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掃除道具や備品が置かれている倉庫にモップをしまい、少しだけのんびりとした速度で来た道を戻る。離れた所から室内の様子を見れば、シウが楠に、仕分けた魔法陣のうち1グループ分を手渡していた。指差しながらなにかを話している。
初っ端からタイマー云々とかいう変な話はしてしまったが、それもこれっきりだ。そもそもリュカはこの訓練中、あまり口を挟むつもりが無い。シウに言ったことはあながち冗談だというわけでもなかった。
リュカが魔法音痴でこの手のことには役に立たない、というのもあるが、それだけではない。折角の機会だ、シウに経験を積ませたいというのが一番だ。オルテンシアも、アレサンドロだってそうするだろう。
勿論、必要な時は隊長として助言するつもりである。けれど、基本は2人にやりたいようにやらせたかった。
扉を開ける。2人が揃ってこちらを見てきたので、リュカはにこやかに笑った。
「よし。じゃあ……始めようか?」
「はい! 問題ないっす!」
シウの返事と共に楠も頷く。では開始の音頭を、とリュカはシウを促した。
「シウくん、よろしくお願いします」
「よろしく」
「わわわ、緊張する~……! こちらこそ、よろしくお願いします!」
ペコ、とシウが頭を下げる。リュカと楠は一瞬目を合わせ、合わせてこちらも礼をした。
さて、ここからはリュカは静観に入ろう。一歩下がり、壁際に寄る。
「えーっと、じゃあまず一番最初に、楠ゆかりさんの今の魔法の実力を測定します!」
「魔法、って言うけど、飛行魔法のことじゃないんだよね?」
楠の問いに、シウは彼女の手元の魔法陣の束を指した。
「そうっすね。勿論、楠ゆかりさんの任務内容的に飛行魔法が一番大事なのかなとは思うんすけど。でも今日はそれじゃなくて、所謂体外魔法の話になります」
「体外魔法……」
「まぁとはいえ、今時体外魔法って言ったら殆ど魔法陣っすけどねぇ」
そう言われてもいまいちピンと来ていなさそうな楠に、シウは小首を傾げた。
「体外魔法と体内魔法の違いは、分かります?」
「それは流石に。体外魔法は、魔力を身体の外に出して魔法を使うやつだよね」
「はいはいはい! その通りっす!」
「それは分かるけど。つまり飛行魔法とは関係ないんだよね?」
「うーん。まぁ確かに違うものではありますけど、でも無関係というわけでは無いっすよ?」
シウは腰に手を当て、もう片手の指を立てる。
「僕が入りたての頃、隊長に教えてもらったことなんすけど」
「コンティさんに?」
「はい。魔法陣隊はとにもかくにも魔力量が物を言うんだ、って」
だから魔法陣隊の隊員達は、日々魔力量を増やす鍛錬に励んでいる。
魔力量を増やす方法は実にシンプル。長く、少しずつ、無理をしない範囲で魔法を使い続けること。
「体外魔法も体内魔法も結局は同じ魔力を使うじゃないっすか。だから魔法訓練すればするほど、飛行魔法にも有用なんすよね」
楠は緩慢な動きで頷いた。分かっているのかどうか微妙な所だ。
楠の話を聞く限り、どうも彼女がどこかで本格的に魔法を学んだという感じはしない。恐らく殆ど独学なのではないだろうか。その状態であの練度の飛行魔法を繰るのだ。ギルドという魔法に特化した環境で訓練を重ねれば、その力はますます成長を遂げるに違いない。
それに、もっとシンプルな理由もある。
「陽動飛行中に身の危険が迫った時。そういう時に魔法が使えれば、身を守れるでしょ」
リュカの補足に、楠は改めて渡された魔法陣をペラペラと捲る。
「これが、ねぇ……」
「それは測定用っすね。実践用は、こっちっす」
「もしもの時のきみの命綱ね。シウくん、最後で良いからどの魔法陣がどんな魔法かって説明してくれるかな」
「勿論っす!」
リュカ達が話している間にも、当の本人こと楠は両手に魔法陣の束を抱えたまま口角を下げて佇んでいた。
その様子に、僅かな違和感。
なんだろう。あまり見たことがない表情だ。不満とも呆れとも違う、あれは――
「あんたは?」
「え?」
考えていた所にその楠から声がかかる。
「あんたは使ってないんでしょ、これ」
「あぁ、魔法陣? そうだね、俺は魔法音痴だから」
「訓練もしてない?」
「魔法系はしてないね」
「そう……」
楠が俯く。一体何がどうしたというのか。疑問に首を捻りつつ、リュカは楠の顔を覗き込んだ。
「別に何も悪い話では無くない? 飛行魔法が強化できて、身も守れる。躊躇うことは無いと思うけど」
「それは、まぁ」
それでも楠の表情は晴れない。仕方がない、この手は取りたくなかったが。
