを傷つけないようにって思って、だからこうして新しく指示を考えてきたのに」
そこまで話し、リュカは視線を落とした。
話はこれでおしまい。無様なものだった。こんなのただ醜い部分を見せつけただけだ。
楠だって何を言えばいいのか分からないに違いない。だからこうして黙っている。いや、もういっそこれで辞めようと決心しただろうか。こんな奴となんてやっていけないと。あぁでも、それって嫌われるのと何が違う――
「辞めない」
強い声がした。




