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そして現在。
今なお笑いの虫が収まりそうにないアレサンドロをギッと睨む。
こいつ、なんでこんなに笑えるんだ。事の重大さを分かっていないわけでもなかろうに!
リュカの苛立ちを他所に、アレサンドロは目に浮かんだ涙を拭っていた。デスクに資料をバサリと放る。
「はー笑った。なるほどなぁ。あいつが言ってたのは謙遜でもなんでもなかったってことか」
は? 今聞き捨てならないことを言った。
震える声を絞り出す。
「どういうこと?」
「おまえ聞いてないの? あいつ、ずっと言ってたんだよ」
――私別に、魔法使いと言っていただくほど魔法を上手く使えませんし。
――本当に、そんなに魔法なんて使えないです。言った以上協力はしますし、できることはしますけど、力にはなれないかもしれない。
「その時はまぁギルド相手に自分を過小評価してんだと思ってたけど。こういうことなら納得だ」
アレサンドロの指が資料を弾く。頬杖で支えられる顔が時折抑えきれない笑みで震えていた。
リュカはふらり、と崩れそうになった身体を、デスクに手を付き持ちこたえた。頭が締め付けられるような痛みを発している。落ち着け、落ち着いて。もうあの陽動飛行の時のような失態は起こさない。……もう手遅れのような気もするけれど。
細く息を吐く。そうして敢えてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それは、それを聞いたのはさ、いつのこと?」
「最初にスカウトに行った時だったかな。あと臨時で入ってた時の初日。おまえが来る前に、ここで」
「そういうのは、俺に伝えておくべきだと思わなかった?」
「飛行魔法が問題なく使えるのはこの目で見てたし、当時はおまえがやりやすいようにこれまで通りのやり方で陽動飛行する計画だった。そこに体外魔法の巧拙は関係ないよな」
「……隊員を預かる身として、俺は懸念点を把握しておく必要がある」
「おまえそれ、本気で言ってないだろ」
すっ、と片目を細めるアレサンドロに思わず押し黙ってしまった。まずい、このままじゃ押し切られる。舌戦でアレサンドロに勝てるとは思っていないけれど、こればかりは譲れないのに。ぐうの音も出なくなるわけには……
「それが陽動飛行での懸念点になりえないことなんて、おまえが一番良く分かってるよ」
「……ぐう」
「アハハ!」
張り詰めた空気が一瞬で霧散する。ケラケラと声をあげて笑うアレサンドロの前にリュカは敗北を認め頭を垂れるしかなかった。
その通りだ。体外魔法どころか一切の魔法が使えなくたって陽動飛行はできる。なによりリュカの存在がそれを証明しているのだから。
そもそも楠自身がきちんと報告していなかったことが根本的におかしいのだ。業務内容を知らされる前の発言だというし、恐らく本人的には「先に言ってあった」判定なのだろうけれど、そんな言い方じゃあ分かるわけがない。いつもの言葉足らずが完全に悪さをしている。
あぁもう、これだから困るんだ、こんなことが続くんじゃたまらない。これからの任務で絶対に支障が出てしまう。だから……いや、そうだ。任務、任務だ。
「確かに、陽動飛行する分には何も問題ないよ。でもあの子にとっては問題がある」
「へぇ。おまえには無くて、楠にはある問題か」
「そう」
ゆらりとふらつきながら身を起こす。自分の背中を括った髪が流れていくのが分かった。あれから髪は順調に伸びている。良いことだ。長ければ長いほど安心できる。
「あの子は俺と飛ぶんだよ」
それをアレサンドロが分かっていないわけがない。彼は誰よりもこの幸運のことを知っているはずだ。
アレサンドロはギッと音を立てながら座り直し、腕を組む。
「じゃあさ、もし僕がおまえに楠の言い分をきちんと伝えてたとして。そしたらおまえはどうしたって言うんだ?」
「そりゃあもっと止めてたよ。きみに抗議もしてたかもな。そんな子をギルドに入れるのかって」
「ふぅん。つまり、おまえが言いたいことはこうだな? 楠がここで陽動飛行し続けるのには、利点以上に重大な問題がある、と」
「……まぁ、そうだね」
「じゃあおまえから言えばいいだろ」
「なにを」
「陽動飛行隊隊長として、おまえは陽動飛行隊に相応しくないと判断したって」
「……相応しくないわけじゃないし……」
「どっちだよ」
小さく吹き出すアレサンドロを横目で見る。目が合って、その優し気な目つきにリュカの肩の力が抜けていく。眉が八の字を描くように下がった。
「俺、今あやされてるかな」
「まぁあんまり変わらないな」
「あーもう」
今度こそ膝からくずおれる。デスク上に両手だけ残して消えたリュカに、頭上からアレサンドロの笑い声が降ってくる。やるせない思いを乗せて、パタ、パタ、と両の指を疎らに動かした。
「しかしまぁ、ナン・シウには災難だったな。まさか初の後輩がとんだイレギュラーとは」
「そうだね……あの子も流石にそこは申し訳なさそうにしてたよ」
あれから、シウは用意した魔法陣をあれこれとひっくり返して楠に合いそうな物をなんとか見つけようとしてくれた。