「きみがさ、この訓練を通して魔法をもっと上手く使えるようになったら、陽動飛行のやり方自体も変わるかもしれないんだよ」
ピクリと楠の目が震えた。
「どういうこと?」
「今までは俺が魔法音痴だから取ってこなかった手があるってこと」
楠が居れば、陽動飛行中に魔法陣による魔法が使えるようになる。空を飛び、魔獣を誘導しながら、魔法で様々な援護ができるようになるのだ。
魔獣鎮圧において取れる策が増える。それは時間の短縮になるかもしれない。町や自然の被害を抑えられるかもしれない。何かを、救えるかもしれない。
「どう? やる気になった?」
リュカは口角を吊り上げて笑う。それに、楠は呆れた声音で問い返した。
「ここは、なら辞める、って聞かないんだ?」
「言わないでおこうかとも思ったよ。でもギルドのためだからね。きみにやる気になってもらわないと」
「馬鹿正直に全部言うなぁ」
楠はため息混じりに呟く。
「別に、元々やる気がないわけじゃないから」
「へぇ?」
興味深さに眉を上げる。その言葉の真意を考える前に、楠からバサリと魔法陣の束を押し付けられた。咄嗟に受け取ってしまう。
「実践用の方、持ってて」
「あぁ、うん」
「で、まず何すればいい?」
そう尋ね、楠はシウの方に向き直った。ようやく本格的に訓練が始まりそうである。
しかしちょっと出しゃばりすぎてしまったか。見守る立場というのも難しい。リュカは頬をかき、魔法陣を抱え直した。
「はい! まずは測定からっすね」
「これが測定用なんだっけ」
「その通り。今の実力を測っておけば、訓練でどれくらい自分が成長できたか目に見えて分かりますからね!」
シウはカバンからタブレットを取り出した。ついついと操作し、画面を見せてくる。そこにはチェック項目が並ぶ表が映っていた。
「ここに今から測定結果を記録していきます。あ、データはギルド内で保存されますけど、ちゃーんと保護されますから心配なさらず!」
「そこは別に良いよ。それで、この測定用魔法陣? で、何が分かるの?」
「それはっすねー、1個1個違うんすけど」
まず1枚目、とシウは1番上の魔法陣を指す。
「まぁやってみましょう! まず最初は基本のき! 魔力量っす!」
実に単純な魔法陣だ。魔法教育で誰もが触れたことのある、光の魔法陣。シンプルな紋様で魔力の流し方も簡単、かつ難しい反応の合わせ技なんかも無い。そんなシンプルな光らせるだけの魔法をどれだけ長く使い続けられるかを計るのだ。
魔法を使えば当然魔力を消費する。だから他の測定で疲れる前にこれを行うという人が多い。
「でもあれっすよ。先に他の測定したって問題ないっす。それで腕慣らししてからやりたいって人もいますからね」
どうします? と聞くシウに、楠は首を振った。
「いや、最初にやるよ」
「了解っす! じゃあ……準備はいいっすか? いつでも、好きな時に始めてください!」
そうして促して、シウがタブレットにストップウォッチを表示させた。
リュカは唾を飲み込む。色々と思う所はあるが、純粋に楠の実力は気になる所だった。
飛行バイクと並んで飛べるほどの飛行魔法を、それも少しの期間で扱えるようになるその天才性。そんな才能を持つ彼女が本気で使う魔法は、いったいどれほどのものなのか。きっとリュカ達はこれからそれを見せつけられるのだろう。その凄さが誰にでも、まざまざと伝わる体外魔法によって。
楠は魔法陣の束から1枚を抜き、他の物を後ろ手にリュカに差し出した。何も言わず受け取る。残った光の魔法陣を手に、軽く深呼吸。
そして。
……。
…………。
………………。
彼女はいつまで経っても魔法を使わない。
楠の手は魔法陣に添えられていて、いつでも光を湛えられるように見える。でもそれだけで、いっこうに彼女が魔法を使うことはなかった。
それでもリュカ達は待っていた。自分の実力を知ることに緊張しているのだろうと思ったからだ。楠のペースで、今だと思った時に始めるのが一番だと思ったから。
しかし、
「無理だね」
さらりと楠が告げた言葉の意味が分からず、リュカは瞬きする。
「無理、とは?」
シウが目を丸めて尋ねた。
楠は口を曲げる。
「私、魔法使えないんだよね」
「……えーと、飛行魔法で陽動飛行をしていると聞きました、けど?」
「飛行魔法は使える。でもそれだけ」
その時、やっとリュカは違和感の正体に気が付いた。
不満でもない。呆れでもない。
楠はこの紙切れに疑心を抱いていたのだ。
果たしてこれが己に役立つものなのかと。
「私、飛行魔法以外の魔法使えたことないから」




