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それは何の前触れもなく現れる。
突如現れ、目的もなくただその場を蹂躙し、町も、人も、なにもかも見えていないかのように暴れ、気が付けばどこかへ消えている。後にはその残骸だけが残る。
故に過去の人々は、それを「天災」と呼んだ。
「ところがどっこい、アレは理解のできない強大な力でもなんでもない」
ソレの出現には兆候がある。
兆しをもって現れその場を蹂躙し、一定のタイミングで満足したように帰っていく。そこには確かに理屈が存在していた。
故にギルドの者は、ソレを「魔獣」と呼んでいる。
「天災とは、魔力中毒を起こした野生の動物なんですよ」
体に必要な栄養素も、摂りすぎれば悪影響を与える。
ようは食べすぎ。食物が含む成分の1つ、「魔力」を摂りすぎたことにより中毒を起こした野生動物。それが、天災もとい魔獣の正体だ。
魔力は本来体内で分解、吸収される。更に人間は加工という手段を用いることで、そもそも摂取する魔力の量を抑えることが可能だ。
それも全て先人の知恵である。魔力という栄養素を発見し、加工技術を開発した先人によって、人間は魔力を必要量だけ摂取することができるのだ。
しかしその加工技術を野生動物は持たない。ともすれば、食物が持ちうる高濃度の魔力を過剰に摂取し中毒状態になってしまうのもありえない話ではなかった。
それにしてもまさか、天災がただの野生動物だったなんて。正体が分かって安心したような、拍子抜けなような。
楠は首筋を指で触る。そして、目の前の人物を胡乱気に見つめた。
「ご存じありませんでしたか」
「まぁ、この辺りは天災……魔獣が、あまり見られないので」
「そうですよね。この町は勿論、この地域自体、魔獣が出現するのは珍しいんです」
「そんな珍しいのに、よくあの瞬間この辺りに居ましたね。ありがたいことですけど……」
「それは出現予測班のお陰です。なにせ我々ギルドは、魔獣の鎮静化の他に、研究も行っているものですから」
堂々と張られた胸で、ギルドのバッジが輝いている。
彼は、アレサンドロ、と名乗った。姓はレオーネ。人好きのしそうな笑顔が、どうにも楠には胡散臭く見えて仕方がなかった。
サイレンが鳴ったあの日、この人は客として店に来たらしい。楠がレジ対応をしたと言うが、当然楠に覚えはなかった。店の客をいちいち覚えているほど記憶力は良くない。なによりあの日はサイレンによる危機対応に追われていたのだから、覚えていなくても仕方がない、と、楠は思う。
アレサンドロ自身、楠がまるきり初対面のように対応したことを深く気にした様子もなく、笑って「それはそうと」と流した。本題はそこではないからだ。彼にとって、楠が自分のことを覚えていようが覚えていまいが関係ないのだろう。
そのようにして会話の流れを自然に持っていかれたことも、楠がアレサンドロを厭う理由の1つだった。
もう1つは、突然店に来た割にはしっかり店長に話が通っていた用意周到さ。
それから。
「楠さんには是非ギルドの我が支部にお力をお貸しいただきたいのですが、どうでしょう」
「お断りします」
「うーん、つれませんねぇ」
アレサンドロは苦笑して、テーブルの上で手を組む。対して楠は、ちらと腕時計を見た。
今の時間が一番混むのだ。今日は河合もいるとはいえ、きっと店はてんやわんやしていることだろう。端的に言えば、早く話を終わらせたい。
楠の視線には気が付いているだろうに、アレサンドロは「まぁそう言わず」と姿勢を正し直した。居座る気だ。
どれだけ楠が即答しても、終わらせたいオーラを出しても、彼は自分のペースをまるで崩さない。交渉の場に慣れているのだろう。カフェの一店員に過ぎない楠には過ぎた相手だ。
「あの、そもそもどうして私なんですか」
ここは仕方がない。急がば回れともいうことだし。アレサンドロが楠をギルドに勧誘する理由を潰して、形だけでも理屈的に断るしかない。
「楠さんが、我が支部の求める魔法使いだからですよ」
これだ。これが最も嫌になる。
アレサンドロは何故か楠のことを魔法使いと呼んだ。
魔法使い。体に取り入れた魔力の使用に長けた人物。
現代においては特段珍しいものでもない。ひと昔、ふた昔ほど前は、そもそも魔力を自在に扱える人物自体数えるほどしかいなかったと聞くが、現代っ子の楠には考えられないことだった。
魔法使いと呼ばれるのは、主に魔法の実力で順位や勝敗を競う人々だ。彼らは実際の職や身分として「魔法使い」を掲げている。
あとは、そうしたプロに負けず劣らずの実力を持つように見えるということで、比喩のように使われることもある。「魔法使い並みの魔力量ですね!」なんてよくテレビでタレントが褒められているのを楠は河合の部屋で聞いていた。
だが楠は当然、その二者のどちらにも属していない。楠の職業はカフェの店員だし、間違っても「魔法使いじゃん!」なんて言われたこともなかった。どちらかというと、学生時代の魔法教育の授業は苦手科目だったくらいだ。
「ギルドは魔獣を扱う専門家です。で、ある以上、メンバーは魔法使いばかり」
「じゃあ尚更私を勧誘する理由がないですね。私別に、魔法使いと言っていただくほど魔力を上手く使えませんし」
「ご謙遜なさらず。それも美徳ですけどね」
にこり、きらきらの笑顔を向けてくるアレサンドロに、楠は思わず眉をしかめる。一瞬「しまった」と思うも、アレサンドロは肩をすくめるだけだった。
「失礼ですけど、なんでそんな自信満々なんですか? 私、店で魔法とか使ってませんよね」
その態度に思わず疑問が口をついて出た。一番気になっていたことだ。
当然ながら楠は接客で魔法を使った覚えはない。使う必要もないからだ。アレサンドロを接客した覚えはないけれど、別にその時だっていつもと変わらなかっただろう。
なのに何故、この人は楠を魔法使いだと信じて疑わないのか。
「楠さんは、先日うちのメンバーを助けてくださいました」
「……え?」
思いもよらない言葉に顔をあげる。アレサンドロと視線が合う。
アレサンドロは目を細め、手袋に包まれた人差し指を立てた。つい、と、耳の下辺りから「し」の字に指を振る。
「こんな風に長い髪を縛った男。覚えておりませんか? 看板の下敷きになるところを、間一髪」
楠の脳裏に、風にはためく黄金の髪が過る。同時に耳の奥で、人の悲鳴が再生された。
あぁ、あの時。
そしてさとった。何故アレサンドロが、楠を魔法使いと呼んだのか。決して人前で魔法を使ってなどいなかったはずなのに。
間違いなくあの時だ。
「奴は言っていましたよ。自分を助けたのは、飛行することができる魔法使いだ、と」
楠はあの時確かに飛んだ。
「そしてうちが求めていた魔法使いは、まさにあなたのような魔法使いです」
真剣な表情でアレサンドロは楠を見る。
「どうか、ギルドに入り、我が支部で活躍していただきたい」
その真っ直ぐな瞳に、楠は小さく息を吐いた。
「お断りします」
「あれぇ」
頭だけでお辞儀をする。頭の上から間の抜けた声が聞こえた。