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「まだあるの!?」
「まだあるよ。こういう仕事をするなら絶対に忘れちゃいけないやつ」
言いながらアレサンドロは3つ目の魔法式を書いていった。
今更だけれど、こうして魔法式を空でさらっと書けるのだから、やっぱりアレサンドロは凄い。そりゃ魔法教育の授業でいくつか学ぶものではあるが、大人になった今この場でなにか書けと言われると、リュカでは基本的な物をいくつか挙げるだけになるだろう。なんなら化学反応式や数学、物理の公式なんかと混ざってしまうかもしれない。
感心しているうちに魔法式が完成した。ピリオドを打って、アレサンドロが顔をあげる。
「先に言っておくけど、こいつは滅多に使わない」
「え? さっき絶対に忘れちゃいけないって」
「そうだよ、忘れちゃいけない。でも使う機会は多くない。と、いうより、使わない方が良い」
リュカは少し考え、「それって」と切り出した。
「つまり、保険ってこと?」
「大正解!」
ニッと笑うアレサンドロ。
「これは血液をむりやり全身に巡らせる魔法なんだよ」
「……結構物騒だね。本当に命に関わるやつだ」
「あぁ。だから天井の電球を変えるとかなら中々使わないし、そもそもうちはさ、ほら、隊服があるから」
「隊服ね。俺も本当にお世話になってるよ」
ギルドの隊服には特殊な細工が施されている。耐衝撃魔法陣と耐G魔法陣だ。リュカはこいつらを数えきれない回数発動させてきたため、その性能についてはよぉく知っている。
この隊服が無ければ、リュカはもっとたくさん命の危機に陥っていただろう。
「うちの隊服は優秀だからな」
アレサンドロは得意気に言いながら、手の甲でリュカの肩を軽く叩く。
「でもさ、そんな優秀な隊服でも抑えられないGがかかったら?」
「……そんなこと」
「無いとは言い切れないよな。飛行車と違って魔法には安全機能もGメーターもないわけだし」
そこでこの魔法の出番なわけか。リュカは魔法式を改めて見下ろした。
強いGがかかると身体に不調が出る。端的に言えば、血液が偏り脳に酸素が行き渡らず失神するのだ。だから魔法で血液をむりやりにでも脳まで巡らせる。理に適っているし、確かに絶対忘れちゃいけない。
だが、この魔法の存在はリュカを怯えさせるのに十分だった。
リュカは運が良い。命に関わることは文字通り避けられる。ただこの運とやらは己の命を守る事に特化しすぎているため、それ以外にはまったく適用されない。
危ない場面を運よく生き延びる度に、閃くマントが、長く伸びた髪が、手から離れた飛行バイクが、リュカの代わりに空へと消えていった。今でさえマントは何度も補修を繰り返し、ザク切りされた毛先を何度も整え、貴重な飛行バイクを何度も再発注しているのだ。もし隊服の細工が無ければ今頃どうなっていたことか。
つまり、この隊服が守ってきたのはリュカ自身ではなく、リュカの身の回りなのだった。
でもそれはリュカだからだ。運良く命の危機を潜り抜けられるリュカ・シモンだから。
他の皆はそうはいかない。隊服が直接彼らの命を守っている。あの魔法陣は発動した回数分だけ命の危機に瀕しかけていた証拠なのだ。
そんな高性能な魔法陣でも抑えられないGがかかるなんて、考えるだけで恐ろしい。そんなの、もしそうなのだとしたら……。
脳裏に過るのはぐんぐんと昇っていく楠の姿だ。どんどん太陽に近づいていく。今思えば、あの速度であれだけ上昇して、身体に負荷がかからないはずがない。
大きくため息を吐き、額に手を当て目を閉じる。黒い視界の中、小さく喉を鳴らすような笑い声が聞こえた。
「と、こんな風に、飛行魔法は大体3つの魔法を組み合わせることで完成するわけだけど。僕はおまえを落ち込ませるために説明したわけじゃないぞ」
それもそうだ。ああ、というか、自分はどうしてこんなことを聞いたんだったか。
「……うん、ごめん。説明ありがとう。すっごく分かりやすかった」
「それなら良かった。まぁもっと実践的なことならそれこそ相方に聞くといいよ」
思い出した。楠ゆかりは天才だという話だった。
「もう聞いたよ」
「へえ? なのにまたどうして……いや、言わないでいい分かった」
目線を向けると、アレサンドロは軽く手を挙げて待ったのポーズを向けていた。顔を逸らして隠しているつもりなのかもしれないが、僅かに震える肩が全てを語っている。まったく、他人事だと思って。
「あの子なりにちゃんと説明しようとしてくれてたのは、分かるんだけどね」
「ごめんやっぱり教えてくれ、あいつ自分の飛行魔法のことなんて言ってた?」
話の種を撒いてみせれば、あっさりと手のひらを返し身を乗り出してきた。ふん、案の定だ。面白がってくれちゃって。
リュカは座ったまま身を屈め、ふくらはぎを触る。
「ここで、ぐぐってして、どんってやったら飛ぶんだって」
「はーなるほどな、筋肉の話か。確かにそういう感覚かも」
「しかもだよ? あの子、初めて速く飛んだ時なんて言ったと思う?」
「なになに?」
「バイクを参考にしたらできた、だって」
「アハハ! 確かにあいつは天才だ!」
手を叩いて笑うアレサンドロ。そんな態度を取れるのも彼が楠の上司だからだ。彼女と組む立場になればそうはいかない。リュカは仏頂面で肩をすくめた。
「本当に分からない子だよ。なに考えてるのかも分からないし、言ってくれても……言葉が少ないし」
アレサンドロとは正反対だ。彼は寧ろ言葉が多すぎる。時に回りくどいことだってあるが、それは彼が話好きだからだ。リュカはそれを知っている。
そんな友人に慣れた身なので、余計に楠の言葉少なさが気になってしまう。本題まで遠回りすぎるのもよくないだろうけれど、スタートからゴールまで一気にワープするのだって同じくらいいただけないことだ。
背凭れに身を預けて視線を伏せる。そんなリュカにアレサンドロは一つ、大きな動きで肩を下ろした。そして、笑った拍子に落ちた紙を拾いながら
「そういうもんだろ」
と言う。
「分からないって言うけどさ、人間そういうもんだろ。相手のことどころか自分のことだって分からないもんだよ」
「そういう話じゃなくて……」
「ま、だから話し合うんだけどな」
拾い上げた紙をペンと共にデスクに置いた。リュカはその一連の流れをじっと見ながら、今の台詞を反芻していた。
(分からないから話し合う、か)
リュカとアレサンドロは長い時を共に過ごしてきた。色んなことを話したと思う。好きな物。得意なこと。日々のルーティン。悩みごと。それでも不満なことはあって、それこそ今、話し合ってそれが昇華されたばかりだ。
リュカと楠はまだまだなにもかもが足りない。時間も、言葉も。
「今楠はなにしてるんだ?」
先程別れた時、リュカは楠に「好きにしてて」と言った。こういう自由時間に彼女は一体なにをしている?
「知らない……」
「まずはそこからだな。そしたらさ、分かるかもしれないぜ?」
なにを、とはアレサンドロは言わなかった。でもどうにも彼にはリュカの一番の悩み事が見抜かれている気がして、やっぱりこいつには敵わないなと思うのだ。




