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シャー。シャー。
キックボードの車輪の音が心地いい。ギラギラと照り付ける日差しの中、町は懐かしい騒めきに包まれていた。
シャー。シャッ、タン。
目的地に到着し、キックボードから降りる。折りたたんでいると、ふっ、と頭上に影が差した。
飛行バスだ。
飛行バスは今日も時刻表通りに運行している。楠は飛行バスを見上げ、そのままその遥か先、上空に目を凝らした。
青い空が広がっている。
「……平和だ」
呟いて、折りたたんだキックボードをよっこいせと持ち上げる。そのまま目の前のドアを開いた。
楠はカフェ店員を再開した。元々臨時の隊員だったのだから、戻ってきた、という認識だ。
「やっぱり辞めるんだね」
「辞めるというか、まぁ、今回はヘルプみたいなものだったから」
飛行艇にて、リーダー室を後にした楠をリュカが出迎えた。
リュカは色褪せた隊服を着ていた。ひらめくマントの端には古いほつれがある。着古されてはいるが、きちんと手入れされた綺麗な隊服だ。
対して楠はラフな格好だった。軽いシャツにゆるいボトムス。傍らには必要最低限だけを詰めたスーツケースを携えていた。
「そっかぁ……うん、そうだったね」
リュカはそんな楠の姿をじっと見て、二、三度頷いた。
任務終了直後は、まるで自分が本当の隊員になったように錯覚していた。本当にこいつのバディになったような、そんな感覚だった。今回の反省点をあげて、改善するにはどうしたらよくて、そのためにももっと陽動飛行や魔獣について詳しくならなければな、なんて思っていたが、よくよく思い出してみれば楠は臨時の隊員だったのだ。やっぱり楠にとって大事なのはあの店で、河合で、店長で、楠はあの平穏な生活が好きだった。
そんなこんなでついさっき、楠はアレサンドロに「契約満了」と告げてきた。ギルド北支部リーダー殿は相も変わらずにこやかに笑いながら、「寂しくなるなぁ」なんて思ってもなさそうなことを言っていた。
「あー……まぁ、じゃあ、下まで送るよ」
「助かります」
そこからは暫く無言だった。
結局覚えられなかった飛行艇内をリュカについて歩いて、外出用ガレージでサイドカーに乗り込む。とんでもなく丁寧な運転でゆっくりゆっくりと下降していけば、もう地面は目の前だ。
「あのさ」
「あ、え?」
着陸直前、楠はようやく口を開いた。
なんというか、何かを言いたかったが、どうやって伝えるべきか分からなかった。
「……身体に気を付けて」
だからこんななんとも月並みな表現になってしまった。
リュカはそんなつまらない言葉を聞いて少し呆けた後、吹き出すように笑った。
「それ、俺に言う?」
「言うでしょ、別に」
「そっか」
飛行車用ターミナルにはその日も多くの飛行車と人がいた。楠はシートベルトを外して、サイドカーから降りる。
リュカは飛行バイクに跨ったまま、ひらりと手を振った。
「ありがとう。きみもね」
それが楠のギルド生活最後の日の出来事だ。
そのはずだったのに。
「やぁ。寂しいから来ちゃった」
堂々と張られた胸にギルドのリーダーバッジが輝いている。
人好きのする笑顔を浮かべながら、アレサンドロはテーブルの上で手を組んでいた。
「……なにが来ちゃった、だ」
「おいおい。ギルドのリーダーにそんな顔するの、おまえくらいだぞ」
おっと、今はうちの隊員じゃないんだった。そう嘯いて咳払いを一つ。そんなアレサンドロに楠はいっそ眩暈がしそうだった。
どうして。なんでこの人がうちの事務室に。ご丁寧にアイスコーヒーまで出されているし。
店長に「ちょっと事務室にお客さん来てるから応対してきてくださいね~」とか頼まれた時点で少し嫌な予感はしていた。なんで店長もこの人を通しちゃうんだろう。楠がギルドに行っていた間のてんてこ舞いを忘れたのだろうか。帰ってきた楠と色々事務作業を確認しながら「やっぱりマニュアルって大事なんだ……」とかぼやいていたのに。
楠がぐるぐると考え込んでいる間、アレサンドロはストローに口をつけ、呑気に喉を潤していた。
「やはりお宅のコーヒーは美味しいですね」
「それはどうも」
まぁ、考えていても仕方がない。店長に根回しされてしまっては、このまま何もなかったことにして店の方に戻ることもできかねる。それならさっさと本題だけ聞いてしまうが吉だ。
ため息と共に向かいの椅子に腰かける。そして胡乱な目つきで正面を見た。
「ご用件は」
「分かってるでしょう」
「なら尚更なんで来たんですか」
「やだなぁ。言わせないでくださいよ」
「……あの、一応私、忙しいので」
「あぁ、はい。それはもう」
早くしろ、と言外に急かせば、アレサンドロは分かっているというように姿勢を正した。
「では単刀直入に言います。楠ゆかりさん。ギルド北支部に正式加入していただけませんか」
やっぱり。