測定用魔法陣は一通り試して、鍛錬用の調子を見ている間に一度魔法陣隊へ戻り、隊員の訓練では使うことのない一般的な初心者向け魔法陣まで持ってきたのだ。楠はその全てをもってしても魔法が使えることがなく、ここまで準備してくれたシウに頭を下げていた。
「言ってなかったかも。ごめんね」との言い分に、シウは何故かそちらも頭を下げながら「いえいえいえ! 僕こそ力になれず……赤ちゃんに魔法教えられるようになってきます」と向上心を見せた。その時は魔法が使えないというあまりの衝撃で気付かなかったが、よく考えれば中々すごいことを言っている。そういえば楠も何か言いたげだったような。実際になにかツッコむことが無かったのは、少なからず彼女の中でシウへの負い目があったのだろう。
「シウくんは良い隊員だよ。指導者が良いんだろうな」
「じゃあ、楠がどう転ぶかはおまえ次第ってことだな」
パタ、と指の動きを止める。のそり、身体を引き上げ、肘までデスクに預けて顔を上げた。
アレサンドロはこちらを見下ろし、「な?」と首を傾げる。
「それは……どうだろうな……」
「あのなぁ」
前のめりになったアレサンドロが、ピッ、とリュカの顔を指した。リュカは少しだけ顔を引く。引いた顎をデスクに乗せ、アレサンドロの指先を睨み上げた。汚れが目立たない黒い手袋だ。
「おまえ達、バディになって何日だ?」
「……1週間とか、そこらかな」
「臨時の期間も含めても1か月くらいか。その程度でなに言ってんだか」
コツン、とリュカの額を小突き、アレサンドロの指は離れていく。まったく痛くない程度の力加減だった。
リュカは小突かれた部分を擦り、グッと一息で立ち上がる。
「じゃあ、アレサンドロは知ってるわけ? 自分の命以外を簡単に犠牲にしながら運が良いとか言う奴が、いざという時身を守るための魔法を使えない子をバディにして、さあこれからどうするか」
「どうもこうも。やることは変わらないだろ。寧ろ今まで通りと言っていい」
アレサンドロは資料の上に手をかざした。そして、バン! と音を立てて資料を叩く。
「おまえ達はそれぞれ、飛行バイクと飛行魔法で陽動飛行をする。それだけだ」
「簡単に言うけど、本当にそれだけでいいのかな」
「なんだよ、今かっこよくキメたのに」
「あの子が魔法を使えないってことは、結局取れる手は増えないってことだよ。色々考えてたんじゃないの」
「あぁ、それなら別に問題ない」
さらっと流され、リュカは目を見開いた。
魔獣鎮圧をより安全に、早く、効果的な物にするために、アレサンドロは日々頭を働かせている。リーダーとして彼が一番気にするところだと思ったけれど。
しかしどうやらそれは思い違いだったらしい。
「伸ばせる枝はまだまだあるさ。駄目になった方向はさっさと切ればいい」
「なるほど。そっか、きみってこうだったね」
「褒めてるんだよな?」
「もちろん」
そりゃそうだ。アレサンドロが一つの案しか考えていないわけがなかった。そして、どれだけ時間をかけて考え抜いた案でも問題があれば躊躇なく切り捨てられる、そういう割り切りの良さもある。そんなアレサンドロにわざわざリュカがとやかく言うことも無い。
リュカは頭上に腕を上げ、肘を引っ張った。ぐぐ、と引き攣り伸びる身体が、煮詰まった感情をリセットさせていく。
「シミュレーターって空いてるかな」
「ちょっと待てよ……あぁ、空いてるな」
アレサンドロがモニターで確認したのに頷いて、リュカは踵を返した。
背中にアレサンドロの声が届く。
「熱心だな。陽動飛行のシミュレーションか」
「そうだよ」
ギルドがこれまで行ってきた魔獣鎮圧、そのデータを基にしたシミュレーター。これならありとあらゆる状況下での陽動飛行を想定できる。
これからこれを使って、2人体制で、できる限りお互いに干渉しない導線を組む。リュカにできることはこの位だ。
楠はリュカの幸運を目にしたことが無いから、その危険性もよく分かっていないのだ。それを知れば、すぐにでも辞めたがるに決まっている。
だから、楠が身代わりにならないような飛び方を考える。
そうすれば楠を犠牲にすることもない。リュカの幸運は誰も傷つけない。
そうすれば、楠が辞めることも無いはずだから。
「僕はさ、自分が厄介な性質だと自覚したうえで、それをなーんにも悪いことだとは思ってないんだけど」
「急に何?」
突然の語りに、つい振り向いてしまった。一体何の話をしているのか、分からず首を傾げる。
アレサンドロは資料をデスクの端に寄せながら、こちらを見ずに続けた。
「おまえも大概だよなって思ってさ」
「俺のこと、厄介な奴だって言ってる?」
むっ、と眉根を寄せたが、しかし言い返す言葉もない。
実際、ここ最近のリュカはアレサンドロにとって大分厄介だっただろう。事あるごとに不平不満をぶちまけに来る。ギルドの益を否定して自分の感情を優先した言い分を通そうとする。そもそも仕事の邪魔……挙げればキリがない。
これは謝らないとな、とリュカが首を掻き、謝罪を口にする……より早く、アレサンドロの目に射抜かれ動きが止まった。狼狽えるリュカにアレサンドロが一言。
「おまえ今、矛盾の塊みたいな状態になってるぞ」
「なにそれ……」
「おまえは嘘吐けないんだから。思ってることが全部混ざって表に出てて、傍から見たらすごいことになってる」
今度こそ、本当にぐうの音も出なかった。




